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感想・レビュー・書評
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2021年11月のまご読で扱いました。
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主人公はどうしようもない人ですが、そこから吐露される感情のなんとリアルで人間くさいこと。読みながら「太宰って…
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太宰治はエッセイは書けないと言っていたと思うのだけど、これは私小説なのかな。
鬱々と陰気に自分の内面を語りながらも、奥さんの描写が目に浮かぶように的確。「涙の谷」という表現が忘れられない。 -
桜桃忌
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太宰治の命日を「桜桃忌」と言い、晩年に書いたこの小説にちなんで命名されました。さてその小説は、夫婦喧嘩の話でありながら、自殺や死をほのめかすような雰囲氣を強く感じます。まさに人間の闇を感じます。「私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する」の一文、太宰の比較的軽やかな作品は、その逆の心境の時に書いていたのかと思うと、ショッキングでさえあります。
「子供より親が大事」「涙の谷」等のいくつかキーワードがありますが、何気に「いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)」に目が留まりました。昔から「酒・タバコ・女」は人生の堕落の象徴、そして依存性のある逃避先で、そこから真の幸せは生まれない、もっと現代人は過去から学ぶべきと思いました。 -
能登麻美子お話NOTE
彼の純粋さに見えるものは、自分の存在をいぶかしく感じるほどの空虚さなんだ。
この作品が発表された年に死んだのか。
芥川龍之介と太宰治をごっちゃに考えてた。 -
私小説なのか、日記なのか、私的エッセイなのか、よく分からないが、小説家の自宅における気詰まりな暮らしを叙述するだけで一編の小説になるから面白い。さすがは太宰。
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「太宰は常識の人柱だったかもしれない。」
夏のある日、三畳間で幼い3人の子供と食卓を囲みながら、妻とざらざらとした応酬をする「私」。やがてその空気から逃れるように家を飛び出し入った飲み屋で出された桜桃の味とは。太宰治がその死の直前に書き、命日「桜桃忌」の由来ともなった作品。
・父としてあるまじき「子供よりも親が大事」と公言
・子育てに大変な妻を前に家事も手伝わず冗談で紛らわす
・大して数をこなしているわけでもないのに仕事を理由に家に帰ってこない
・酒飲み
・若い女友達多数
短編にもかかわらず、太宰の自白による駄目ポイントは枚挙に暇が無い。これらに心の中で言い訳をしながらフタをして、最終的にその場から逃げるように家を出る。そんなシチュエーションの中で、子供にさえ食べさせたことのない桜桃が美味いわけがないのだろう。その一粒一粒がことごとく自身の駄目ポイントと化す。
〈しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き〉
駄目な男の告白と読めばそれまでだが、世間がいうところの「父として、夫として、男としてこうあるべき」という姿は、まあ一般的に出来ていない人間が多いからこそ言われることなのでしょうね。
今は情報の発信も自由でその分、世の中には様々な夫婦が在って、皆が皆完璧な夫や妻ばかりではないこともわかってきたから、もちろん人にもよるが、こういう告白をされてもそれほどびっくりはしない。
でもまだ個々の家庭の事情などは一切表に出ず「あるべき姿=当たり前」と信じられていた時代には、太宰の告白は世間に衝撃を与え、一方で密かな共感を以って迎えられたのではないかと想像してみる。
ある部分では太宰的な駄目ポイントを抱えた人も、普通はそれを自らの中に封印して、当たり前の常識人を装うことをしている。それは現代でも、多かれ少なかれ皆しているはずだ。太宰治はそういうことが出来ない不器用な人だったのではないのだろうか。皆が口にはできない駄目ポイントを太宰は代わりに抱えて逝ったのかもしれない。 -
身も蓋もない太宰。