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感想・レビュー・書評
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スランプに陥った作家が赤蛙と出会い勇気をもらうお話─
と、俗っぽく解釈してみましたが、島木健三の生い立ちとかも併せて考えないと理解の難しい作品ですね。
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”誰でもさうだらうが、私も体が弱るにつれて、それが悪臭なら無論、芳香であつても、すべてのにほひというふにほひには全く堪へ性がなくなつてしまふのである”
”私がそんなことを考へてゐる間にも、赤蛙は又も失敗して戻つて来た。私はそろそろ退屈しはじめてゐた”
”しかし私には本能的な生の衝動以上のものがあるとしか思へなかつた。活動にはひる前にぢつとうづくまつてゐた姿、急流に無二無三に突つ込んで行つた姿、洲の端につかまつてほつとしてゐた姿、――すべてそこには表情があつた。心理さへあつた。それらは人間の場合のやうにこつちに伝はつて来た。明確な目的意志にもとづいて行動してゐるものからでなくてはあの感じは来ない。ましてや、あの波間に没し去つた最後の瞬間に至つては。そこには刀折れ、矢尽きた感じがあつた。力の限り戦つて来、最後に運命に従順なものの姿があつた。さういふものだけが持つ静けささへあつた。馬とか犬とか猫とかいふやうな人間生活のなかにゐるああいつた動物ではないのだ。蛙なのだ。蛙からさへこの感じが来る、といふこの事実が私を強く打つた”
”私は自然界の神秘といふことを深く感じてゐた。私としては実に久方ぶりのことであつた。天体の事、宇宙のことを考へ、そこを標準として考へを立てて見る、といふことは私などにも時たまある。それは一種の逃避かも知れない。しかし豁然とした救はれたやうな心の状態を得るのが常である。その時と今とは同じではない。しかし自然の神秘を考へる時にもたらされる、厳粛な敬虔なひきしまつた気持、それでゐて何か眼に見えぬ大きな意志を感じてそこに信頼を寄せてゐる感じには両者に共通なものがあつた”
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ヤモリ(イモリ?)が赤蛙に変わっただけで、まんま志賀直哉「城の崎にて」だろう。
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梶井基次郎とかそういう感じで好きな話。