ABC殺人事件 (1959年) (創元推理文庫)

  • 1959年6月20日発売
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  • 『私は、このふしぎな犯罪の連鎖の結果として起る、副次的な人間関係について、いくらか多くを語りすぎたかもしれない。けれども、人間的個人的要素というものは、見落されてはならぬものだ。エルキュール・ポワロがかつて、芝居がかった身ぶりをしながら、私に教えてくれたことがある。ロマンスというものは、犯罪の副産物であることがある、と』―『英帝国陸軍大尉アーサー・ヘイスティングズによるまえがき』

    アガサ・クリスティのミステリーには謎掛けめいた会話が多いことが特徴だと思うけれど、謎解きに夢中になる読みを終えてからの再読では、その会話に暗示めいたところが随分とあることに遅まきながら気付く。その会話の当事者たちの間の関係が示唆されていたり、あるいはちょっとした騙し討ちがあったり。そんな風に言うと刑事コロンボや古畑任三郎の台詞回しを思い浮かべてしまいもするが、ポアロのそれは、そんなあからさまなものではなく、自然な会話の中に滑り込ませた罠という感じがよく出ている。そしてヘイスティングズ大尉が語る(ということにしておこう)序文にはクリスティ自身の言葉と受け取って良さそうなところが多々あるが、特に「人間的個人的要素」というものがこの一冊の中で、ミステリーの要素としても、あるいは物語の設定の要素(社会的背景を短い会話の中で提示したり、人物の暮らしぶりや出自を匂わせて読者をある方向へ誘導したり)としても、とても有効に機能するように会話の中に忍び込ませてあることに、今更ながら気付いた。クリスティが生前ミステリーと並んで戯曲でも成功していたということの理由も推し量れるというものだ。そして、その最たる会話(作家から読者への)による誘導が実は冒頭の序文にある。因みに、以前読んだBerkley Books版を見ると序文は目次の前(よくある形式で本文とは切り離された位置)に置かれていて、目次の後に置かれている(ので本文と不可分の印象を与える)東京創元社版とは少しだけ本の体裁の印象が異なり、作家から読者への語り掛けという印象がより強くなっている。そして、徐[おもむろ]に第1章は始まる。

    『一九三五年六月に、私は、南アメリカの自分の農場から、約六ヵ月の滞在の予定で帰国した。私たちの困難な時代で、ほかの人たちと同様、私たちもまた世界的不況になやまされていた。イギリスには、自分で手をつけなければとてもうまくいきそうにもない用事が、いろいろとあった』―『1手紙』

    「わたしたちの困難な時代」とは、次の極短い年譜を見れば一目瞭然だろう。
    1921年7月 ヒトラー、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)第一議長となる。
    1929年10月 世界恐慌始まる。
    1933年1月 ヒトラー首相となる。同10月ドイツが国際連盟から脱退。
    1935年3月 ドイツ再軍備開始。
    因みに、作品の出版は1935年9月。

    執筆された時点でドイツの再軍備はまだ始まっていなかった筈だが、第一次世界大戦の賠償に喘ぐドイツでのきな臭い動きは既に顕著であった訳で、経済的苦境とドイツ人への色眼鏡というのは当時のイギリスで誰もが共有する一般的な状況だったと想像できる。そのことをドイツという単語を出さずに読者に意識させていると見ていいと思う。「自分で手をつけなければとてもうまくいきそうにもない用事」というのも、ヘイスティングズの個人的な用件とも取れるし、イギリスがドイツとの関係を見直すことを示唆しているようにも読める(この作品が書かれた時点でイギリスはドイツに対してまだ妥協的柔和な態度を保持)。やがて第一の殺人事件が起き殺された女性の夫が容疑者として挙げられるのだが、彼がドイツ人であるのはもはや意図的とも言えるだろう。

    『……まだ、近所でアッシャーを見かけたというものを見つけ出せません。しかし、もちろん、まだこれからです。彼は九時ごろ『スリー・クラウンズ』でかなり酔っぱらっていました。逮捕しだい、容疑者として留置することになっています」「あまり好もしいタイプの男じゃなさそうですな、刑事さん?」ポワロがきいた。「いやな野郎です」「彼は細君といっしょに住んでいなかったのかね?」「そうです。何年もまえに別れました。アッシャーはドイツ人で、一時は給仕をしたこともありますが、酒を飲むようになって、だんだん雇ってもらえなくなりました。……』―『4アッシャー夫人』

    ここでポアロが何気なくつぶやく「あまり好もしいタイプの男じゃない」という一言は、ベルギー人のポアロにとっては外国人全般に対する偏見(国内経済が苦境に陥るとどの国でも起こる風潮だが)を考慮すれば自身の本音が漏れたというよりは、相手が口を滑らせ易くするための一言であったと解釈されるべきだろうが、上記のような隠れた意図を感じてしまうと、ポアロが小国ベルギーの立場を表明しているようにも、クリスティ自身の声とも聞こえる。因みに、ナチス・ドイツによるベルギー侵攻は1940年5月。

    ところで、この再読している東京創元社刊の「ABC殺人事件」は1959年初版の第72版で、1979年に出版されたもの。当時は全く気付いていなかった、というか知らなかったけれど、翻訳者は堀田善衛。戦後に活動した作家、評論家だが、ジブリの宮崎駿が敬愛している作家としても知られていて、その著作の一部はスタジオジブリ出版から復刻もされている(その内の一冊で堀田善衛を知った訳だ)。残念ながら、翻訳者のあとがきは無く、中島河太郎による解説が付くだけなのだが(この解説はクリスティの為人[ひととなり]を描いているものとして興味深い)、どうして堀田がこのミステリーを翻訳したのかや、翻訳に込めた思いなどは解らないものの、務めていた会社が解散の憂き目にあった後、翻訳を生業としていた時期があったよう。他にもクリスティの作品を翻訳しているとWiKiにある。英国社会では重要な要素でもある多様な階級の人々を描き分けようとしていることはよく伝わってくる翻訳だと思うが、とは言え、多少時代を感じさせる言葉遣いなどもあるにはある。例えば、

