津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 本の書評そのものを書きたいわけではなく、35年来の念願であった「津山三十人殺し」の現場を見に行ったその顛末を書くことが目的である。

    数十年前には、新潮文庫「津山三十人殺し」(筑波昭)がこの事件の(小説ではなく)実録書としては定番だった。ところが、紐解いた方にはご存知のように、事件の住所は大まかにしか書いてなくて、詳しい地図はない。また、現在では創作他、多くの間違いが指摘されている。この文庫本を読んだ35年前、私は2年間だけ津山に住んでいた。ところが、場所が全然わからない。当時地図検索なんて便利なものはない。実は職場の仲間に、事件のあった⚫︎⚫︎地区(昔は村としてひとつの自治体だった)から通ってる人がいた。彼の家にも何回か行ったが、一度場所を聞いたことがある。「此処とは相当離れているところだ」とだけしか言いわなかった。(実際車で10数分走らなければ辿り着かないところだった)結局それ以上は聞き難くなり、それ以降長い時間が経った。

    1938年(昭和13年)5月21日の未明、津山の奥の小さな村で、青年が一晩で30人を銃や斧や日本刀などで次々と殺害した事件が起きた。1人の殺害者の多さでは、近年の京アニ事件(36人)までずっと1番を譲らなかった。世界的にも、個人の大量殺害事件としてはしばらく5番目の多さだった。何故そういうことが起きたのかは、論者が多くいて私の1番の関心ではない。問題は「八つ墓村」(横溝正史)にしろ、「丑三つの村」(西村望)にしろ、「龍臥亭事件」(島田荘司)「夜啼きの森」(岩井志麻子)にしろ、あまりにも多くの小説や映画に翻訳されてリアルな事件がわからなくなっていることだろう。せっかく岡山県に住んでいるのだから、実際の「現場」を見たかった。もちろんこれは単なる興味本位ではあるが、新たな憶測を広めることが目的ではない。よって、ウィキで調べたら簡単に住所はわかるけれども詳しい住所や行き方は示さない。むしろ、興味持った方は、それなりの「努力」をして「現場」にたどり着くべきだと思う。同時に遺族の心情を思うと、どんな理由をつけようとも迷惑でしかないことは承知している(もし「関係者」からの苦情があれば即刻削除します)。

    おどろおどろしい「物語」から一旦自由になって、率直に「現場」に「立ちた」かったのである。私は、弥生遺跡巡りが大好きなのであるが、弥生遺跡はたいていは単なる広場である。しかし、私は博物館のジオラマよりも遺跡現場が好きだ。現場に立てば「発見」は意外に多い。その周りの景色、空気から「当時」を様々に「想像」できる。それは「現場」に行った者だけが味わえる「特権」なのである。

    石川清さんはアメリカに存在した事件報告書を手に入れて3冊の「決定版」を書いた。そこには、犯人の実像がかなり追求されていると思う。石川清さんは〈結局は絶望した犯人の壮大なる「無理心中」である〉と、分析している(「京アニ事件」とその意味でも酷似している)。そこを深めるのが私の目的ではなかった。ただ「現場」を見たいのである。

    というわけで、最近になって急速に進んだ研究書と普及書を二つ図書館から借りて、私はスマホでまずは近くの大字の辺りまで車で行き、そこから小字の「現場」まで、本を頼りに歩いて行った。

    その感想は、次回に。

  • 「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。2013年7月21日、山口県の
    山間の過疎の集落で発生した連続殺人放火事件の犯人宅に
    は、窓にそんな張り紙がされていた。

    山間の集落での、短時間に行われた連続殺人事件。この事件
    の報道の際にも触れたところもあったが、私が思い出したのも
    津山事件だった。

    津山三十人殺しとも言われる古い事件は、昭和13年5月21日
    の未明に岡山県で発生した。

    筑波昭『津山三十人殺し』が長らくこの事件のバイブル的存在
    の作品だった。単行本でも文庫版でも所持しているが、まさか
    この作品に創作部分や捏造があったとは思わなかった。

    何度も事件現場となった村落に足を運び、事件当時の生存者
    や犠牲になった方の遺族に話を聞いてまとめられている。

    2013年の山口県の事件は近隣の嫌がらせが犯行への引き金
    となったと報道された。76年前の津山事件もまた、父母を相次い
    で肺結核で亡くし、自身も肺を病んでいたことから「ロウガイズジ」
    との噂に晒された挙句の犯行だったのか。

    それにしても不思議なのは、犯人である都井睦夫が兵役回避
    もあったのか、自ら肺病やみであることを主張していることだ。

    2時間足らずの間に村落の人々を殺傷し、本人はその後に
    自死しているので真相は闇の中ってのが本当なんだろうな。

    尚、本書ではいつの間にかアメリカに渡っていた事件報告書
    の一部が掲載されている。この報告書がアメリカへ渡った
    経緯も知りたいな。戦後のどさくさでGHQが本国へ持って
    帰ったのだろうけれど。

    映画や小説、漫画のモデルとされた事件だが、戦中の事件
    だけあって謎はまだあるんだろうな。

  •  あの八つ墓村のモデルとなった、一人の青年が、1晩のあいだに30人を殺したという事件。

     これを読んで何が怖いって、それまで定説とされていた解説書に「創作」の部分がかなりあるということである。なんだそれ。
     事件が起きたのが1938年、事件の調書等を元に作成された公的資料の調査報告書が出されたのが1939年、それをもとにした創作が八つ墓村が出版されたのが1975年。ノンフィクションとされていた創作を含む筑波昭氏の著書が初めて世に出たのが1981年。調査報告書は2012年にアメリカで発見されるまで長い間見ることができず、その間は創作を含む筑波氏の著書に書かれていたことが事実とされていたのだ。

