百物語 [Kindle]

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  • 2012年9月27日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 森鷗外文学忌 1862.2.17ー1922.7.9 鷗外忌
    新潮文庫では、山椒大夫・高瀬舟に収録
    夏のホラーに文豪の百物語を、ですが、一話も語られていません。
    おそらくは、ご本人が「百物語」の催しに招待されて、参加しようとした時の、参加者や主催者を観察した人間模様。
    なかなか豪華な催しで、客人が船にわかれて乗り込み会場の寺に向かう。仕出し料理なども準備されていて、それを振る舞う主催者も、なんとなく客人を観察しているような傍観者になっている。
    一通り人間観察が終わったら、話が始まる前に帰ってしまう。
    冒頭で、この作品も翻訳されるかもしれないからと、百物語の説明を入れているのですが、ここが、鷗外のユーモアなのか本気なのか、判断が難しい。

    • 土瓶さん
      おびのりさん。ひさしぶりー(^O^)/
      おびのりさん。ひさしぶりー(^O^)/
      2023/07/09
    • おびのりさん
      ご無沙汰です。
      ご無沙汰です。
      2023/07/09
  • 先の森見登美彦「新釈 走れメロス」で「新解釈」された名作短編の中で、最も知られていない一編であろうと思う。私も知らなかった。それで俄然興味を持ち読了した。森見版「百物語」と構造は同じ。所謂、狐に包まされた感は、森見版の方が優っている。

    「百物語は過ぎ去った世の遺物である」
    と森鴎外の分身ともいうべき「僕」は言っている。もはや明治も終わりごろ。怪談話は荒唐無稽の話になりつつあったのだろう。今回の催しにしたって、途中に酒や食事を出てくるわで、最初から怪談話がメインじゃない。

    飾磨屋(しかまや)という一代の分限者が大勢を招待し、屋形船に乗せて、両国の北の寺町辺りの見知らぬ土地に連れてゆき「百物語」をするというのである(森見版が生まれた契機は寺町通りの喫茶店だったのだが、これは単なる偶然か?)。「僕」は冷めた目でこの催しを見ている。

    主催者もかなりの変わり者である。
    「そう云う心持になっていて、今飾磨屋と云う男を見ているうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢うような心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた」
    世の中を傍観しているのだ。

    森見版と同じように、主人公は怪談話が始まる前に会場から去ってゆく。

    「二三日立ってから蔀君に逢ったので、「あれからどうしました」と僕が聞いたら、蔀君がこう云った。「あなたのお帰りになったのは、丁度好い引上時でしたよ。暫く談を聞いているうちに、飾磨屋さんがいなくなったので聞いて見ると、太郎(私注‥‥芸者)を連れて二階へ上がって、蚊屋を吊らせて寐たというじゃありませんか」

    やはり、1番冷めていたのは主催者だった、
    という話である。
    そこはかとなき怖しい。
    ただ、森見版もいろいろ凝っていてなおかつ、主催者と思しき人間が人間ではないような作りになっていて、更に恐ろしかった。

    森版よりも森見版の方が優れているということではない。森見登美彦の選択の勝利である。

    森鴎外版は、つまりは「普請中」の明治における、近代的自我の存在を描いたのかもしれない。

  • 森鴎外の手になる、人間観察記とでもいうべき小品。

    ある日、若き大富豪「飾磨屋」が、「百物語」の宴を企画した。招待客とともに船に乗り、飲食したのち、噺家による百物語を楽しむという。

    知人にそのイベントに参加しないか持ちかけられた男は、いかにも前時代的で無駄に豪華な企画と、まだ会ったことのないその富豪の企画者に興味を抱き、参加することにする。

    しかし、その興味の対象であった「飾磨屋」は、想像していたのとは真逆の、沈鬱で地味な若い男だった。そして、そんな彼に従う、「東京で最も美しい芸者」と称されている筈の「太郎」も、これまた地味が過ぎる姿で…。

    二人の姿は、まるで、「病人と看護婦」のよう。

    そういう印象を抱いた語り手の思考は、落胆の気持ちと相絡まりつつも進んで…。

    なんてことないお話なのですが、鴎外らしい冷徹さと、分析力、それを現すような硬質な文体が相まって、なかなかなかなか興味深いです。
    鴎外らしいニヒルな「傍観者」理論は、なんだか胸に残ります。

    ただし、タイトルからして怪談話かと思いきや、結局そうではなかったのは少し肩透かしかな。

  • 〝百物語〟とは、蝋燭を百本立てて置いて、一人が一つずつ化け物の話しをしては、一本ずつ蝋燭を消していく。百本目の蝋燭が消されたとき、真の化け物が出るという。その余興に誘われて出向いた著者が、柳橋の船宿や屋根船に集い合った客と芸者らを「傍観者の眼」で詮索した思いを綴っている。怪談話には触れられないまま、冷めた観察眼からは無味乾燥の虚無の味が残った。【森鴎外】が49歳で発表した明治44年の短編。

  • 鴎外 森林太郎さんは、脳内に最上質のおがくずをぱっつんぱっつんに詰め込んでゐるらしいのである。
     なので、アレとかソレとかは、「鴎外は力をためている」「どうしちゃったの鴎外」作品ならしいのである。そして、これが、「いつもの鴎外」らしい。てふか、「鴎外文学の最高峰」らしい。
     きちんとした文章が書き連ねられ、すげえへくろくっだらねえ上に何ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッにもない、といふ凄まじい作品である。
     後の『ポプテピピック』なぞは歯牙にもかけない、すっげえやる気がない主人公が暇つぶしと
    「この文章が外国へ紹介されて」
     どうのとかが出て来てざっくり百物語を紹介するのが描かれ、ほんでそこへ行く。良い。

  • 森見登美彦の新釈を読む前に予習。

  • 森見登美彦さんの元ネタとして読んだ。
    カナカナ表現など、所々分からないところがあるが、時代背景などと合わせて調べながら再読したい。

  • そこはかとなくわかる気がする。
    が、これを文章にするって、そして発表するって。
    わからない、文豪って。

  • 怪談かと思ってたら、違った。

  • まず森見登美彦さんの”新釈百物語”を読んでからのこちらなので、なにかほんの少しでも怪談めいた要素を期待していた。
    しかし、そうではなかった。
    百物語といっても怪談ではなく、百物語という催しに一観客として呼ばれた青年。彼が好奇心をまるだしにして、百物語に集う人々を観察しているのが面白い。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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