    『ちょうどアッシャー夫人の店のむかい側に、八百屋の店があった。品物がなかにあるよりも、おもてに出ているほうが多いといった種類の店だ。ポワロは低い声で、私たちに、ちょっと指示をあたえておいてから、ひとりで店にはいっていった。私は一、二分待っていてから、あとにつづいて入った。彼はちょうどちしゃを買っているところだった。私はいちごを一ポンド買った。ポワロは、品物を包んでくれている肥ったおかみさんと威勢よく話していた。「あの殺人事件がおこったのは、お宅のむかいですな? なんということでしょう。さぞ、驚きなすったでしょう!」その肥った女は、人殺しの話にうんざりしているらしかった』―『6兇行現場』

    「ちしゃ」という言葉が1952年当時どれ程一般的だったかどうかは不明だが、今なら間違いなく「レタス」と訳されるだろう。因みに、原文は;

    『Almost exactly opposite Mrs. Ascher's was a greengrocer's shop—of the type that has most of its stock outside rather than inside. In a low voice Poirot gave me certain instructions. Then he himself entered the shop. After waiting a minute or two I followed him in. He was at the moment negotiating for a lettuce. I myself bought a pound of strawberries. Poirot was talking animatedly to the stout lady who was serving him. "It was just opposite you, was it not, that this murder occurred? What an affair! What a sensation it must have caused you!" The stout lady was obviously tired of talking about the murder. She must have had a long day of it.』

    と、Lettuceを買った(negotiatingだからまだ買ってはいない)ことになっている。蛇足だが、原文で読むとポアロが時々挿むフランス語のフレーズや、母国語話者風ではない言葉遣いで特徴が表現されていて面白い。ここでも「was it not」は普通の会話なら「wasn't it」となるだろうけれど、「was it not」と形式ばった書き言葉風の表現が用いられていて如何にも外国人風との表現なのだろう。

    『「おそらく、結婚の記念写真だね」 ポワロがいった。「みてごらん、ヘイスティングズ、彼女は美人だったと私がいっただろう?」そのとおりだった。古めかしい髪型と、奇妙な着物のせいで、そこなわれてはいるが、目鼻立ちのはっきりして、しっかりしたものごしの娘の美しさは、疑いようがない。私はもう一人の人物をよく見たが、この軍人ふうのものごしのスマートな青年が、あのみすぼらしいアッシャーだとはとても思えない。私は、あの横目を使う酔っぱらいの老人と、働き疲れた顔の死んだ老婆とを思い出して、いささか、時というものの無慈悲さに身ぶるいした』―『6兇行現場』

    ABC殺人事件は比較的初期(出版時の作家は45歳)の作品ではあるものの、この箇所を読んで「老い」という隠れたテーマのようなものがあるのではないかと思い始めた。そもそもこの事件が起きた時点でポアロは既に引退していたとある。つまり、この事件の当時、探偵は既に歳を取り、時代遅れと見る向きもあったのだ(新進気鋭のスコットランドヤードの刑事に馬鹿にされているし、ある意味、そこが犯人の狙いでもあった訳だ)。そのことは第1章の「手紙」の中にあるヘイスティングズとポワロのこんな会話からも伺い知れる。ヘイスティングズがポワロの髪が相変わらず黒いことを訝るとポワロは髪染めを使っていると種明かしをする。それに驚いてこう言うのだ。

    『私は、驚きから回復すると、いった。「おや、おや、じゃ、こんどまた帰って来たら、君はつけ髭でもしているんじゃないかな――それとも、今のもつけ髭かな?」ポワロはひるんだ。口ひげは、いつも彼が敏感になるところだった。彼は、口ひげをとてつもなくじまんにしていた。私の言葉が、その痛いところにさわったわけだ。「ちがうよ、とんでもない、君。そんな日は、まだなかなか来ないことを祈るよ。つけ髭だなんて? なんて恐ろしい!」彼は、ひげがほんものであることを証明するために、勢いよくひっぱってみせた。』―『1手紙』

    ここで熱心なポアロ・ファンならピンと来るだろう。引退したポアロが「つけ髭」であったことを吐露するシーンがあったことを。そして鬘[かつら]であったことを。そう、クリスティが生前出版した最後の小説にしてポアロ最後の事件を記した「カーテン」で。「そんな日は、まだなかなか来ないことを祈るよ」というポアロの言葉が急に意味深に聞こえて来ないだろうか。もっとも、85歳で亡くなる作家がこの件りを書いたのは死の40年以上前のこと。流石にそこまで伏線を張っていたとは思えないと考えるのが自然だと思うけれど。ただし、カーテンの(少なくともオリジナルの)執筆自体は大分早かったと見られているのも通説ではあり、二つの作品の間にはそれ程の年月は空いていないのかも知れない。尚、カーテンの時代設定については不確実ながら、第二次世界大戦中との分析が有望らしく、だとすると、ABC殺人事件の10年程後、いよいよ「そんな日」が来たということにはなる。

  • Aから始まる名前の街でAから始まる名前の人物が殺される。名探偵ポワロに届く犯行予告。ポワロや警察の奮闘虚しく事件はB、Cと繰り返される。
    共通点がまるで存在しない被害者の周辺から、ポワロは犯人の犯罪心理を解き明かし、被害を食い止めることはできるか。

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