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感想・レビュー・書評
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第23段の、父が亡くなり困窮したために捨てられた妻が、新しい裕福な妻の元へ通う夫に、「道中気を付けて」という意味の歌を送るシーンを読んでは、「崖から落ちてしまえ」という意味が込められている歌ではないのかと思い、第24段で三年も音沙汰なかった夫が、再婚したその夜に帰ってきたので追い払ったけど、恋心が再燃して追いかけたものの追いつけず、その場で死ぬ女性の話を読んでは、新しい夫とよろしくすればいいのにと思う。
添えられている解説を読むと、『伊勢物語』が書かれた平安時代は、現代からでは想像もできないほど強く「女性は男性のために存在するもので、女性の価値は男性が決めるもの」という価値観が信じられていたかららしい。
28段まで読んだけど、男性が女性に捨てられる話もけっこうある。実際には、女性が男性に捨てられることの方が多かっただろうけど。
第45段の、在原業平に恋をしていたけれど、恋心を打ち明けられずに病んで亡くなった姫君の葬儀で、在原業平が詠んだ歌がけっこう好き。
暮れがたき夏のひぐらしながむれば
そのこととなく物ぞ恋しき
(なかなか暮れぬ夏の一日、外を眺めて茫然と物思いに耽っている。何が悲しいというのでもなく、ただただ悲しさが身を包む)
姫君が死んだ理由がよくわからないけど、この歌はなかなか良い。
100段以上あるので、読むのが大変なのかと思っていたけれど、三行くらいで終わる話も結構ある。
それに、在原業平が思っていたよりモテていないのも発見だった。
第95段は二条の宮(藤原高子)と在原業平が復縁する話。本文だと在原業平の相手は二条に仕える女とあるけれど、二条本人としか思えない。
入内前はともかく、入内後はいくらなんでも無理なのでは…と思い、軽くググってみたら、後世の創作の可能性が高い段らしい。
第百二十四段
昔、男、いかなりける事を思ひける折にかよめる。
思ふこといはでぞたゞに止みぬべき
我とひとしき人しなければ
昔、男が、何を思った時だったろうか、詠んだ歌
思ふこといはでぞたゞに止みぬべき
我とひとしき人しなければ
(思うことを言わずにそのまま終わりにしよう。私と同じ心の人などいるはずもないので)
秋山の解説を引く。
「数々の話柄を連綴して来たこの歌物語は、一人の男の一代記という体裁であった。次段においてその人生の終焉を迎える男の偽らざる感慨である。男にとっての歌は、自他の連帯を獲得するよすがであり、また一方ではその断念を自覚する営みでもあった。所詮、人間は孤独であり、それぞれの心を生きるほかない。だが、その諦念を歌い上げるのは、歌に縋るより他には生きられぬ男だったからである。」
在原業平の辞世の句
つゐにゆく道とはかねて聞きしかど
きのふ今日とは思はざりしを
(かねてから、最後には必ず行く(死出の)道とは聞いていたが、まさか昨日や今日のことだとは思わなかったなあ)
在原業平の息子である滋春の辞世の句
かりそめの行きかひ路とぞ思こし
今は限りの門出なりけり
(かりそめに行って帰るだけの道だと思って出て来たが、これが最後の門出でした)詳細をみるコメント0件をすべて表示