国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(上) [Kindle]

  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 過去の覇権国がなぜ衰退していったのか?というのを知りたくて、本書を購入した。
    結論から言うと知りたかった観点はほとんど得られなかった。
    本書でいう『国家』の研究対象となった国は、アフリカ大陸の新興国がメインであり、俺が知りたかった国家の話は、ほんの少ししかでてこなかった。
    また、著者が提唱する国家が衰退する(繁栄する)かどうかの要素は、地理ても文化でもなく、制度であると。
    上巻から下巻の隅々まで、史実に基づく制度・制度・制度の話である。
    細かい話はここでは書かないが、収奪的な制度では国家は必ず衰退し、往々にして負のフィードバックループから抜け出せない。国家が繁栄するには、中央集権の包括的制度が必要であると。
    ちなみに上下巻通して、実際に読んだのは30%ぐらいでしたね。図書館に置いてあるのなら、借りるのをお勧めします。以上

  • 裕福な国と貧しい国が存在するのはなぜかという問いに対して、地理説、文化説、無知説を否定して制度説により説明しています!
    重要なのは経済制度とそれを支える土台である政治制度。
    大人になってから読む世界史はなぜこんなに面白いのだろう。

  • Amazon Audible にて。
    国家の衰退と言われて、日本の失われた30年とか加速する少子化とかをイメージしながら選んだんだけど、衰退のレベルがちょっと違った。

    国の衰退には、地理も文化も絶対的な要因にはならなくて、収奪的な仕組みが問題であって、繁栄するには包括的なそれらにしていく必要がある…という主張を繰り返しいろんな歴史事例を挙げて説明した本だった。

    この上巻では、本筋じゃないんだけど、アメリカ大陸の先住民族に対してヨーロッパ人がした侵略の描写が細かくてキツかった。王様を人質にしてこの部屋を黄金で埋め尽くさないと…みたいな脅しや拷問のところ。スーパーで買い物しながら聞いてたので、眉間に皺がよってたと思う。

  • 国家が発展するには、地政学等や民族の個性などは関係なくそのシステムが重要で、包括的であれば反映し、収奪的であれば衰退するという主張の本。包括的とは全体最適、共存原理を取り入れた民主主義的なシステム、収奪的とは一部の特権階層が富を独占し搾取するというシステム。
    本書には過去の事例がふんだんに紹介してあり内容が濃く膨大なため消化不良になった。世界史の知識が十分であればもっと楽しめたように思う。下巻も同様の事例紹介外続くだけなのか興味深い。

  •  ヨーロッパと北米が豊かで、アフリカが貧しいのはなぜか。それは地理的条件の違いでも、文化の違いでも、無論遺伝的な要素の違いでもなく、政治経済制度の違いに起因するものなのだということを、歴史的な比較分析をもとに論じていく。
     南は貧しく北が豊かという素朴な説や、ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』が主張するような利用できる動植物種の偏りと伝播に由来するといった説は、スペイン人がやってくるまで中南米のほうが北米よりも遙かに人口稠密でゆたかな文明を築いていたことをもって否定される。プロテスタントの倫理観が資本主義を生んだというヴェーバーに由来する一派の主張する「文化説」は、南北朝鮮の民族が同一であるにもかかわらず現在においては豊かさに大きな差があることを説明できないと一蹴される。ではなぜ、産業革命はイギリスに起こり、西欧で発展したのか。前提としてペストのせいで人口が減少し、農奴制が維持できなくなっていた。イギリスは植民地獲得戦争においてスペインに出遅れたため、国王の力が相対的に不足し、アメリカとの貿易を独占できず、裕福な商人が多数生まれ、それがのちにさらに王権の制限を要求するようになるという循環が生じた。最初の小さな出発点の違いが、「集権的な政治制度と自由な経済制度」へつながり、決定的な違いが生じたのだとする。
     著者らの指摘は、集権的な政治制度と自由な経済制度を持つ国・地域は発展し、収奪的な政治・経済制度(奴隷制・農奴制など)が幅をきかせる国・地域は発展できないとするものだ。あたりまえじゃん、となりそうなところではあるが、ソ連は発展したじゃないかとか、中国はどうなんだとか、そうしたところもぬかりない。結局、「集権的な政治制度」だけでは足りない。「自由な経済制度」がなければ、イノベーションが起こらないので、「収奪的な政治制度」のもとでは経済は発展しつづけることができないと主張する。
    「収奪的な政治制度」がいちど確立してしまったら、いいところはぜんぶ支配階層が持って行ってしまう。どうしたら「自由で民主的な政治制度」に移行できるのか。日本は敗戦という犠牲をはらってそれを「なしとげた」のだが、経済発展という意味では幸運であったというべきかもしれない。大日本帝国がもし第二次世界大戦ののちも生き残っていたら、日本は今日のような姿ではなかったにちがいない。

