- Amazon.co.jp ・電子書籍 (1760ページ)
感想・レビュー・書評
-
主人公が王獣や闘蛇の謎を解いていく先には災いがまっていると知りながら、謎を解いていくところに、人間は好奇心を抑えることが難しいと感じた。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おもしろかった、けど、重かった、とてつもなく悲しかった。
「長い年月 、たくさんの 〈示道者 〉たちが道を探しつづけてきたけれど 、どれほど巧みに身をくねらせても 、争いからは逃れられない 。人の命は短すぎて 、思想はいつも 、充分に成熟せぬままに途切れていくのよ 」
「ああ時間が欲しい !知りたいことを解き明かしていく時間が !人の一生は 、短すぎるわ … … 」
「わたしがしてきたことには 、なにか意味があるのかしら 。わたしは 、なにか 、できたのかしら 」
「人は殺し合いをやめない 。これからも 、きっと戦は続いていくでしょう 。わたしたちは 、ばらばらで 、言葉を持っていても 、思いはけっして 、思うようには伝わらない 。でも … …それでも人は 、道を探しつづける 。きっと 、人というのは 、そういう生き物でもあるのよ 」
「人は 、知れば 、考える 。多くの人がいて 、それぞれが 、それぞれの思いで考えつづける 。一人が死んでも 、別の人が 、新たな道を探していく 。 ─ ─人という生き物の群れは 、そうやって長い年月を 、なんとか生きつづけてきた 。知らねば 、道は探せない 。自分たちが 、なぜこんな災いを引き起こしたのか 、人という生き物は 、どういうふうに愚かなのか 、どんなことを考え 、どうしてこう動いてしまうのか 、そういうことを考えて 、考えて 、考えぬいた果てにしか 、ほんとうに意味のある道は 、見えてこない … … 」
次の世代に伝えていきたいことがなければ、人生なんてなんの意味もないのではないかもしれない。 -
王獣って核みたいだ。
-
『鹿の王』が面白くて、他の上橋さんの本にも興味を持ち、5冊一気読み。途中でなかなか止められずに、つい先まで読み進めてしまった。「大人が読んでも面白いファンタジー」とのことだが、人間と獣の生き様は、児童書扱いだけだと勿体無い。多くの大人にも読んで欲しい。
「王獣」「闘蛇」という架空の生き物を描いているのだが、その描写がリアル。息遣いが近くで聞こえてくるかのよう。政治のために獣の生き方を制限してしまう人間の業の深さと、獣を獣のように生きさせたいと願うエリンの苦悩。獣だけでなく、エリンを取り巻く人間達・・・イアル・ジェシ・ヨハル・ジョウン・セィミヤ・シュナンなど多くの人物がそれぞれの悩みを抱え、魅力的に描かれている。
Ⅰ(闘蛇編)・Ⅱ(王獣編)で当初完結する予定であり、後日書き進められたⅢ(探求編)・Ⅳ(完結編)。Ⅱ巻で完了した方が良かったという意見も多くあるようだが、私はⅣ巻(そして外伝)まで読めて良かったと思う。母としてのエリン、そしてエリンの想いを継ぐ息子ジェシなど、若い頃だけでは描ききれなかった世界に出会えたから。
上橋さんご自身は、王獣編までを「獣と人の物語」で、探究編以降を「人と獣の歴史の物語」と表現されている。探究編以降は少し暗めだが、それでも暗さの中にあるわずかな希望が救い。外伝で少し気持ちを切り替えられるかもしれない。
壮絶であり壮大な物語に、読み終わった今も心奪われている。物語を辿りながら、「エリンと一緒に生き抜いた」という表現が相応しいか。 -
読む前から分かっていた。名作。
闘蛇と王獣。二つの生態に関する数々の秘められた知識。それらを解き明かすことがなぜ禁じられているのか。
エリンが考えて考えて進んで行く道の先に、きっと幸福は待っていない。それでも、私が彼女と同じ立場であれば、止まることなんて出来なかったと思う。
もっと知りたい、考えたい。それは切実な欲求。
なぜ世界はこのように在るのか。なぜ生き物はあのように生きるのか。なぜ人は無為に争い傷つけ合うのか。人という種が世界から淘汰されないのはなぜなのか。世界は、どこへ向かっているのか。
思考の海に誘ってくれる良書でした。
*以下引用*
