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感想・レビュー・書評
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自意識過剰ゆえに、他者との関係性がうまく成立しない。摩擦が生じる。極端な行動に出る。最初は、単なる異常者の手記かと読んでいたが、売春婦の女性が出てきたところから加速度的に、その自意識にさいなまれる個人が浮き彫りとなっていき、ほとんど葛藤に近い矛盾との闘いになっていき、最後の方は主人公に感情移入していき切ない気持ちになっていった。「自意識」の問題は今にも通じるモチーフで、精神疾患などの病の源にもなっているケースがあると聞く。コミュ二ケーションが上手いとれない人が、現在は多数を占めている。今読むべき本だと思う
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武藤吐夢@ BLOGに詳しく・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自意識の病に取り憑かれた不幸な現代人の末路、と言ってしまえばそれまでかも知れない。遠い昔、大学生の頃に読んだ時はそんな感想しかなかった。あれからいろんな経験をして成長したのか、老化したのか、今読み返すとこの男の気持ちが痛いほどわかる。特に後半ははらはらと泣けてくる。あまりに明晰で純粋であるために、自分を愛せず、人を愛せない。でも心の底から人を愛し、人に愛されたいと願わずにいられない。矛盾と自己撞着の中でのたうち回り、傷つき、打ちのめされ、全てがから回り。滑稽過ぎて、悲し過ぎて、怖ろし過ぎる。神を殺した現代人は馬鹿になるか、ニヒリストになるか、或いは、もう一度「狭き門」を叩くのか・・・
本書はドストエフスキーの後期大作群のプロローグには打ってつけの小品だ。但しこれが肌に合わなければドストエフスキーに深入りするのはやめた方がいい。太宰治から甘ったるい感傷を抜き去ってもっと過激にしたと言えばいいかな。好みが分かれるだろう。エゴイズム、愛、倫理、そして信仰という人間にとって究極の普遍的課題について深く考えたい人のために。新訳については、読み易ければいいというものではない。やはりこの重たい作品には重たい日本語が似合う。江川訳をすすめる。 -
現代のTwitterかな?と思わせられる圧倒的筆致。
まさに名作は時代を超えて普遍性を持つという感じ。滅茶苦茶面白い。
鬱屈としがちな大学生は山月記に感銘を受けがちだけど、地下室の手記も刺さる気がする。 -
読んでると頭がおかしくなりそうなくらいの狂気。考えすぎるのも大変だね。
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本文は新潮文庫で読んだんだけど訳者解説が良いとのことで読んでみた。検閲により削除された一部十章を当時のメモや執筆中病死した妻の遺体の前で書かれた文などから想起している。
解説の冒頭いきなりウディ・アレンはドスト好きでこの作品のパロディをしているとの記述があり調べたところ演出や題材に組み込んでいるらしいとわかった。興味深い。 -
「あいつは俺を軽蔑している」といった文章が幾度となく出てくるが本当にその人が軽蔑しているのかどうかは分からない。というより軽蔑しているのは主人公自身であるように思える。主人公は、何かに怒りを感じては怒りを感じたこと自体を恥じ、露悪的なことをして見せてはそれを恥じ、と非常にねじ曲がった人物であり、一種の「信頼できない語り手」ものと言えるかもしれない。読みながら、共感しては拒絶されを繰り返して非常に疲れた。「俺は駄目なんだ……なれないんだよ……善良には!」という台詞に全ての苦しみが詰まっているように思う。
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第一部は難解だったが、第二部についてはこんな心境もわかる気がする、くらいは言ってもいいだろうと思う。自分とはけっして相容れない世界を憎んで軽蔑すらしているくせに、一方ではそうした世界に憧れてやまない。だけど、無理をして飛び込んだところで息苦しさを覚えるばかり。その原因の一端は自分自身にあるとわかっていても、自分自身の「地下室」から抜け出せない。そしてそんな「地下室」の中に、苦しみと安らぎの両方を見出してしまう。そうした人物の独白なのだから、読んでいてけっして愉快な気分にはならない。それでも主人公のこねくり回す理屈がまるきり破綻したものだとも自分には思えず、こうした突き抜けた人格の持ち主が描かれる19世紀ロシアの時代背景について大いに興味が湧いた。
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ネクラーソフという架空のねじけた男の手記。第1章は主人公による哲学的な考察で、ここで主人公の人となりが伝わる。第2章はぼた雪の降ったある日の出来事を描く。肥大化した自尊心の末路は実に哀れ。ネクラーソフはあまりに極端な人間だが、共感できる部分もなくはなく、そのあり方は否定しきれないように思う。今なお古びない作品だと感じた。