  • 今まで、他の本で読んできた内容が、この本で大きく否定されている。大変面白い本である。包括的政治・経済制度の意味が分かりにくい。分岐の概念も分りにくい。よく考えてみる必要がある。
    〇国家が貧困を免れるのは、適切な経済制度、特に私有財産と競争が保証されている場合にかぎられるのである。
    〇国の貧富を決めるのは、地勢や先祖の信仰ではなく人為的制度なのだ。
    〇国家が――しばしば劇的に――崩壊するのは、政治制度が硬直したり環境に順応できなかったりするときだ。
    〇西洋世界の政府が並外れた規模の債務危機に対処する政治的意思を示さねばならない現在、本書は必読の書である。
    〇エジプト人が直面している経済的障害は、エジプトの政治権力が限られたエリートによって行使され、独占されているという事態から生じているのだ。これこそ最初に変わらねばならないことだというのが、彼らの理解である。
    〇エジプトが貧しいのは、その国が限られたエリートによって支配されてきたからにほかならない。彼らは圧倒的多数の国民を犠牲にして、自己の利益を追求しようと社会を組織してきたのだ。
    〇貧しい国々が貧しい理由は、エジプトが貧しい理由と同じなのだ。
    〇必要なのは、政治的権利がはるかに広く分散され、政府が国民に説明責任を負って敏感に反応し、国民の大部分が経済的機会を利用できる社会である。
    〇貧しい社会が豊かになるために必要なのは、この種の政治変革である。
    〇現在の国の相違は、植民地時代の初期に異なる社会がいかにして形成されたかという点にある。その当時に制度的な分岐が生じ、こんにちまで影響が及んでいるのだ。
    〇ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化の論理が明らかになる。初期のスペイン人入植者と、これから見るようにイングランド人入植者は、自分で土地を掘り返すことには興味がなかった。他人にそうさせて、財宝、つまり金と銀を略奪しようとしていたので、略奪の初期段階が過ぎ、金銀への欲望が満たされると、スペイン人は先住民を搾取するための制度を網の目のように張りめぐらせた。
    〇イングランド人が北米を選んだのは、そこが魅力的だったからではなく、そこしか手に入らなかったからだ。
    〇入植者がみずから汗を流して食べ物を育てるという考えは、頭に浮かばなかったらしい。新世界の征服者がやったのは、そんなことではないのだ。
    〇ヴァージニア会社は12年をかけて一つ目の教訓を得た。すなわち、メキシコや中南米でスペイン人の役に立ったことも北米では役に立たないのだ、と。その後、17世紀を通じて、二つ目の教訓をめぐる争いが長きにわたって続くことになる。その教訓とはこうだ。植民地が経済的に発展するための唯一の選択肢は、入植者が投資し、懸命に働くようなインセンティヴを与える制度を生み出すことなのである。
    〇1720年代までに、のちにアメリカ合衆国となる13の植民地のすべてが、政府に似た機構を持っていた。いずれの場合も、知事がいて、資産を持つ男子の選挙権に基づく議会があった。こうした機構は民主的なものではなかった。女性、奴隷、無産階級は投票できなかったからだ。しかし、同時代のほかの社会と比べれば、政治的権利はきわめて広く認められていた。1774年に、アメリカ合衆国の独立への序曲となる第一回大陸会議を合同で組織したのは、これらの議会とその指導者たちだった。植民地議会は、みずからの構成員と課税権の両方を決定する権利を持っていると考えていた。
    〇南北戦争では多くの血が流され、国土は破壊された。だが戦争の前も後も、とりわけ合衆国の北部と西部では、大部分の住民にとって十分なビジネス・チャンスがあった。
    〇1824年から1867年にかけて、メキシコでは52人の大統領が在任した。そのなかに、憲法で認められた手続きに従って権力の座に就いた者はほとんどいなかった。
    〇政情不安のせいで、財産権はきわめて不確実なものとなった。また、メキシコ国家がひどく弱体化することにもなった。メキシコはもはや権威をほとんど持たず、税金を上げることも公共サービスを提供することもまずできなかった。
    〇先住民の搾取と独占の創出を社会の土台とすることによって、大半の住民の経済的なインセンティヴと独創力を抑圧した。19世紀の前半に合衆国が産業革命を経験しはじめたころ、メキシコはいっそう貧しくなっていったので
    〇経済活動のあらゆる場面で、技術的躍進の原動力はイノヴェーションだった。それを先導したのが、新しいアイデアを応用することに熱心な起業家や実業家だ。
    〇合衆国における特許取得をめぐる注目すべき事実は、特許を与えられるのが金持ちやエリートだけではなく、あらゆる境遇、あらゆる階層の人々だったということだ。
    〇国内の潜在的な発明家は開業資金をすぐに入手できた。そのうえ、銀行や金融機関の競争が激しかったため、こうした資金をかなり低い金利で借りられたのだ。
    〇競争が熾烈だった合衆国と違い、メキシコの銀行のあいだに事実上競争はなかった。こうした競争の欠如のおかげで、銀行は顧客にきわめて高い金利を請求できたし、例によって融資先を特権階級と既存の富裕層に限定していた。
    〇メキシコとは違い、合衆国では市民が政治家を監視し、地位を利用して金儲けをしたり、仲間のために独占企業をつくったりする政治家を排除できた。その結果、独占的銀行は崩壊したのである。合衆国では政治権力が幅広く分配されていたおかげで、とくにメキシコと比べて、貸付や融資の平等な利用が保証されていた。そのため、アイデアを持っていたり何かを発明したりした人々が、貸付や融資の恩恵に浴すこともまた確実だったので
