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感想・レビュー・書評
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『危機の宰相』に続いて対をなすように読みました。『危機の宰相』は1960年の奇跡の成り立ちを描いてるとしたら『テルロの清算』は悲劇の完成がテーマです。
そして2作品を通して感じることは時代という時間の流れが持つベクトルとそのベクトルが変化する特異点の存在。俯瞰しないと確かめることができないそのベクトルと特異点に作用するのは小さな個人のエネルギーでした。ある個人のエネルギーが最大化するとき、もう一つの個人のエネルギーが消滅する。自然の摂理を証明していくかのようなノンフィクションでした。
そして“あとがき”が抜群にいいです!あとがき文学とやらがあったとしたら賞ものだと思います。様々なエピソードをピックアップしてつくりあげて人物像を描く本篇の綴り方は、露骨なメッセージ性や説教臭さを意図的に控えています。だからこそ作者による“あとがき”整理が読後に沁みこみます。文庫版が絶対にオススメです!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
運命の瞬間に向かって収斂していく2人のドラマ。
点が面へと広がりを持つ快感。 -
(2023/154)昭和35年の浅沼稲次郎刺殺事件を、犯人である17歳の右翼少年テロリスト山口二矢と、被害者である社会党委員長浅沼稲次郎の両面から描き切ったノンフィクション。丹念な取材に裏打ちされた描写は両人を細かく描き出し、小説よりも遥かにのめり込む。45年前(1978年)に刊行されたということが全く気にならず、今でも十分読む価値がある。政治的信条は兎も角として、安倍晋三元総理の事件を思い起こさずにはいられない。これは読んだ方がいい。
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昭和35年10月に起きた社会党委員長・浅沼稲次郎の刺殺事件。この事件を扱った沢木耕太郎の「テロルの決算」は以前から関心があったが、10年程私の本棚で積読状態だった。今回やっと読み終えた。
今では風化して、若い世代は全く知らない事件であると思うが、当時は小学生だった私でさえも大きな衝撃を受け、連日新聞に大きく取り上げられていた記憶がある。
本書では、余り触れられていないのだが、事件の起きた昭和35年というのは、所謂「60年安保」の年であり、日本全体が政治に揺れていた年であった。後に保守の論客となる、江藤淳、石原慎太郎、黛敏郎、浅利慶太までが、「反安保・反政府」を叫んでいた。そして岸信介首相の孫であった安倍晋三が、意味も分からず「アンポハンタイ!」と首相官邸のリビングの中を走りまわっていたという。
その年の6月の安保闘争で樺美智子さんが死亡し「反安保・反政府」運動はピークに達したが、7月には安保条約の批准をし終えた岸内閣が倒れ、替わって「所得倍増」を掲げた池田内閣が登場し、時代は変わろうとしていた。
かなり前置きが長くなってしまったが、本書では、そのような政治の季節と呼ぶ時代が変わろうとしていた中で、17歳の山口ニ矢と、61歳の野党第一党の社会党委員長の浅沼稲次郎が、この年の10月に日比谷公会堂でなぜ交錯していくようになったかを、豊富な資料とインタビューによって、二人の人生の軌跡をきめ細かく丹念に、著者特有の硬質な文体で見事に描かれている。
久々に骨のある本を読んだ気がする。もっと早く読めば良かった。力作である。 -
沢木耕太郎が描く、1960年。 第一作、危機の宰相、次いで、テロルの決算。17歳のテロリストと61歳の政治家が交錯した、1960年10月12日の出来事。著者は、テロリスト 山口二矢への`想い`を掘り下げつつ、政治家`浅沼稲次郎`の孤独、そして繊細さをも浮き上がらせます。安保闘争はすでに終わり`所得倍増`を唱える池田内閣が力を持ち始めた時代を描いた`名作`であります。
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61歳の社会党委員長浅沼稲次郎。
17歳の右翼の少年山口二矢。
安保闘争で右翼と左翼が激しく交差した時代。
生き急いだ少年とゆっくりと歩み続けた老齢の政治家。
解散総選挙直前、日比谷公会堂三党首演説会。
そこで二人の人生が交錯する。 -
いつぞやかの新聞で沢木耕太郎の文章を初めて読み、彼の「文体」に興味を持ったので、手に取ってみた。
そういえば「ノンフィクション」は初めてかも。エッセイとも研究とも異なる書き方には不思議な魅力がある。書かれていることはすべて事実のハズなのに、フィクションを読んでいると錯覚してしまうかのような構成と筆運び。思わずすべてにすんなりと首肯してしまいそうになる。
本書が出版された時、私はまだ生まれていなかった。だから、事件も登場人物たちもまったく知らない。それでも、一般的なイメージと、そこには表れない様々なこと、そして偶然の奇妙さが丁寧な筆致からとてもよく読み取れた。 -
浅沼稲次郎に凶刃を浴びせた山口二矢のノンフィクション作品。
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浅沼稲次郎は遠縁にあたる。幼いころに同潤会アパートに毎年正月に訪れた記憶がある。
おおきな稲次郎さんをおぼろげながら覚えている。だがその記憶より、通夜か葬式だかさだかでないが、同潤会アパートの稲次郎さんのせまい部屋が紫煙にくもり、たくさんの記者たちがただ黙って酒を飲んでいたのが、幼い記憶に鮮明に残る。おねいさん(稲次郎さんの義娘)が動き回り、ちいさな叔母さん(享子)はどこにいたのか記憶にない。
父に連れられ葬式に行ったらしいが、葬式の記憶はない。
遠く血のつながる稲次郎が知りたくて読んだが、悩める政治家がそこにいた。
沢木耕太郎が、「岐路」について語った文章で、山口二矢の実家が読売新聞を購読していたいう。稲次郎の日比谷公会堂での演説会の記事は、朝日にも毎日にも載っていなかったいう。二矢は読売新聞を見て、暗殺を企てた。