クオレ〈上〉―愛の学校 (昭和27年) (岩波文庫)

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  • 書店でタイトルを見て、イタリアの名作と知り図書館で借りました。 イタリア人はちゃらんぽらんのイメージが強いと思うが、そんなことはなく、キリスト教の影響が強い国だと、神様、父、母と目上の人に対する敬意を持つことを厳しくしつけられ、愛国心も半端じゃない。比較すると日本人には愛国心はないに等しいな、と思ってしまう。外国人と一緒になって日本人の欠点をののしる人も多いもんなー、と国民のありようをいろいろ考えさせられた。下巻につづく。

  • <下巻までのネタバレを含みます>

    ここまでのものになると、もはや自分では「良い」も「悪い」も判断がつかない。★五つの評価なのは、この本が自分の人格形成にとって決定的な位置を占めたと感じているからだ。子ども部屋の本棚に入っていた、岩波少年文庫のシリーズの中から、偶然運命的な出会いを果たした一冊(下巻も含むと二冊)だけれど、久々に読み返してみれば、愛国主義も愛国主義、極端に言えば「お国のために死ね!」と言わんばかりの、苛烈な主張に満ちた物語だった。それも、度重なる侵略と分裂とを経験してきた、イタリアという国の苦闘の歴史を思えば仕方のないことかもしれない。何せ、1861年に統一イタリアが成立してから、まだ五年の年月しか経たないうちにこの物語は書かれたのだ。国土全体に未だ余韻として残る、栄光の輝きに満ちた統一国家のイメージ。その裏に潜む多大なる犠牲と血。ようやく生まれた新王国を、その命を賭して守り育んでいかなければならないと意気込む「国民」たち。物語を書いた作者と、読者として想定された半島全土の子どもたちの、当時の望外の喜びと期待とをこの終始熱っぽい語り口から感じ取ることができる。

    舞台は小学校、主人公はそこに通う三年生のエンリーコだが、そこで先生からの「毎月のお話」として挿入される教訓的なエピソードにも、作者の意図的な選別が見られる。パドヴァ、フィレンツェ、統一前の各都市国家の少年たちの勇気ある行いを、トリノに住むエンリーコは奮い立つような感激と共に聞く。そのうちの一つが、日本では原作以上に有名な『母をたずねて三千里』のマルコの物語である。ジェノヴァ担当の、母親思いの天晴れな少年だ。むしろ、今の子どもたちにとっては、この物語から逆輸入される形で原作を知るケースが多いのかもしれない。マルコの例にも見られる通り、この毎月のお話に表れる少年たちは、皆強烈な愛国精神と、自己犠牲の意識とを持っている。出稼ぎに行った母親をたずねて、アルゼンチンまで単身旅に出るとは子どもにとって並のことではない。他にも、同乗者を助けるために自ら海に沈んだタイタニック号乗客の少年の話、激しい銃撃戦下において、自分が弾の標的になろうとも構わず偵察を続け命を落とした少年の話……過激であるが故にいっそうの鮮烈さを持って子どもたちの脳内に刻まれる物語は、無意識のうちに「人に尽くそう」「国にとって立派な人間になろう」という道徳観念を生む。主人公エンリーコもまた、それを日常的に実践していく。彼を見守る厳しい父親、教え諭す賢明な母親と、優しい姉。志の立派な者も、意地の悪いひねくれ者も含む、様々なクラスメイトに囲まれて、彼は理想的な生き方を貫くことの難しさと素晴らしさとを知る。

    という訳で、子ども時代に読めばかなりの勢いで洗脳されそうな類の小説ではあるが、生まれた国が違ったのが良かったのか、私自身は特に右翼的な傾向を持つこともなく大人になった。それでは、一体何に強く影響されたのかと言えば、やはり「自己犠牲」的な観念の追求である。今になって思い返すと、定期的に挟まれる愛国精神的な挿話も印象深いことは印象深いのだが(ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世の葬儀のシーンとか)やはりそれ以上に、エンリーコを取り巻く人々、とりわけ彼の母親が息子に示そうとする弱く貧しいものたちへの利他的な態度はいろいろと感慨深かった。今となってはかなりナイーヴな主題であるが、中には幼稚園の子どもたちや未亡人、病に苦しむ者といった分かりやすい「社会的弱者」の他にも、障害者施設に暮らす盲者の少年たちといったエピソードも含まれている。私は障害者だからと言って一概に「不幸だ」「気の毒だ」と騒ぎ立てるような書き方は大嫌いだけれども、改めて読み返してみても、その熱っぽい文体とは裏腹に、予想していたほどは彼らの境遇を俯瞰的に哀れんでいる訳ではないということに驚かされる。無論、「不幸だ」「かわいそう」という言葉がまま見られぬわけではない。ただ、私がこの物語を好きだと思うところは、そうした社会問題への意識の喚起を、作者が読者にエンリーコを通じて仮想体験させるその手法であり、社会的弱者に対しても、同情というよりは親愛の情を寄せるべきだとするその書き様である。とりわけ好きなのは、エンリーコの母親が幼稚園を訪ねるシーンだ。特に何の教訓がある訳でもないのだけれど、べたべたと汚ないちいさな手で、頭から靴の先まで子どもたちに取りすがられて、それでも彼女がにこにこと嬉しそうに笑っているところが、なぜか今でも強烈なイメージとして記憶に刻まれている。多分、言葉では言い表せない愛おしさの、その最も原初的な形がそこに表れているからだろう。愛国、正義、自己犠牲、と様々に苛烈なテーマが打ち出されてくる中で、しかしその根底にあるのはタイトル「クオレ」の通り「愛」である。身近な者への愛から国は一つに結ばれていくことを説いたこの物語は、国家の統一という作品の時代的特色が薄れた現在となっても、普遍的説得力を持つものとして私たちに訴えかけてくる。

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