    〇グローバリゼーションによって、アメリカ大陸の広大な空き地、つまり「開かれたフロンティア」は価値あるものとなった。このフロンティアが開かれているというのは、往々にして架空の話にすぎなかった。容赦なく土地を奪われた先住民が、そこに住んでいたからだ。
    〇政情不安には、民衆の弾圧や殺害がつきものだった。
    〇あなたがメキシコの起業家だとすれば、キャリアのあらゆるステージで参入障壁がきわめて重要な役割を演じるはずだ。こうした障壁には次のようなものがある。取得しなければならない高額な免許、済ませなければならない煩雑な手続き、行く手を阻む政治家や既存業者、なかなか融資してくれない金融セクター(あなたが競争しようとしている既存業者とぐるになっていることが多い)。
    〇われわれは不平等な世界に住んでいる。国々のあいだの違いは二つのノガレスの違いに似ている。スケールがもっと大きいだけのことだ。豊かな国では、人々はより健康で、より長生きし、はるかに良い教育を受ける。また、休暇からキャリア・パスに至るまで、人生における便益や選択肢を幅広く利用できる。
    〇格差が存在するのはなぜか、それを引き起こすものは何かを理解することが、本書の主眼である。これらの理解を深めることは、それ自体が目的であるばかりではない。いまだに貧困のうちに暮らしている数十億人の生活を改善する方法について、より良いアイデアを生み出すための第一歩でもあるのだ。
    〇合衆国がこんにちメキシコやペルーよりもはるかに裕福な理由は、経済と政治の双方における制度が、企業、個人、政治家に対してどんなインセンティヴを形成するかという点にある。
    〇本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。結局のところ、合衆国のすぐれた経済制度は、1619年以降に徐々に現れた政治制度からの帰結だった。
    〇こんにち異なるパターンの制度が過去に深く根を下ろしているのは、いったん社会が特定の方法で組織されると、それが持続する傾向があるからだ。
    〇われわれの周囲に見られる繁栄のパターンには高い永続性があるものの、これらのパターンは不変でも不易でもない。第一に、すでに強調してきたように、目下の世界の不平等が生じたのは18世紀末以降であり、産業革命の跡を追ってのことだった。第二に、数十年で急速に成長した経験を持つ国はたくさんある。第二次世界大戦以降の東アジア諸国の大半や、さらに最近の中国などがそうだ。これらの国の多くがその後、成長の後退に見舞われた。
    世界の不平等の原因について広く受け入れられている理論の一つが、地理説だ。その主張は、富める国と貧しい国の大きな格差は、地理的な違いによって生み出されるというものである。
    〇仕事の努力や思考過程に対する気候の直接的影響ではなく、新たに加わった二つの主張である。第一に、熱帯病とりわけマラリアは、健康に、したがって労働生産性に悪影響を及ぼす。第二に、熱帯の土壌では生産性の高い農業はできない。
    〇広く受け入れられた第二の理論である文化説は、繁栄を文化に結びつけるものだ。次のような意味ならイエスだ。文化とかかわる社会規範は重要であり、変えるのが難しく、ときとして制度の違い――世界の不平等に対する本書の説明――を支えることもある。たとえば人々がどこまでおたがいを信頼するか、あるいはどこまで協力できるかといったことは重要だが、それらはほとんどが制度の帰結であり、独立した原因ではないのである。捕まって奴隷として売られるかもしれないという環境が、歴史的に見てアフリカ人がどこまで他人を信じるかに影響を及ぼしたのは疑いない。概してゆっくりと変化する文化的態度は、東アジアや中国の奇跡の成長をそれだけで説明するものではなさそうだ。
    〇貧しい国もあれば裕福な国もある理由を説明する理論として、よく知られている最後のものが無知説だ。経済学という学問は、社会的目的を満たすために希少な手段を最もうまく使う方法に焦点を合わせるべきだ、と。無知説によれば、貧しい国が貧しいのは、多くの市場の失敗をしでかし、経済学者や政策立案者がその克服法を知らず、過去に誤ったアドバイスに耳を傾けてきたからだというのだ。裕福な国が裕福なのは、より良い政策を理解しており、そうした失敗をうまく排除してきたからなのである。エンクルマは、経済政策を利用して政治的支持を買い、非民主的な政権を維持する必要があったのである。ブシアはその政策のおかげで、満足させつづける必要のある、たとえば都市部の政治権力を握っているグループに資源を移すことができたのである。価格支配を通じて農業を抑圧することによって、都会の有権者に安価な食料を届け、政府支出をまかなう歳入を生み出したのだ。市場の失敗を減らし、経済成長を促す政策の採用を主に妨げるのは、政治家の無知ではなく、社会の政治・経済制度から生じ、彼らが直面するインセンティヴと制約なのである。
    〇本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。
    〇貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。
    〇繁栄の達成はいくつかの基本的な政治問題の解決にかかっている、と。経済学が世界の不平等について納得のいく説明を考え出せなかった理由は、まさに、政治問題は解決済みだと想定してきたところにある。世界の不平等を説明するには、依然として経済学が必要である。各種の政策や社会の仕組みが経済的なインセンティヴや行動にどう影響するかを理解するためだ。だが、それにはまた政治学も必要なのである。