     猟奇殺人や殺人鬼のように言われている犯人についての見方は変わる。
     ただ、この本に書かれていることも、事実や資料をベースとした推測が含まれる。真実なんて本人にしかわからないし、一時の衝動でやってしまったとしたら、本人にすらわからない。

     これを読むと、犯人と被害者が事実でも、そのとらえ方や理由付けはどうとでもできる。
     だからこそ、たくさんの創作が生まれたんだろうなと思う。

     しかし、1世紀も経っていない事件でもこれだけ事実からの乖離があるということを考えると、歴史なんてものはどれだけ事実からかけ離れているんだろうと空恐ろしくなる。1次情報というか、ソース確認するの大事って思った。

  • 自らのための備忘録

     偶然手に取った筑波昭著の『津山三十人殺し』があまりにも素晴らしかったと絶賛していたら、どうやら捏造や創作があるらしいと知って、それではと石川清氏の『津山事件三十人殺し最後の真相』と、本書『津山事件三十人殺し七十六年目の真実』と続けて読んでみました。
     今回初めて「津山事件報告書(岡山県苫田郡西加茂村における三十三人殺傷事件)」(司法省刑事局・一九三九年)がスタンフォード大学の図書館で2010年に著者がアクセスしたことが明かされましたが、発見に至る経緯などは今回もまた語られておらず私としては残念に思いました。
     私が本書を読むことになったモチベーションは、筑波本が捏造創作本なのかどうかを知りたいというただそれだけの目的でしたが、筑波本の矛盾と虚構については、ほぼ全面的に『『津山事件の真実(津山三十人殺し)』(事件研究所・二〇一〇年)に寄っていて、著者は次のように述べています。
     《二〇一〇年十二月発行の初版本、二〇一一年八月発行の増補改訂版(第二版)、二〇一二年八月発行の第三版の三冊があり、それぞれ年を経るごとに内容が増補されている。初版本には、著者の長年の津山事件研究のレポートの他に「津山事件報告書」の全文コピーが巻末に掲載されている(驚いたことに、私とほぼ同時期にスタンフォードで資料を入手していた)。第二版では、筑波昭氏へのインタビューが掲載されており、筑波本に創作があることを告発し、問題提起している(筑波氏も自著の不完全性を認めたという)。第三版では、それらの一連の調査がまとめて報告されている。実は私と著者は雑誌『映画秘宝』(洋泉社)の企画で対談しており、第二、第三版には、私との対談も掲載されている》
     私としては是非こちらの本こそ読んでみたいと願っているのですが、「津山事件報告書」の全文コピーが巻末に掲載されているバージョンはAmazonで購入するには四千円以上もするし、近隣の図書館にも、都立図書館にもないし、国会図書館にいけば読めそうだけれど、ちょっと億劫でまだ手に取る機会はありません。
     私自身は犯人都井陸雄と祖母いねに血縁関係がなかったという前提で話を進めていく著者とは違う考えを持っています。明治前期の戸籍謄本なんてまったく当てにならないし、1864年12月27日生まれのいねが、1880年ないしは1887年生まれの振一郎を産んでから1891年に籍を入れたことも可能性として完全否定はできないと思っています。
     私が見聞きした範囲でも、昭和に入ってからも長男を出産してからではないと籍には入れてもらえなかったなどという今では考えられない風習を持った地域はいくつもありました。
     まして山の民とはいえ、相手は都井宗家の当主と相当な財産家であったならば、妾腹であろうとも長男を産んだのちの入籍もあり得るだろうと思うのです。150年前の習俗とは同じ国内とはいえ現代の価値観では計り知れないものだと思っています。庶民と同一視すべきではありませんが、明治天皇は皇后以外に5人の側室がいて、5人の側室が合計15人の子を産みましたが(成人したのは5人のみ)、当時はそれは至極当然と受け止められていたのですから、歴史上の出来事を考える時今日の価値基準を当てはめてはいけないと思っています。

     津山事件について、筑波昭、石川清、石川清2冊目と読み進めてきましたが、「決定版」という本にはなかなか出会うことができませんでした。石川本には筑波本にある部落内の地図が掲載されていないことは残念です。私はたまたま筑波本を読んで「これは凄い」と思った一読者に過ぎず、史実研究家でもなんでもないのですが、機会があれば、『津山事件の真実(津山三十人殺し)』(事件研究所)を読んでみたいと思っています。

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著者プロフィール

石川清

名古屋大学工学部航空学科・同大学医学部卒業。1978(昭和53)年、名古屋市立大学病院麻酔科に入局。トロント大学留学を経て助教授。94(平成6)年、名古屋第二赤十字病院麻酔科・集中治療部長。阪神淡路大震災救援、スーダン紛争被災者救援などを経験。2007(平成19)年、院長就任。定年退職後、愛知医療学院短期大学学長。12(平成24)年、救急医療功労者厚生労働大臣表彰。21(令和3)年、瑞宝中授章受章。名古屋市出身。

「2022年 『人生のやりがいを求めて(中経マイウェイ新書)055』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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