赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1―(新潮文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 愛読書は太宰治の「人間失格」なのだけどそれを正直に言うと厄介だと思われそうな相手によく「赤毛のアン」って言ってる!L.Mモンゴメリが紡ぐ言葉の美しさを原語のまま受け取りたいと思って英語の勉強を頑張っていたのが中学生時代。(途中で諦めた)そんな私と英語の思い出の根幹にあるモンゴメリの作品は、村岡さんの翻訳が一番好きです。あ、いつぞやの朝ドラ「花子とアン」の花子さんよ!そばかすと茶髪がコンプレックスだった幼い頃、母がよくアンみたいで可愛いじゃないと言ってくれて、感情の起伏が激しいところもそっくりだと、よ<自分とアンを重ね合わせました。久しぶりに読んだら、まじクレイジーガールすぎてついていけなかったわ、私も大人になったなぁ。優しい表現に溢れて、めちゃくちゃ心地よい、大好きだ。

  • 赤毛のアンの自由奔放な生活とマシューとの関わり方がとても人間味溢れる物語であった。

  • オーディブルで本を聞きまくっています
    100分で名著でマシューのアンに対する接し方(堅物なのだけれども誠実な姿)が今の年配者の若者に対する接し方・・というコメントを聞いて聞き始めました。名作だけど確かに女の子が読む本だと思ってまだ読んでいませんでした。
    初老の男性マシューカスバ―トは、”そうよのう””そうかもしれんな”といいつつ黙って話を聞く、それが楽しみ。そしてハフプリーズの袖の服をかったり、そして農作業で働きながらばったり死ぬ。そんな老人になりたいと思った。
    目の前の幸せを幸せと思い、通常生活をしながらばったり死ぬ。そんな人にあこがれた。
    テンポが速くわくわくさも今の小説に劣らない。私と同じような男性にもおすすめしたい本です。

  • 赤毛であることがアンのコンプレックスだったけれど、それも含めて愛してくれる家族のあたたかさを感じた。

  • スローリーディングをコンセプトとした読書会で10ヶ月かけて読んだ。

    アンの魅力に参ってしまう本。以下、素敵なセリフや文章を引用。

    ---

    ・何かを楽しみに待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ。(略)そのことはほんとうにならないかもしれないけれど、でも、それを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの。(略)なんにも期待しないほうが、がっかりすることより、もっとつまらないと思うわ。

    ・子どもを育てた覚えのある者なら、それこそ十人十色でどの子にも向くような、たった一つの育て方なんてあろうはずがないということがわかっているんだけれど

    ・着ている物が流行のものだと、よい人になるのが楽だわ

    ・あたし、ほかのどんな女の人とかえてくれるからといっても、かわりたくなんかないわ。(略)あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。たとえ一生、ダイアモンドに慰められてもらえずにすごしても

    ・一生懸命にやって勝つことの次にいいことは、一生懸命にやって落ちる(負ける)ことなのよ

    ・義務もそれに率直にぶつかるときには友となるのである

  • 赤毛のアンと若草物語好きなやつは大体友達

  • 私が子供のころから有名だった本作。どうも女子向けというイメージもあり、子供のころから手を伸ばさずにおりました。長じて後、数年前にローティーンになった娘に読書習慣をつけるべく本作を与えてみたのですが、「つまらない」「眠くなる」との反応。そこで初めて私も読んでみたのでしたが、確かにすごい面白いわけではない。サスペンスはないし、アンの自意識過剰感もなんというか「やかましい」。一通り読んだのですが、特に大きな印象を持つこともない読書体験となりました。

    最近、少し英米文学を読む機会があり、興味がわき本作も再読してみる気になったのですが、前回と大分印象が違いました。なぜだかわからないけど。美しい自然の描写はもとより、アンの無邪気さ、みずみずしさ、子供らしさが非常に印象的でした。