    〇私有財産を持てないせいで、生産性増進のため、あるいは維持のためにすら、投資や努力をするインセンティヴを持つ人はほとんどいなかった。
    〇国によって経済的成功の度合いが異なるのは、制度、経済の動きを左右するルール、人々を動機づけるインセンティヴが異なるためだ。
    〇包括的な経済制度にとって必要なのは、エリートだけでなく社会の幅広い階層の人々に、安全な財産権とビジネス・チャンスが与えられていることなのである。
    〇包括的な経済制度は国家を必要とし、国家を活用するのである。
    〇社会のなかのある集団から収奪し、別の集団に利益をもたらすために設計されているからである。
    〇包括的な経済制度は包括的な市場を生み出す。この市場は、自分の才能に最適な天職を追求する自由を人々に与えるだけではない。そうする機会を得られる公平な場をも提供するのだ。良いアイデアを持つ人は事業を始められるし、労働者は生産性を高められる活動に従事するようになる。また、効率の悪い会社は良い会社に取って代わられる。
    〇労働者が所有するより多くの専門知識のおかげでもある。世界中のあらゆるテクノロジーは、その操作法を知っている労働者がいなければ、ほとんど役に立たないだろう。
    〇スキルや技量というのは、機械を操作する能力にとどまるものではない。われわれの進歩の土台となる科学的知識を生み、さまざまなビジネスにおいてこれらのテクノロジーの改良と導入を可能とするのが、被雇用者集団の教育やスキルなのである。
    〇貧しい国の教育水準が低い原因は、親が子に教育を受けさせるインセンティヴを生み出せない経済制度であり、親子の希望や学校をサポートしたり、財政面で助成したり、支援したりするよう政府を誘導できない政治制度である。
    〇包括的市場の潜在能力を利用し、技術革新を促し、人々に投資し、大勢の個人の才能とスキルを結集するという経済制度の能力は、経済成長にとってきわめて重大である。
    〇制度をめぐって対立があるとき、どうなるかは、どの人やどのグループが政治というゲームを勝ち抜くか――誰がより多くの支持を集め、追加的な資源を獲得し、より有効な同盟を結ぶか――にかかっている。
    〇絶対主義的な政治制度のもとでは、こうした権力を振るえる人々は、社会を犠牲にして私腹を肥やしたり権力を増したりするために、経済制度を制定できる。
    〇マックス・ヴェーバーは、最も有名で広く受け入れられた国家の定義を提示した。国家の本質とは、社会における「合法的な暴力の独占」だというのである。
    〇収奪的な政治制度と経済制度は相互に支え合い、存続しやすくなる
    〇政治制度と経済制度は、結局のところ社会によって選ばれるものだ。それらが包括的で経済成長を促す場合もあれば、収奪的で経済成長の妨げとなることもある。
    〇オーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国では、絶対君主や貴族階級の失うものははるかに多かったため、産業化が阻まれた。その結果、オーストリア・ハンガリー帝国とロシアの経済は失速した。両国は19世紀に経済成長を始めたヨーロッパ諸国に後れを取ることになった。
    〇権力を握るグループは往々にして、経済の発展にも繁栄の原動力にも抵抗するのである。
    〇したがって成長が進むのは、みずからの経済特権の喪失を心配する経済的敗者によって、またみずからの政治権力の毀損を恐れる政治的敗者によって、成長が阻止されない場合に限られるのである。
    〇収奪的な経済制度に苦しむ人々は、絶対主義的な支配者が自発的に政治制度を変え、社会における権力を再配分するとは期待できない。こうした政治制度を変えるには、もっと多元的な制度をつくるようエリート層に強制するしかないのである。
    〇政治の中央集権化が進む可能性が高いのは、一つのグループがほかのグループよりも力を持っており、しかもその力が国家を建設できるほどのものである場合に限られる。
    〇本書の中心的主張は、経済的な成長や繁栄は包括的な経済制度・政治制度と結びついており、収奪的な制度は概して停滞と貧困につながるというものである。
    〇収奪的な政治制度のもとで成長が生じるケースには、別個ながら相互に補い合う二つのタイプがある。第一に、経済制度が収奪的であっても、エリートがみずから支配する生産性の高い活動に資源を直接配分できれば、成長は可能だ。収奪的な政治制度のもとで第二のタイプの成長が生じるのは、完全ではなくともいくぶん包括的な経済制度の発展が可能な場合だ。収奪的な政治制度を持つ多くの社会が包括的な経済制度を避けるのは、創造的破壊への恐怖のためだ。
    〇収奪的な政治制度のもとで成長が起こるどちらのケースでも、政治の中央集権化が鍵となることは特筆に値する。
    〇収奪的な制度がなんらかの成長を生み出せるとしても、持続的な経済成長を生み出すことは通常ないし、創造的破壊を伴うような成長を生み出すことは決してない。
    〇収奪的な政治制度のもとでの経済成長を支える体制は、本質的に脆弱である。
    〇イングランドでこれらの包括的な政治制度が発達したのには、二つの要因があった。第一の要因は中央集権国家をはじめとする政治制度である。より重要なのは第二の要因だ。名誉革命に至るさまざまな出来事を通じて形成された幅広く強力な連合は、君主と行政官の権力を持続的に制約できたため、君主と行政官はこの連合の要求を受け入れざるをえなかった。
