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感想・レビュー・書評
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100分de名著の6月の回はブラッドベリがとりあげられるではないですか!
新訳版を読んでみる。高校以来の再読。昔はピンとこなかったけど、今読めば時代が追いついてしまった感じ。わかりやすい中央政府からの思想統制よりも、誘導されているとは一見わかりにくく自ら判断していると思わせてしまう現代の方がより恐ろしい。情報を記憶するだけでは意味はなく、そこから何を導き出すか、つまり自分の頭で考えることが重要だと訴えています。50年代のラジオ全盛、TVも広まってきた時代ですら、この危機感。今はもっと加速されて、一次情報不明のままで咀嚼もせずSNSで秒速リツイート。あたかも自分で考えたかのように。これを前向きに「共感」とよんでいるところが不気味。ノスタルジックでないブラッドベリは迫力に満ちている。100分de名著ではどのような切り口で取り上げられるのか楽しみ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
レイ・ブラッドベリの焚書をテーマにしたもはや古典のディストピア小説。
火を愛し、書物を燃やすファイアマン(昇火士)のガイ・モンタークはある少女との出会いと彼女の家が燃やされたときから
自らの職務、書物を忌避する人々への疑問を持つ。
そして彼は書物を守ろうとする人々に近づいていく。
タイトルの華氏451度は紙が自然発火する温度を示す。(摂氏232.8度)
火を消す者ではなく火をつける者がファイアマンと呼ばれる時代。
淡々とした暗いストーリーながら、書物と好奇心を守るための葛藤や誇りが描かれており、結構ドラマティック。人類の蓄積、歴史が紡ぐ物語を燃やし尽くすのは一瞬である、そこに美を見出す人もいる。
本を燃やすファイアマンだったモンタークが、同僚に目を付けられ、心を変えていくまでのプロットには正直粗い部分もあると思ったが、昔のSFっぽさが満載。それにしても面白かったし、ラストが非常にかっこいい。本好きの心をくすぐる一冊です。 -
■Audible視聴
この主題をAudibleで聴いていいのかなという疑問もありましたが、個人的には聴いて良かったです。
本を所持するだけで国家反逆罪に問われる世界で、正義を執行する側に立っていた主人公が少女との出会いをきっかけに世界を問い直すお話。
話が進むにつれて徐々に浮かび上がってくるディストピア感に、反知性主義への強烈な皮肉と批判が込められています。前半は主人公の空想や独白と現実の描写が渾然一体となっていて混乱しましたが、終盤はとても引き込まれました。
知ることを諦めるな、という叫びが聞こえてくるような一冊でした。 -
詩やな。
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巻貝ってAirpodsかな。
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# 華氏451度
レイ・ブラッドベリ
## 概要
焚書をテーマにしたSF。本の所持が禁止された世界で、主人公は昇火士(通報を受けて出動し、本を燃やす仕事。原著ではfireman)として働く。主人公は焚書に使命感・喜びを感じていたが、少女クラリスとの出会いや、昇火活動中の出来事などを経て、次第に自らの活動に疑問を抱いていく。
## メモ
* 「何が」起こっているか、ではなく、「なぜ」起こっているか、を考える人間を排除することは、行政にとって都合がいい。
←小説内では、焚書により強制的に排除が行われているが、現代では、緩やかに、自覚なくこの排除が進んでいるように感じる。
* 技術の進歩により、非知性的なものへの衝動が助長されていることに警鐘を鳴らしている。
ブラッドベリはポータブルラジオを聞きながら、空虚な目で夫と犬を散歩させている女性を見て、危機感を募らせたらしい。現代を見たらどう思うのだろうか
* 頭の中に、「自分が頭がいいと錯覚するような」事実(専門的な知識などだろう)を詰め込ませておけば、考えない、自分の意見を持たない人間が生まれる。
←ささった。自分がまさにそう。事実のみでなく、事実に基づいて、自分の意見を持てるようにしなければならない。
* 焚書により、なぜ短絡的な快楽を求める人間が増えるのか。
→理由は二つあると考える。一つは人間の均質化、もう一つは過去の学びの喪失である。
* 人間の均質化
焚書により、自分に都合の悪い意見は排除されていく。その結果、どの人間も同じような考えを持つようになり、最終的には何の考えも持たなくなる。その結果、人類が共通して持つ本能的な快楽や、物事の表面的な美醜のみが価値を持つようになる。
* 過去の学びの喪失
この本が1950年代に書かれていることからも、自分が直面した問題のヒントは過去から学べるはずである。過去から学ばなければ、問題は解決できないが、技術革新により、問題を解決しなくても生きていけてしまうようになっているのではないか?(まとまっていない) -
オーディブルで読了。
この本を読んで、「ここで書かれていることはまさに今の日本だ」とか「ラウンジ壁はスマホ(あるいはYouTubeやTikTokその他自分の嫌いなSNS)の予言だ」と言っている人は現実に対する解像度が荒いので気を付けた方が良いと思う。
ともかく、今の現代社会をクリティカルに捉えた本ではない。当たり前だ、70年も前の本なのだから。
頭の良い奴が全員男で、女は主人公に霊感を与える少女以外は全員能無しだったりと女性蔑視もきついし、最後の方で本を読んでいる人が田舎で放浪生活しているが、この人たちどうやってテレビやらなんやら買っているんだとか、色々つっこみたい所が多い。
あと、作中で焚書にされる本が軒並み聖書や哲学書などのかっちょいい本なのもう~んとなる。
ヒトラーの我が闘争や異世界転生ラノベも本ですけどね?
本を燃やされない方法として、ひとりひとりが本になる、というのも首を傾げる。本はテクストとして独立していて誰でも閲覧可能だからこそ、情報ではなく本としての価値があるのであって、人そのものが本になったら、その人が内容を改変しても誰も気づかない。これでは中世の聖書と同じではないか。
はっきり言って本好きをアピールしたい人が権威として持ち上げたがる傾向が強いが、完成度の高い作品とは思えない。