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感想・レビュー・書評
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うだつが上がらない中年男マカールと病弱で働き口の無い娘ワルワーラ、貧しき二人の文通で構成される小説です。
お互いにとても苦しい状況にありますが、貧乏に屈しない強さを文章で表現しています。
お金が無くても適度の文才がある二人の関係は、破綻することなく続くことになるのです。
未来の無いマカールとは違い、若いワルワーラには転機が訪れます。
それが彼女にとって良いものかはわかりませんが、流れに身を任せるしかない社会的弱者の辛さが伝わってきました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ロシア文学の翻訳特有と言っていいのかわからないが、登場人物たちがとても大っぴらな人間に見える。何というか威力があるんだ。遠慮してシャイな人間もどこか喜劇の登場人物のようにエネルギーは持っているのだ。生き生きとしてると言えばいいのか。
序盤はいいテンポで会話が進行する。そして途中から長い自分語りモードが始まってることに気づく。しかし、それに気づくのは相当読み進めてからだ。ドストエフスキー作品の自分語り、演説は聞いててもストレスがまったくない。現実世界ならこれほど聞きたくなく、面倒に思うことはないだろうが。
一気に読み切ったあと、「はぁ、面白かった。」という感覚に包まれた。 -
【動機】
・尾道の古本屋で出会って、気になったため
【感想】
・あまりちゃんと読めた気がしない。
・自分の生が一義的目的である他者の存在について考えた。
・序盤のおっさんの気持ち悪い文章に面食らう
・序盤は女性が話を聞いていない感じがして、後半は男性が話を聞いていない感じがした。絶妙な噛み合わなさ。 -
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ドストエフスキー25歳のときの処女作。
一夜にして、その時代を代表する新進作家になったエピソードは有名。
作品が完成するまでの焦燥にかられた日々の様子を書簡集か何かで読んだことがあるのだが、その中に、プーシキン(ツルゲーネフだったかもしれない)が処女作を完成させるまでに30回も書き直したことを引いて自分自身を叱咤激励するくだりがあるのだが、この作品は、そうやって何度も何度も書き直したらしい。
それだけの時間と工夫をかけて書簡体の非常に技巧的な作品を完成させた。
技術面だけではなく、内容面においても、作家の野心と才能を見せつけている。
都市生活を送る貧しい人々の心理をこんなふうに描いた小説はそれまでになかったはずだ。
この作品を読むのは、高校生、大学生のときに続き3度目である。
以前の2回は新潮社の木村浩訳で読んだ。
数十年ぶりなので、細かいところはすっかり忘れている。
泥に落ちた本を拾い上げながら息子の棺の後を追う父親のシーンが有名だが、かなり前半で出てきているのは意外だった。
昔のようには感激しなかったのは、年取って鈍くなったせいか。
それと、読み較べたわけではないので印象にすぎないのだが、安岡訳は、なんだかフワフワしているような気がする。平易な訳になっているのだろうが、昔のものに較べると、冗長。
(これは、この翻訳にとどまらず、昔と今の日本語の問題なのかもしれない)
ただし、訳者解説の背景説明は参考になった。
ワルワーラと大学生ポクロフスキーと大地主ブイコフの関係にびっくり。
アンナの家というのは、そういうことだったのか。初めて知った。
そう言われれば、そのとおりで、いろいろ納得できる。
当時のロシア人読者は、説明なしでもピンときていたのだろうな。
時代も国も違うわれわれは、そういう背景は、説明されないと分からない。
そう考えると、小説の全体像をきちんと理解するというのは、なかなか難しいものである。
ただ、優れた小説は、それなしでも通用する。
現に、この解説なしで3度も読んで、それなりに満足していたわけだし。
そのことで作品の評価が変わるかというと、それは関係ないみたいだ。 -
"ときには自分の価値を認めてやるのは、気分がいいものです。"
"ほんとうに気持ちが晴れ晴れとして楽しかったのですが、最高の気分のときになぜかいつも悲しくなってしまうのです。"
"というわけで、ちょっと騒がれたり、雷を落とされたからと言って、いちいちびくびくして、自分は一文の値打ちもない者だなどと思い込む理由はなかったわけです!" -
貧しさとは何か、ということがうんざりするほど書かれている。
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読んでいるだけなのにマカールおじさんの貧窮に胸が苦しくなる。彼の尊厳がズタズタになるところは見ていられないほど。
ワーレンカは10代の女の子なのに落ち着いた語り口なためか、きっと物憂げな瞳をしているのだろうと想像していた。そんな初恋にさえ温もりだけでなくじわじわと迫る不安感があり、いつまでも心の安寧などなかった。
最後のマカールおじさんの手紙はひたすら恋文のようで切なかった。どうかふたりに幸あれ。