    〇決定的な岐路が現れる場合、小さいながらも重要な相違は当初の制度の相違である。
    〇社会はつねに政治・経済上の対立に直面している。その解決法がさまざまなのは、歴史の違い、個人の役割、あるいはたんに偶然の要因のためである。
    〇決定的な岐路に際して事件の結果を形づくるのは、歴史の重みである。
    〇決定的な岐路がすべて、望ましい政治革命や状況の改善につながると考えてはならい。
    〇アフリカは、テクノロジー、政治の発展、繁栄に関して世界のほかの地域に後れを取っている。
    〇ベイカー、クーパー、スミスといった現代のアングロ・サクソン人の姓は、先祖代々の職業区分を直に反映するものだ。ベイカー(パン職人)はパンを焼き、クーパー( 樽職人)は樽をつくり、スミス(鍛冶屋)は金属を鍛錬していたのである。
    〇収奪の成果をめぐる内輪もめが政権の崩壊を招くこと、あるいは、収奪的制度のもとではイノヴェーションと創造的破壊が本質的に欠けているため、持続的な成長に限界がある
    〇●大西洋貿易によって生じた決定的な岐路と、イングランドの既存制度の本性との相互作用から、いかにして包括的な制度が現れたのか。
    ●一部は好循環のおかげ、一部は偶発性の幸運な巡り合わせのおかげで、これらの制度がいかにして持続し、確固たるものとなって、産業革命の基礎を築いたのか。
    ●絶対主義的・収奪的制度を支配する多くの政権は、産業革命によって解き放たれた新しいテクノロジーの広がりに、いかにして断固抵抗したのか。
    ●ヨーロッパ人自身は、自分たちが征服した世界各地における経済成長の可能性をいかにしてつぶしたのか。
    ●悪循環や寡頭制の鉄則は、収奪的な制度が持続する強い傾向をいかにして生み出してきたのか。それゆえに、当初は産業革命が広がらなかった地域が比較的貧しいままなのはどうしてか。
    ●現代の世界において、産業革命やその他のテクノロジーが、国家における最低限の中央集権が実現していない地域には広がっておらず、広がりそうにないのはなぜか。
    〇収奪的制度のもとでの成長は、包括的制度によって生じる成長とはまったく異なる。最も重要なのは、それが技術の変化を必要とする持続的な成長ではなく、既存の技術を基にした成長だということ
    〇実際のところ、1928年から1960年にかけて、国民所得は年に6パーセント成長した。これは、それまでの歴史においておそらく最もめざましい経済成長だったはずだ。この急速な経済成長を実現したのは、技術的変化ではなかった。そうではなく、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の新設による資本蓄積だったのだ。
    〇この事例の最も重要な教訓は、収奪的な経済制度のもとで技術的変化が続かない理由は二つあるということだ。すなわち、経済的インセンティヴの欠如とエリートによる抵抗である。加えて、きわめて非効率に使われていた資源がいったん工業に再配分されてしまうと、命令によって得られる経済的利益はほとんど残らなかった。
    〇ボーナスを支払うことが、技術的変化に対するあらゆる種類の意欲阻害要因を生み出してしまった。第一に、イノヴェーションによって現在の生産物から資源が奪われれば、産出目標が達成できず、ボーナスがもらえない危険があった。第二に、産出目標は以前の生産水準をもとに決めるのがふつうだったため、産出を決して拡大しないことへのきわめて大きなインセンティヴが生じた。産出を拡大すれば、将来の目標が「吊り上げ」られ、さらに多くを生産する必要が出てくるにすぎないからだ。目標を達成してボーナスを手にするには、業績不振がつねに最善の方法だったわけだ。
    〇歴史を通じて、ほとんどの社会は収奪的な制度によって支配されてきた。これらの制度はある程度の秩序を国に課し、一定の成長を生み出すことができた――こうした収奪的社会のどれ一つとして持続的な成長を実現しなかったとしても。実際、歴史上のいくつかの大きな転機を特徴づける制度上のイノヴェーションは、収奪的制度を強固にし、一つのグループが法と秩序を課して収奪的利益を得るための権力を増すものだったのだ。
    〇農耕・牧畜と狩猟・採集のあいだには根本的な違いがある。
    〇農耕、牧畜、動植物の飼育・栽培に関する最古の証拠は、中東、とりわけヒリー・フランクスとして知られる地域に見られる。
    〇エンドウ、ヒラマメが、シリアのさらに北部のテル・アスワドで見つかった。ともに、いわゆるナトゥフ文化が栄えた土地であり、大きな村を抱えていた。
    〇当時、イェリコの村の人口はおそらく500人ほどになっていたはず
    〇定住することが社会にとって有利な理由はいくらでも挙げられる。住まいを転々と変えるにはコストがかかる。子供や老人を連れていかねばならないし、移動中の不毛な時間に食料を蓄えることはできない。
    〇考古学的証拠から、ナトゥフ人は農民になるかなり前に複雑な社会を発展させていたことがわかる。その社会の特徴は、階級制、秩序、不平等だった――われわれが収奪的制度と見なすものの始まりである。
    〇技術革新でさえ、必ずしも農業生産の増大につながるわけではない。実際、次の話はよく知られている。イル・ヨロントというオーストラリアのアボリジニーの集団が、大きな技術革新、つまり鉄の斧を使いはじめたとき、生産量が急増することはなく、睡眠時間が長くなったのだ。イノヴェーションのおかげで、生存に必要なものが以前より簡単に手に入るようになったため、もっと多くを得ようと働くインセンティヴはほとんどなかったからである。
