SFについて、当時読んでいた狭い範囲の中でのことだが、中華とかタオとかが台頭している作品世界が突発したように見えた時期があったように思う。具体的に思い出せるのはアウトロースターとかビバップとかムーンライトマイル。
それに気づいたときは、現実にも中国経済が盛り上がってきていたので、先見の明のある作家たちは現実の中国の台頭の気配を敏感に察して作品に取り入れたのだろうと思った。実は火付け役があったのかもしれないと、本書を経て思ったり思わなかったり。
さて。
『死者の代弁者』でも感じたことだが、途中で計画を変更し、十分にその痕跡を消していない印象がある。登場人物の運命の歪みにそれがよく現れていて、本作ではパスという惑星規模の自治体に居住するチンジャオという若い娘に集約している。まるでカテジナ。
また、近頃習い覚えた語句を流用するなら、<説明のダマ>がひどい箇所があり、物語ではなくプロットや設定を読まされている気になる。それが長く、ちょっとどうなのという内容なので、読んでいて辛い。『エンディミオンの覚醒』で主人公が獲得した能力について詳細な説明がなかったことは幸いであったということになろうか。高度に発達した科学は魔法でいいよ。
ついでに。科学技術の背景描写や、科学技術の進歩の痕跡が見られないことも。三千年間、ミリも進歩していないように見受けられる。
登場するガジェットがいちいち古い。SFであるのにも関わらず、そこがおざなりになっているのはいかがなものか。宇宙規模のインターネット的ネットワークが存在するのに、紙が重要に見えるとか。1万5千人程度の、大多数が一般人で構成される集団で惑星開発を行わせるのに、それを支える製造技術が存在しないようにみえるとか。住居をプラスチックで制作しているような描写が一箇所だけあり、3Dプリント的な技術を匂わせもするが、煉瓦工場が存在することが明らかになったので、壊れたか気の所為ということになる。
おそらく、ハーバートに影響を受けたことが三千年の時の飛躍を思いつかせたのだろう。ハーバートはデューンにおいて、レトの平和とその後の混乱で八千年以上の時の経過があったとしている。作品中で語られる科学技術は特異なものであり、一種魔法とも見えるそれらをそれと気づくのは難しい。あるいはいちいち気にしなくても読める。時の流れに耐えるための措置であると思えるし、八千年の間に進歩があったこともきちんとわかる。
『エンダーズ・シャドウ』まで読み進める企図ではじめた読書だったが、この失速感。どうしたものか。