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感想・レビュー・書評
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20歳という節目の年に、戦後70周年ということで、また、映画化されるということで読んでみた。初代首相から現在の首相まで覚えたから、終戦時の首相は知っていた。
だが私の周りにはどの程度の人が鈴木貫太郎という人物を知っているのか定かではない。
きっと少ないだろうと思う。学校の授業ではそこまで深くは勉強しないし( そもそも学校で教わる歴史は受験勉強に必要な歴史でしかないと思う ) 、自分で知ろうと思わなければ知らないことだと思う。
戦時中を生きた人が居なくなりつつあり、忘れられた記憶になろうとしつつある今だからこそ、リメイクされて映画化される価値があると私は思う。
鈴木貫太郎と阿南陸相、それから昭和天皇。この3人があの時あの瞬間、揃ったからこそ終戦という決断が生まれたということを知れてよかった。 -
岡本喜八監督の映画版を先に見ていたが、映画が思ったよりも原作に忠実だった。映画版・原作ともに登場人物が多く、しかも同時進行でいろいろなことが起きる。映画版を観たときは、時系列や人間関係を上手に整理し、テンポ良く場面を切り替えていく手つきに感心したのだが、そもそも原作がそういう作品であることがよくわかった。
両者の違いは、作り手の視点である。映画版はテンポの良さがある種のドライさにつながり、登場人物をどこかつき離している。事件全体を、いまの視点から俯瞰してとらえている。一方、原作は文体がエモーショナルで心理描写も多く、登場人物に寄り添っている。これは岡本喜八と半藤一利の資質の違いであるとともに、原作がナラティブが元になっていることに起因しているのだろう。
映画版は、毎年8月に見返すようにしているのだが、原作も折に触れて読み返したい。 -
終戦間際の玉音放送の準備が進められている横で、陸軍の青年将校たちがクーデターを実行しようとしていたなんて全然知らなかった。昭和天皇が吹き込んだ録音盤が奪われる寸前だったとか。
いろんなタイミングや歯車で、無事に玉音放送を迎えられて、そして日本は(問題はあったかもしれないが)戦後をこのような形で歩み始めることができたわけで、それが当然のように考えていた。もしあの時の誰かの動きが少しでも違っていたら、何かのタイミングがずれていたら、玉音放送は幻に終わって、鈴木内閣は倒されて軍事政権樹立して、米英は日本がまだ抗戦するつもりでいると考えて本土決戦が始まり、みたいな最悪(最悪っていうのも相対的だが)の事態に陥っていたかもしれないと思うと、あれこれ綱渡り、危機的状況だったんだと思った。戦争終わらせるのもいろんな人の思いがあるから大変だったんだ。。
しかし、人の名前と役職名(軍の階位?)が次々出てくるので、読みにくかったといえば読みにくかった。。 -
玉音放送の前24時間の間に起こった皇居占拠クーデタなどを時系列でたどる記録。現代史としては「反乱を試みたものもあったが速やかに鎮圧された。」くらいで終わる事件だとしても、まかり間違えば歴史に大きな影響を与える可能性があったこと、そして、そのような事件があったこと自体自分が認識していなかったことを痛感。
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Audible。挫折。注が多いものは聞き辛い。タイトルからして仕方ないが、詳細な話が多く正直ダレる。もちろん、たくさん面白いところ、日本人として知るべきことはある。とはいえ、(紙で読んだが)昭和史の方が面白かった。
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プロローグとエピローグを除けば昭和二十年八月十四日正午から翌日の八月十五日正午までの物語。
とても読み応えがあります。
今年は特別に8月10日から15日の間だけ、東京都千代田区の国立公文書館において「終戦の詔書」の原本が公開される。
この「日本のいちばん長い日」の154ページから155ページにかけて詔書の完成形について記されているが、そのような細かい部分も見れるのは貴重だと思う。
出来れば見に行きたい。
「国立公文書館」
http://www.archives.go.jp/
平成27年度 第2回企画展「昭和20年 -戦後70年の原点-」
日本経済新聞「昭和20年、公文書でたどる 国立公文書館の企画展示始まる」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24HBF_V20C15A7CC0000/
文芸春秋
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483159 -
終戦記念日に合わせて読もうと思ってたのに、のびのびになって2ヶ月も遅れてしまった
終わらせることの難しさを恐ろしく感じた
息が詰まって苦しくなる -
ふむ
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当時の日本人にとって国体護持がどれほど重要であったか、この本を読むまで想像もつかなかった。それと同時に、これほどの転換点の先に今があるという事実が切なく感じる。