    男児を所望するも手違いで女の子を引き受けることになったのは、育て親たるマリラとマシュー。彼らがアンにひかれていくのもその無邪気さや子供らしさなんだろうなと確信しています。自分の子育て経験を振り返っても、あれせい・これせい・あれはすんな・こうしなさい、と親としていろいろ喧しく躾けるくせに、かわいいなあと思うのは、外食するときに何でも好きなものを頼んでいいよと言うと「じゃあ、うな重」とか言って予期せぬ出費で親を困らせたり、懸命に何かに打ち込み着の身着のままでベッドで寝込んでしまっている寝顔を見たときだったりします。立派な大人になってほしいと思いつつ、まだまだ自分のそばでかわいい子供でいてほしいとちょっぴり願ったり。親ってなかなか勝手なものです。
    アンがグリーン・ゲイブルスを離れクイーン学院への進学の希望が見えてきたころ、マリラとマシューが一抹の寂しさを吐露しますが、親目線で読んでいる私はすでに涙目。

    「なんてまあ、アン、あんたはおおきくなったんだろう!」とマリラ信じられないようだったが、その言葉の後からため息を漏らした。アンの背が伸びたことにマリラは妙に、なごりおしい気持がした。とにかく、自分がかわいがったこどもが消えてしまい、そのかわりに、この背が高い、十五にもなる、まじめな目つきの娘が思索的な顔をし、小さな頭を誇らしかにそらして立っているのだ」(位置No.5780)
    「アンのことを考えていたんですよ。あんまり大きな娘になったものでね ―― それにたぶん、こんどの冬にはここにはいなくなるでしょうからね。あの子がいないと、わたしはさびしくてやりきれないと思うんですよ」(位置No.5780)

    普段辛辣な批評家であるマリラがこう寂しさを吐露するところに、彼女の寂しさが一層伝わります。

    ・・・
    正直にいうと、世間で得ている評判ほど本作が万人受けするとは到底思えない、そう感じています。自然が美しい?で何? アンみたいな子がいたらイジメにあいそう・・・私が子供だったらそう感じるに違いないと思います。
    その点では、本作は大人向けの本、大人が「こども」の無垢をいつくしむ作品なのではないかと感じた次第です。文豪マーク・トウェインが本作を絶賛し、その文句がそのまま宣伝文句になったそうですが、むべなるかな、と思います。

    そういえば訳者の村岡花子さんの半生が『アンと花子』というドラマになっていましたが、あちらも気になっております。どこかで安く見られないかな。

  • 子供も読める文学の名作。
    孤児院から老兄妹引き取られた主人公アン。働き手の男子が欲しかったのに手違いで女子が家に来てしまった。「話と違うじゃねぇか」というところだが、空想力から来るアンのマシンガントークに徐々に家の欠かせない一員になっていることに気付く。
    続編もあるが、本編は育ての親の不幸で終わる。盲目になってしまった恩人の近くにいたいた願うアンは、目の敵としていた少年から思わぬ形で厚意を受け可能となる。
    God’s in his heaven, all’s right with the worldのエンディングのセリフである。

  • 題名は聞いたことがあったが内容を知らなかったため読んだ。登場人物の性格が一人一人特徴的だったので、イメージしやすく読みやすかった。アンの成長だけでなくマニラなど他の人たちの成長過程も伝わり、結局のところ素直になることは大事だなと思った。また、アンは自然豊かなところに住んでいたが自分もこんなところでのんびりしてみたいと憧れた。

  • アンは頭もいいし孤児院出身には見えないほどしたたかでまっすぐな子だが、癇癪を起こしてたいへんな事件をおこしてしまったり得意の想像が悪い方向にはたらいてしまったりするように、うまく長所が活かせない場面がある。そういうときどのようにしてアンが成長していったのか、ライバルのギルバートや親友のダイアナ、その他の大人たちとどのような関係を築いてどんな過程を経て心を通わせていったのか、成長を見ながら自分の生き方を考えるようになってほしい

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著者プロフィール

1874年カナダ、プリンス・エドワード島生まれ。1908年に最初の長篇小説『赤毛のアン』を出版。世界的ベストセラーとなる。オンタリオ州に移り住み、その地で数々の作品を執筆した。42年トロントにて逝去。

「2012年 『パットの夢』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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