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感想・レビュー・書評
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第2巻は如何にして日中戦争が泥沼化したか。
次なる戦争が全面戦争となるのは必至と予測する永田は、全面戦争時の外交状況にて柔軟性を確保するために、資源の供給源として北支満州を手に入れようとする。
永田率いる統制派は、陸軍内部では思想にて対立する皇道派を排除(軍事を握る)し、外部においては現役武官制度復活と統帥権を利用して内閣を制御(外交を握る)し、さらには福祉国家を標榜して民衆の支持(政治を握る)を得る。これが戦前日本の全体主義の萌芽である。
永田自身はその完遂をみることなく皇道派相沢中佐の凶刃に倒れるが、彼にとっては日本の生き残る道、すなわち北支満州を含んだ経済的自活圏を得るための手段として、国を啓蒙するのではなく軍主導の全体主義こそが現実的だったのである。
永田亡き後、陸軍の主導権を握った石原は中国に対する態度を変更する。民族主義に目覚めた広大な中国はもはや短期決戦で打ち破ることは難しく、泥沼の長期戦へと落ち込む。それを避けるためにも、北支を放棄してでも和平を結び、東アジア一丸となっての対ソ対米へと準備を進めるべきという主張である。これに対して、永田の衣鉢を継いだ武藤は欧州のドイツ優勢を英米の干渉を排する好機とみて海軍の上海事変に協力する。対立した石原は失脚し、陸軍は南京すら墜とすものの石原の予期した泥沼の長期戦へとはまり込んだ。
(歴史的後付けではあるが)石原の変項と武藤の失策を対比、武藤は「構想をねったもの」としてのオリジナリティの欠如が問題だったのではないだろうか。石原は自分で作り上げた構想である「日米最終戦争」に対して、現実の前提が異なってこれば、柔軟に思考を練り直すことができたのに対して、永田の思想を受け継いだ武藤はその思想を作ったプロセスを持ち合わせないが故に、前提と反する現実に対処しかねて、自身も望んでいなかった長期の日中戦争にはまったのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
統制派と皇道派の抗争と統制派の勝利、勝利を得た統制派の指導の下、日本が泥沼の日中戦争へと突入する過程を描く。