氷川清話 付勝海舟伝 (角川ソフィア文庫) [Kindle]

著者 :
制作 : 勝部 真長 
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感想・レビュー・書評

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  • 本書とは直接関係はないが、海舟と南洲に纏わるお話を一席。

    題して「洗足池碑文の謎」(ダイジェスト)。
    (全編は、「西郷隆盛語録」に記した)

    散歩コースである洗足池に着くと、池畔にある勝海舟の墓に挨拶して、その隣にある海舟が自費で建てた西郷隆盛の書を刻んだ碑文を隅から隅まで毎回じっくり読むのが日課となって久しい。

    碑文の前には、大田区の教育委員会が作った解説の札が立っていて、その碑文に刻まれているのは、西郷隆盛が若い頃、沖永良部島に島流しにあった時に、死を覚悟して作った「獄中感有り」と言う有名な漢詩だと教えてくれる。
    しかし、西郷どんの達筆の草書体を毎日、文字通り手でなぞっている内に、大変なことに気が付いてしまった。
    碑文に刻まれていたのは、立て札に書いてある有名な「獄中感有り」ではない!ということに。

    碑文が作られたのは、西南戦争で西郷が自刃してから、2年後のこと、今から140年以上前のことだ。
    その間、碑文が「獄中感有り」そのものではなかったことに誰も気が付かず、大田区は立て札で堂々と碑文は「獄中感有り」だと解説で謳い、図らずも人々を欺いて来た、と言える。
    ほとんどの人が、立て札を読んで、碑文をチラリと眺めて「獄中感有り」の碑文を見た気になって、立ち去って行く。

    碑文に刻まれているのは、一見すると日本で最も有名な漢字詩である「獄中感有り」だ。
    しかし、それは「一見すると」なのだ。
    この碑文には、ある一文字が欠落しているのだ。
    その欠落によって、書は本来の七言律詩の体をなさないばかりか、意味もガラッと変わってしまうことになる。
    最初、それは碑文を作った勝海舟による改竄だろうと推測した。
    迫力ある書を活かすレイアウトをすると、どうしても一文字入り切らず、それを海舟が思い切って取り除いたのだろうと推理したのだ。

    碑文を良く見てみると、大きな雄渾な書体で書かれた詩文の後に、小さな文字で「獄中有感 西郷南洲」と刻まれている。
    問題は、その小さな文字の横だ。
    そこには、何かキズのようなものがある。
    小さなキズのようなものをよく見ると、それは詩文から欠落している一文字だった。
    欠落したある文字とは「無」の文字だ。
    これも海舟の仕業と解釈することが出来る。
    レイアウト上、詩文から欠落された文字を、そのまま欠落させるのは忍びなく、碑文の隅っこに取ってつけたように小さく残した、と考えるのだ。

    しかし、その碑文の横に建てられた徳富蘇峰による「海舟•西郷両英雄の顕彰碑」が新たな展開を示してくれた。
    海舟の邸宅の庭を借りて住んでいた蘇峰の業績を調べてみると、彼が西郷隆盛に関する書物を出していることを知った。
    国会図書館に蔵されているその書をパラパラとめくっていて「あっ!」と声を上げた。
    何故なら、西郷が大久保利通に与えた書が、碑文の書そのものであることを発見したからだ。
    その書には、碑文と同様、一文字が欠如しているばかりか、欠落した「無」の文字が、まるで書の汚れのように、端っこに取ってつけたように残されているではないか。
    ということは、有名な詩文を改変したのは詩文の作者である、西郷本人だったのだ。
    勝海舟改竄説を取り下げなくてはならない。

    この書の所有者は「勝精」だとある。
    勝子爵家を継いだ勝海舟の養子だ。
    だから、この書を勝海舟が所有していたことは間違いない。
    しかし、この書の元々の所有者は、勝海舟ではなく、大久保利通なのだ。
    西郷が自らの詩文を改変して大久保に送っていたのだ。
    「無」の欠如した詩文を読んでみると、下野した西郷の大久保に対する宣戦布告であるとしか読めない。
    西郷は盟友大久保に、私の「誠」は、大久保のそれと相容れないことを詩文で伝えているのだ。

    明治政府のトップであった大久保は、西南戦争で西郷を殺した翌年、紀尾井坂で暗殺される。
    その時、大久保は西郷の手紙を読んでいたと言う。
    その手紙の一通が、この「改変•獄中有感」だとしたらどうであろうか。

    大久保の死後、大久保所有の書を入手したのが勝海舟だ。彼は、大久保が暗殺された翌年、西郷の二回忌に、その書を碑文に刻ませている。
    本来の「獄中有感」とは異なった「改変•獄中有感」は、西郷が大久保に対するメッセージとして与えたもので、その意図を察知した勝海舟が碑文に刻んだのだろうというのが、ここまでの推理だ。

    と言うことは、この「改変•獄中有感」の意図を理解していたのは、それを書いた西郷どん本人、書を受け取った大久保利通、書を入手してその意図を理解した勝海舟しか居なかったと言うことになるだろう。

    洗足池には、幕末維新の熱い風がまだ吹いている。

  • - 西郷をべた褒め。おじさんの放談みたいで気軽に読め、ところどころ良いことも言っているのだが、散逸した感じが強くてハマりきれない。
    - ***
    - 全体、改革ということは、公平でなくてはいけない。そして大きいものから始めて、小さいものを後にするがよいよ。言いかえれば、改革者が一番に自分を改革するのさ。
    - なにしろ人間は、身体が壮健でなくてはいけない。精神の勇ましいのと、根気の強いのとは、天下の仕事をする上にどうしてもなくてはならないものだ。そして身体が弱ければ、この精神とこの根気とを有することができない。つまりこの二つのものは大丈夫の身体でなければ宿らないのだ。
    - 人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということができないで、始終それが気にかかるというようでは、そうそうたまったものではない。いわゆる 坐忘 といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中 闊 然 として一物をとどめざる境界に至って、始めて万事万境に応じて縦横自在の判断が出るのだ。しかるに胸に始終気がかりになるものがあって、あれの、これのと、心配ばかりしていては、自然と気がうえ、 神 が疲れて、とても電光石火に起こりきたる事物の応接はできない。
    - 人間は、難局に当たってびくとも動かぬ度胸がなくては、とても大事を負担することはできない。今のやつらは、ややもすれば、知恵をもって一時のがれに難関を切り抜けようとするけれども、知恵には尽きるときがあるから、それはとうてい無益だ。
    - 男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。  あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなことはかまうものか。  要するに処世の秘訣は「誠」の一字だ。

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