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感想・レビュー・書評
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いつかどこかで読んだ記憶もあるけれど、もう一度読んでみようと思ってた本。
人食い虎になってしまった人間と友人の邂逅。
人間の意識が戻った時に、人を食べてしまったことへの嫌悪感、徐々に人の意識に戻る時間が短くなっていく恐怖感はどんなものなのだろう。想像もできない。
短いけど、悲哀溢れる物語で切なくなる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心 -
自分の中には猛獣がいる。
李陵の場合は、臆病な自尊心だった。
自分の場合はどうだろう?
すでに虎に喰われているのかもしれない。虎になっていることすら気づいてないだけかもしれない。
怖れと嘲り。憤りと畏怖。
どちらも自分の中にある。
松下幸之助は、素直であることが一番大事だと言った。
ドラッカーは、真摯さが大切だと言った。
自分は、自分に対して素直だろうか。虎から目を背けていないだろうか。
いくつになっても、この作品は自分に生き方を問うてくる。 -
彼が読者を得られなかったのは、自業自得でもあるが彼の不幸だと思う。
世界はそれほど悪意に満ちた人ばかりではない。もし作品を見せ合って批評し合うことができていたら、一人くらいは李徴の作品を好きだと言ってくれる人が現れたのではないだろうか。
こんなもしも話を次々と想像してしまう、読者に読解の余地が残された本。 -
言葉の力をひしひしと感じる。カタイ印象の強いはずの漢文調の文体で、こうも繊細で切ない文章を生み出す不思議です。
最初一文目から、初めてこの作品を読んだときの衝撃を思い出し、李徴が朗々と詠う詩に感動しました。李徴と自分を重ねて若干鬱になるけど、それと同時に「私だけじゃないんだ」と、ちょっと安心もしてしまいます。
引用めも
・羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。
・人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。 -
何故虎になったのかの解釈で、ネットで面白い解説をしてる方がいて、成る程と思いました。
しかし私には文章が難しかったですね。。
虎さんの詩の意味が理解できず、素晴らしい詩なのか普通なのかもわからず…(笑)
山月記は国語の授業で出てきたはずなんですが、詩の内容全く覚えてないです。。