    〇農耕への移行が農業生産性の向上をもたらし、人口の大幅な拡大を可能としたのは間違いである。
    〇こうした事態がある特定の場所で起こるかどうかを決めたのは、動植物種の入手のしやすさではなかった。そうではなく、社会において、定住生活とその後の農耕の出現を可能とするタイプの制度的・社会的・政治的イノヴェーションが生じた結果として、それが起こったのである。
    〇マヤ族の経験が明らかにするのは、収奪的制度のもとでの成長の可能性だけでなく、このタイプの成長のもう一つの根本的限界である。すなわち、さまざまな集団や人々が収奪者になろうと争うことで生じ、最終的には社会と国家をともに崩壊に導く政治の不安定性である。
    〇現在のホンジュラス西部にあるコパンというマヤ族の都市に、祭壇Qという有名なモニュメントがある。祭壇Qにはすべての王の名前が記録されている。
    〇マヤ人の経済の土台は広範な職業の専門化であり、熟練した陶器職人、織物職人、木工職人、工具・装飾品製造者などがいた。彼らは、黒曜石、ジャガーの毛皮、海産の貝殻、カカオ、塩、鳥の羽根などを仲間うちで、また遠く離れたメキシコの他国とも取引していた。彼らはおそらく貨幣も持っていたし、アステカ族のようにカカオ豆を通貨に利用していた。
    〇国家の中央集権化のプロセスが逆転して、政治・社会制度が破綻したとき、経済は収縮し、人口は減少したのである。
    〇クフル・アハウとその取り巻きのエリート層が打倒され、マヤ古典期を生み出した制度が崩壊したのはなぜだろうか。現存する考古学的証拠からは、確定的な結論を引き出すことはできない。
    〇こうした成長が起こるには、政治の中央集権化が必要となる。いったんそれが実現すると、国家は――あるいは国家を支配するエリートは――たいてい次のようなインセンティヴを持つことになる。つまり、投資によって富を生み出し、国家が資源を収奪できるよう人々に投資を促し、さらに、通常は包括的な経済制度や市場によって推進されるプロセスの一部を模倣さえするインセンティヴがある。
    〇内紛と政情不安は収奪的制度の本質的特徴なのである。
    〇第一に、ヴェネツィアについて説明したように、包括的制度への動きは反転することがある。包括的制度が反転する可能性があるという事実が示すのは、制度の改善が単純に積み重なっていくプロセスは存在しないということである。第二に、決定的な岐路で重大な役割を果たす小さな制度的相違は、そもそもはかないものである。小さいがゆえに反転することもあるし、その後ふたたび現れ、さらに反転することもある。
    〇産業革命に至るイングランドの道筋と、その後を追った諸国について理解するには、いくつかの理由からローマ帝国の遺産が重要な意味を持っている。第一に、ヴェネツィアと同じく、ローマ帝国は早い時期に大きな制度的イノヴェーションを経験した。第二に、さらに重要なことに目を向けると、西欧のその後の制度的発展はローマ帝国の直接の遺産ではなかったものの、西ローマ帝国崩壊後、その地域全体に共通して見られた決定的な岐路の帰結だったのである。
    〇フラウィウス・アエティウスは、ローマ帝国末期の伝説的な人物の一人だ。『ローマ帝国衰亡史』の著者であるエドワード・ギボンは、アエティウスを「最後のローマ人」と称している。
    〇ローマの衰退の原因は、マヤの都市国家のそれと実によく似ていた。ますます収奪的になる政治・経済制度のせいでローマが滅んだのは、それが内紛や内戦の原因となったからなのである。
    〇トラヤヌス(在位98―117年)、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウスといった有能な支配者は、衰退に歯止めをかけたものの、制度上の根本問題に取り組むことはできなかったし、その気もなかった。
    〇ティベリウスが喜々としてイノヴェーションを破壊したのは、それが経済に及ぼしたはずの不都合な影響のためだった。これが、経済に対する創造的破壊の影響への恐怖である。
    〇労働者の抑圧に基づく経済や、奴隷制や農奴制といったシステムは、ノンイノヴェーティヴであることがよく知られている。
    〇自由を奪われ、抑圧された労働者(農奴)に依存する封建的な諸制度は、明らかに収奪的であり、中世ヨーロッパの長期にわたる収奪的でゆっくりした成長の土台を形成した。
    〇ローマ帝国が最終的に消滅するまでには何世紀もかかったし、衰退は長く続いたが、比較的包括的な共和国の制度がより収奪的な帝国の制度にいったん取って代わられると、経済の後退はほぼ避けられなかったのである。
    〇ヴェネツィアの経済的繁栄を生み出した諸制度は、重要な包括的要素を含んでいた。ところが、これらの要素は台無しにされてしまった。既成のエリートが新参者に対して体制を閉じ、共和国に繁栄をもたらした経済制度を禁じさえしたときのことである。
    〇制度上の小さな相違が、ヨーロッパの内部で本当に重要な相違となり、それがイングランドに有利に働いた。
    〇創造的破壊への恐れが主な原因となって、新石器時代から産業革命にいたるまで、人間の生活水準には持続的向上がなかった。
    〇技術革新は人間社会を繁栄させるが、新旧交代も引き起こすし、一部の人々の経済的特権や政治権力も破壊する。
    〇社会がきわめて抜本的なイノヴェーションを導入するためには新規参入者を必要とし、そうした新規参入者と彼らがもたらす創造的破壊は、いくつもの抵抗の根源に打ち勝たなくてはならない。
