「ジンタの音」は日露戦争後まもない頃の、正助少年の日々を描いた短編集である。
正助は、そそっかしいところもあるが素直で優しい少年である。
彼を見守る両親の目もあたたかい。
「今日は学校は休み、みんなで隣町の見世物に行くのだ」
という噂話に乗せられて、13人の子どもたちが学校をさぼって尻はしょりで駆けていく「ジンタの音」。
実はそれはデマで、デマに踊らされた正助たちはあとでこっぴどく叱られることになるのだが、そのときの正助の父の説教が、いい。
デマに踊らされた正助に、父は言う。
「誰をうらんでもならない。敵があるとすれば、それは自分のなかにいるのだ」
潔く先生にすべてを話して、責任は自分たちで負えと言う父の言葉には、正助への深い愛情が感じられる。
このお父さんはじつにいい。
正助の弟が、夕方になっても帰ってこない「逢う魔が刻」というお話がある。
川に流される子も多いという土地で、家中が心配して探し回る中、正助と二人で探しにいったお父さんは、鍛冶屋で一心に火花を見つめている息子を見つけた。
息子の無事を確認すると、お父さんは何も言わずに家に帰ってしまうのだ。
叱るでもなく手をひいて連れ帰るでもなく、ただ無事な姿を見ただけで帰っていくお父さん。
子どもが気づくまで待つ、見守る、という姿勢はとても難しいけれど大切なことだと思う。
私は待つ、ということがどうもできなくて、せかしたり教えたりしてしまう。
このお父さんのように「見守る」というのは、子どもを信頼していなければできないことだ。
してみると私は子どもを信じていないのだろうか。
子どもをというか、子どもの育つ力のようなものを。
「ジンタの音」はぜんぶで6篇のお話が入っていて、そのどれも、みずみずしくて優しくて、心にしみる。
最後に入っている「やきいも」は読み終わって泣きたくなった。
小学生時代、弁当の時間に貧しさゆえに毎日やきいもを食べていた亀吉というクラスメイトがいた。
彼はやがて立派な唐傘職人になったが、そのころ時代はすでに洋傘の時代になっていた。
「国敗れて山河あり」
戦争が終わって、リュックと破れた傘をもって帰郷した正助は、傘職人になった亀吉に傘を修理してもらう。
そしてさらに時代が変わり、高度経済成長期。
「産業興って山河なし」
ふるさとはすっかり様変わりしてしまったが、亀吉はかわらず唐傘を作っている。
その亀吉じいさんを見て、正助じいさんは思うのだ。
この唐傘を郷土館におさめて、次の時代のこどもたちに伝えたいと。
昔の人のくふうが、どんなにじょうぶで、親切に作られているか。
そしてその民芸の心と腕を受け継いだ亀吉じいさんが、こども時代にやきいも弁当で勉強してきたことも。
ふるさとの山や川は変わっても、変わらないものがある。
営々と続けられてきた人々の生活。
親が子を思う気持ちや、子が親を慕う気持ち。
受け継がれていく心。
こうして、人は生きている。
こうして、人は生きていく。
私は、子どもたちにどんなものを残せるのだろうか。
自分の親がしてくれたように、子どもたちに何かを
伝えることができているのだろうか。
正助じいさんがどこかで「しっかりしろよ」と激励しているような気がする。