歴史とは何か (1962年) (岩波新書)

  • 1962年3月20日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 参議院選挙を控え、何となく歴史について勉強しようかと思い手に取ったのが、本書。こういう本は読み方を知らないのだけど、自分なりに読み解くのも面白いかな、なんて。

    読んでみると、案外文章は読みやすく、それでいて中身の濃いものだった。幾つか面白いところがあったので、少し噛み砕きながら紹介してみたい。


    1つ目は技術に関する記述で、今の原発の問題にもつながっている。

    「どんな発明にしろ、どんな革新にしろ、どんな新技術にしろ、歴史の流れのうちで発見された限り、肯定的な面とともに否定的な面を持っていた」

    これは例えば印刷技術が進歩したことで誤った意見が広まってしまったり、あるいは自動車が普及したことで事故による死者が出てしまう、ということだと著者は述べている。これは自分も前から感じていたことだったのだけれど、これに対する著者の答えは、技術の果たす役割を意識すべきというもの。技術の悪い面に対して感情的に批判したり、あるいは技術を拒否したりしても、それは進歩ではないと切り捨てている。

    ただ本書には具体的にどうすればいいのかが議論されておらず、答えを曖昧にされてしまった感がある。やはりここから先は、自分たちの頭を使って、その技術にどういうメリットとデメリットがあり、どこまでそれに頼るかということを議論するべきなのだろう。

    だが嘆かわしいことに、現状は結論ありきの理由提示しかしない政治家、メディアばかりである。しかもそれは、ただただ感情的に反原発を訴えるものが大半だ。それは全く進歩ではない。泥沼に落ちたからといって石畳の上に戻っても、石畳を汚すだけである。泥沼に落ちたら必死になって長靴を探し、泥沼を渡り切るべきだと、私は思う。もしかしたらその先には、シャワーがあるかもしれないのだから。

    ちなみにこれは生命科学における遺伝子組換えの問題、ゲノムバンクの問題、合成生物学の問題などなどが、突き当たっている、ないしこれから突き当たることになる障害でもあることを、忘れてはいけない。


    2つ目は、歴史上の事実に関するもの。

    歴史的事実というのは歴史家の解釈に依存していて、客観的なものではない、ということが述べられていた。つまり歴史家が大事だと思わなければ、それは重大事件にはならないということで、まさにその通りだと思う。

    そして、それは科学者にも通じるものではないかと、自分は感じた。ある講演会の懇親会の席で聞いた話だが、その先生は長年ある組織の細胞を研究していた。ある時、組織から取り出した細胞を使って、細胞が突起を伸ばす条件を見つけたのだが、実際に生体でもそうなっているのか半信半疑だった。そこで実際の組織の中の細胞を観察してみると、一目で分かるくらいに、同じような突起を伸ばしていたのだそうだ。何百回もその組織を観察してきたにも関わらず、その時初めてそのことに気付いたのである。その先生曰く「自分の見ようとしているものしか見えない」のだそうだ。

    それは自分でも経験していて、同じ画像データでもわずかに視点を変えるだけで新たな情報を得られることが幾度もあった。つまり科学者もまた自分の解釈に依存しているもので、客観的な科学的事実というのは、実際には無いのではなかろうか。

    もちろん科学が全て嘘っぱちと言いたい訳ではない。再現性を確かめることによって結果が一般的であることが証明されれば、それは揺るぎない真実だろう。ただしそこに科学者たちの眼というフィルターがかかっていることは、意識するべきだと思う。


    その他にも色々と考えさせられる内容ばかりで、この約50年前に刊行された書物は、時を経て色褪せるどころか、歴史に磨かれて輝きを増しているようにさえ、感じられた。

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