    〇そのなかには強力な統治者とエリートの抵抗も含まれる。
    〇政府がたんに国王の身内の集まりではなく、独立した恒久的な制度の集合体となる可能性が開かれる。
    〇この国家制度の集中化は、包括的政治制度が初めて可能になったことを意味する。
    〇18世紀に投票できたのは人口の2パーセント未満で、男性に限られた。
    〇議会に影響をおよぼし、その結果、経済制度にも影響をおよぼす方法はほかにもあった。最も重要な方法は請願だった。
    〇熱狂的な請願活動からうかがえるのは、国家の動きに対する影響力という点で、議会に議席を持つ人、議会に代表者を送る人さえはるかにしのいでいたのが、こうした広範な社会集団なのだ。そして、彼らはその力を行使した。
    〇1688年以前の議会は、国家の効率と資源を増すことに反対してきた。
    〇管理しきれなかったから
    〇マンチェスター法は意義深い勝利だった。だが実のところ、その歴史的・経済的意義ははるかに大きかった。第一に、議会を持つイングランドの多元的政治制度が許容する参入障壁の限界が明らかになった。第二に、以後半世紀にわたり、綿布製造業の技術革新が産業革命で中心的役割を果たし、工場システムの導入によって社会を根本的に変容させることになった。
    〇工場は、生産を組織化するまったく新しい方法だった。
    〇名誉革命は、立憲統治と多元主義に基づく新たな体制を生み出したのだ。
    〇多様な利害関係者――テューダー朝時代に台頭した商業的農民階級であるジェントリーから、さまざまな業種の製造業者、大西洋貿易業者にいたるまで――が出現して力をつけたせいで、ステュアート朝の絶対主義に対抗する連合が、強力だっただけでなく幅広かったということだ。
    〇一つのグループが力を持ちすぎてそれを乱用するのを監視する目が、議会のなかにあったことも意味する。それは多元的政治制度の誕生に欠かせない要因だった。こうした幅広い連合への権限委譲は、包括的な政治・経済制度の維持と強化においても重要な役割を果たした。
    〇読み書きができれば誰でも、書物から簡単に知識を仕入れられるからだ。そうなれば、エリートが知識を支配する既存の体制が脅かされかねない。オスマン帝国のスルタンと宗教界の上層部は、その結果起こるであろう創造的破壊を恐れた。そこで解決策として印刷を禁じたのである。
    〇イングランドで起こった経済の変革がオスマン帝国で起こらなかったのは、収奪的かつ絶対主義的な政治制度と収奪的な経済制度との当然のつながりのせいだ。絶対主義は法や他者の思惑といったものの拘束を受けない。とはいえ、実際には専制君主は何らかの小集団やエリートの支援を受けて統治している。
    〇秩序を課し、規則や財産権を制定できる中央集権国家でなければ、包括的な制度は生まれない。
    〇サハラ以南のアフリカの多くの地域(ソマリアやスーダン南部など)において、工業化の大きな障壁は、どんな形にせよ政治的中央集権制が存在しないことだった。
    〇レコンキスタとは、八世紀からスペイン南部を占拠し、グラナダ、コルドバ、セビリャなどの大都市を築いたイスラム教徒を追放する長きにわたった運動である。
    〇イノヴェーションへの反対は二つの形で現れた。第一に、フランツ一世は産業の発展に反対し、第二に、フランツは鉄道の敷設に反対した。
    〇何世紀にもわたって、中国は実力主義で選抜された官僚によって運営される中央集権国家でもあった。
    〇収奪的制度を統括する支配者の大半と同じく、中国の専制君主は変化に反対し、安定を求めていた。とどのつまりは創造的破壊を恐れていたのである。
    〇エチオピアが現在このような状態になってしまったのは、イギリスと異なり、絶対主義がごく最近まで存続していたからである。
    〇絶対主義には収奪的な経済制度がつきものであり、それによって皇帝と貴族が大いに潤った一方で、多数のエチオピア人が貧困に苦しんだ。しかし、絶対主義時代の出来事のうちで最も長く悪影響を及ぼしているのは、エチオピアが19世紀から20世紀初頭にかけて工業化の波に乗りそこねたことだろう。そのせいで、現在の国民が絶望的な貧困にあえいでいるのだ。
    〇ある程度の政治的中央集権制がなければ、たとえこうしたアフリカ国家のエリートが諸手を挙げて工業化に賛成したところで、できることはほとんどなかっただろう。
    〇政治権力はソマリア社会に広く分散しており、多元的といってもよいくらいだった。しかし秩序を守らせる中央集権国家の権威がなければ、ましてや財産権がなければ、包括的制度は生まれない。
    〇アフリカ社会では車輪も鋤も使われなかったかもしれないが、その存在は間違いなく知られていたのだ。
    〇多くのエリートも政治的中央集権化に反対し、国民とのやりとりを文字ではなく口頭で行なうことを好んだのである。そうすれば裁量の自由が最大限になるからだ。文字で書かれた法や命令は取り消しも否定もできず、なかなか変えられない。それらによって基準が定められたところで、のちに支配層のエリートはそれを覆したくなるかもしれない。
    〇オーストリア・ハンガリー帝国しかり、ロシアしかり、オスマン帝国しかり、中国しかり。ただ、これらの国では、支配者が創造的破壊を恐れ、経済成長をあえて促さなかっただけでなく、産業の普及や、工業化をもたらす新技術の導入を阻止する措置を堂々と取ったのである。
    〇包括的な政治・経済制度は、一定の政治的中央集権制を必要とする。国家が法と秩序を課し、財産権を堅持し、必要とあらば公共サービスに投資して経済活動を促進できるようにするためである。

