―教養としての歴史―日本の近代(下)(新潮新書) (教養としての歴史 日本の近代) [Kindle]
- 新潮社 (2009年6月17日発売)
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感想・レビュー・書評
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福田和也による、日本の近代史の下巻。上巻は第一次世界大戦までだった。この下巻は、そこから、第二次世界大戦が、終わるまで。上下巻を合わせると、1853年のペリー来航から、1945年のミズーリ号甲板上での、日本の降伏文書の調印式までの、92年間が扱われている。
近代史の興味の中心は、なぜ、日本が第二次大戦に突き進んで行ったのか、少なくとも私の興味の中心はそこにあったし、今でもそこにある。筆者は、歴史的な事実で、そのあたりの経緯を書中で説明してくれている。
一方で、あとがきの中で、そういった歴史的事実とは別に、日本人は当時、現実感覚を失ってのではないか?という感想めいたことを書いている。人生に意味があるとすれば、それは、自分が具体的に出来ることをし、何らかの役に立つことだけ。そういった、生きるということの、実際的な側面を軽視し、現実感覚を失っていた、過度に理想主義的に、過度に思想重視になっていたのではないか、と書いている。現実を直視せず、見たいことだけを見ていた、という意味ではそうかも知れないな、と思った。
いずれにせよ、上記の92年間は、ある意味でグローバル化への対応だったと言えるかも知れない。黒船により、開国を余儀なくされて以降、右も左も分からないまま国際社会の中で列強の支配下に入らずに生きていく道を探り続けたというのが、日本の近代史のコアの部分かも知れない。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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