この本の前後に、コーヒー豆の適正栽培・流通に関する本も読んだので、コーヒーもチョコレートも似たような問題を抱えているな、というのを実感。とはいえ、チョコレートのカカオ栽培のほうがコーヒーよりも闇は根深いような気がする。
本の序盤、100ページちょっとまではチョコレートの歴史を概観。ヨーロッパ人がいかにカカオを「発見」し、アフリカやマヤ、アステカからカカオを取り入れ、自分たちの文化に提供していったかが詳述される。植民地政策の是非は今更問うまでもないが、滋養強壮・薬効を目的としたカカオの飲み物が、今、世界中で愛されているチョコレートの形になるには、やはり欧米系によるそれなりの試行錯誤と貢献が必要であったことがわかる。
中盤は、カカオ栽培に翻弄されて自国経済が破綻したコートジボワールや児童労働が黙認されるマリの農園など、いわゆる「チョコの闇」に関する話が続々と。この手の話を見聞きするたび、日本のチョコ関連産業や企業がこうした悪い部分に関与していないように、と祈りたくなる。
著者は後半、児童労働について、「児童労働の撲滅は望ましくない結果を生むこともある。子どもが仕事を得ることが必要なケースもあり、そういった場合、子どもたちはより劣悪で管理されていない環境に流入してしまう危険性があるからだ。子どもが働く環境を一掃するのではなく、子どもにとって厳しすぎる労働への従事を禁止するという対応が必要である」と論じている。児童労働絶対NGという論調のグループにとっては受け入れがたいかもしれないが、子どもが働かざるを得ない状態というのは現実としてあり得る。もう少し踏みこんで、「働かないといけない状況の子どもが、学校で学び続ける権利と時間も保持したうえで、危険ではない環境で仕事に従事できる機会を提供する」というのが、ひとつの落としどころになりうるかもしれない、と感じさせられた。