  • なんか読んだことある気がする、、、と読んでいるときにずっと思っていたのだが、「貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える」と内容がほぼ同じだと気が付いた。

    両者とも論じているのは、国や地域がほかよりも貧困になるのはなぜか、という理由である。

    それは地理的な理由からであろうか?特に南アフリカ諸国はヨーロッパ諸国よりもPoorであるが、それは地理的な理由がそうさせているのだろうか?
    はたまた人間性がそうさせているのか。南アフリカの人々はヨーロッパ人よりも勤勉でなく、イノベイティブでない遺伝子を有しているのだろうか。

    答えは否、である。
    それは、地理的な問題でも人種的な問題でもない。政治的な理由である。ということである。
    しかしながら、民主主義であれば良いか、といえばそうではない。歴史を紐解いていくと、国民がイノベーションを産むインセンティブを有するのか、ということに行きつくようだ。
    そのインセンティブを勝ち取るために、時には血とともに権利を勝ち取ったのだ。

    が、本書を読んでもじゃあ、どうすればいいのか、という問題も生じる。南アフリカはある程度民主化しているし、イノベーションを生むインセンティブもあるけれどいまだに発展途上国の域を出ない。
    仮に、優秀な指導者がほぼ独裁的に政権を運営して国が豊かになれば(Singapore!!)それはそれで成功事例といえる。
    豊かになるための方法はいくつもあり、それは事後的に見れば説明可能であるが、そのときにどうしたらよいか、という答えは教えてくれないだろう。

    このような考察から、どの要因が支配的になるのか、というエッセンスを抽出することが重要ですね。

  • 【由来】
    ・図書館の新書アラートで「知の最先端」、そこで「国家はなぜ衰退するのか」の著者がいて、興味を持った。

    【期待したもの】


    【要約】


    【ノート】

  • ☆貧困などの経済成長の差は、政治経済制度の差であるとする。なるほどね。
    ☆包括的政治経済制度(民主政治)と収奪的政治経済制度(独裁、奴隷制、中央司令型)に分けられ、後者が貧困、停滞の原因であるとしている。

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著者プロフィール

ダロン・アセモグル
マサチューセッツ工科大学(MIT)エリザベス&ジェイムズ・キリアン記念経済学教授
マサチューセッツ工科大学(MIT)経済学部エリザベス&ジェイムズ・キリアン記念教授。T・W・シュルツ賞、シャーウィン・ローゼン賞、ジョン・フォン・ノイマン賞、ジョン・ベイツ・クラーク賞、アーウィン・プレイン・ネンマーズ経済学賞などを受賞。専門は政治経済学、経済発展と成長、人的資本理論、成長理論、イノベーション、サーチ理論、ネットワーク経済学、ラーニングなど。主著に、『ニューヨーク・タイムズ』紙ベストセラーに選出された『国家はなぜ衰退するのか』(ジェイムズ・ロビンソンとの共著)などがある。

「2020年 『アセモグル/レイブソン/リスト 入門経済学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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