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感想・レビュー・書評
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兄から勧められて読んだ本
これは坂口安吾のエッセイ。彼は「美」とされるものに反発し、美的考慮の無い実質こそが「美」であると考えている。彼が猛烈に心惹かれたドライアイス工場について考えると、その工場には一切の美的考慮がされていないからだろう。実際にそこら辺の工場を見れば分かる。太いコードやレール、室外機、ダクト、煙突などその工場に必要な設備が剥き出している。
そこにはただ必要な物のみが揃い、形を成しただけの建物がある。これこそが彼の考える実質であり、美しさなのだろう。
しかし文中の「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。」という考えはいかがなものかと思うが、これに対する反論ができない為何も言えない。
なんとかして「なぜ文化施設を壊してはならないのか」を言語化して反論してみたい。
僕がここ数年で路地裏に魅力を感じるようになった理由も似ているような気がする。路地裏は設備で入り組んでいて、汚れも多い。間違いなく綺麗ではないだろう、しかし何故かそこに美しさを感じる。
駅の屋根裏や飲食店の路地裏は特に綺麗ではない。
そういった多くの人が利用する施設ほど、複雑で入り組んだ設備を見ることができる。その路地裏を見るたびに僕は人間の営みを感じる。
「綺麗ではないが、美しい。」がキーポイント。
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Manabeeという学習サイトでこの小説を題材に国語の評論文の授業があるので読んでみることに。
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