「人というものが、こんなふうに物事を考えて、進んでいく生き物であるのなら、そのまま行ってしまえばいい。人という生き物が殺し合いをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて<操者ノ技>を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるなら、滅びてしまえばいい・・・。」(p848)
すべての生き物が共有している感情は、愛ではなく、恐怖であるということ。それは、冷徹な真理なのだろう。
人は、獣は、この世に満ちるあらゆる生き物は、ほかの生き物を信じることができない。心のどこかに、常に、ほかの生き物に対する恐怖を抱えている。だから、己の生を消されぬよう、ほかの生き物を抑えるために様々な工夫を凝らし、様々な拘束の手段を生みだしてきたのだ。
武力で、法で、戒律で、そして、音無し笛で、互いを縛り合ってようやく、わたしたちは安堵するのだ・・・。
生き物の性に目を凝らしても、見えてくるのは、こういう虚しさだけなのだろう。(p893)
(ー知りたくて、知りたくて……)
エリンは、心の中で、リランに言った。おまえの思いを知りたくて、人と獣の狭間にある深い淵の縁に立ち、竪琴の弦を一本一本はじいて音を確かめるように、おまえに語りかけていた。おまえもまた、竪琴の弦を一本一本はじくようにして、わたしに語りかけていた。
深い淵をはさみ、わからぬ互いの心を探りながら。
ときにはくいちがう木霊のように、不協和音を奏でながら。
それでも、ずっと奏で合ってきた音は、こんなふうに、思いがけぬときに、思いがけぬ調べを聞かせてくれる……。(p931)
知識は、万人に平等に与えてよいものではない。どの職種にある者がなにを学ぶか、それを統制することで、国の秩序が保たれているのです。(p1085)
小さな群れの貧しき平和。大きな群れの諍ひ多き豊かさ。(p1286)
人が昔の記憶をなつかしむように、この獣も、思い出をなつかしむことがあるのだろうか。それとも、思い出になど、なんの意味もないのだろうか。(p1354)
訳もわからず唐突に起こることほど、恐ろしいものはない。(p1355)
(生きていくことを……)
ゆがめるのは、間違っている。
~中略~
どれほど多くの事情が絡み合っていたとしても、生き物の生をゆがめるのは、間違っている。(p1424)
どれほど努力しても、どんな工夫をしても、きっと、人の群れは、この広大な世界の中で争いつづけるのだろう。(p1596)
他者に勝ちたい、すこしでも他者よりよい条件で生き残りたいという衝動があるかぎり、人は戦に勝てる手段を探しつづける。(p1598)
戦は、群れで縄張りを持つ人という獣が、生来持ってしまっている、どうしようもない衝動なのではないかという思いすらある。(p1599)
野生の王獣は、〈児やらい〉をするのでしょうか?(p1714)
「その言葉で包めば、包めてしまえるものは多いけれど、隠れてしまうものも、多いような気がします。それでも、かぶせてしまえば安心できる……」~中略~
「わたしは、幸せという言葉を使って、自分がやっていることを納得してしまうのが怖いのです。」(p1766)
自分が、親にとって、もっとも大切な存在ではないのだと気づいたときの、あの骨を噛むような気持ちは、よく知っている。(p1841)
人は、自分たちがなにをしていて、それがどんな結果を招くのか知るべきだと思う。どんな知識も、隠されるべきではないと思う。人という生き物が愚かで…どうしようもなく愚かで、知識を得たときに、それを誤った道に使ってしまうとしても、…それでも(p1944)
「人は、知れば、考える。多くの人がいて、それぞれが、それぞれの思いで考えつづける。一人が死んでも、別の人が、新たな道を探していく。人という生き物の群れは、そうやって長い年月を、なんとか生きつづけてきた。知らねば、道は探せない。自分たちが、なぜこんな災いを引き起こしたのか、人という生き物は、どういうふうに愚かなのか、どんなことを考え、どうしてこう動いてしまうのか、そういうことを考えて、考えて、考えぬいた果てにしか、ほんとうに意味のある道は、見えてこない…」(p1945)
「運命に不意打ちをくらうのがいやなんです。気が小さいんですね」(p2007)
人は群れで生きる獣だ。群れをつくっているひとりひとりが、自分がなにをしているのかを知り、考えないかぎり、大きな変化は生まれない。かつて、木漏れ日のあたる森の中で母が言っていたように、多くの人の手に松明を手渡し、ひろげていくことでしか、変えられないことがあるのだ。(p2101)