増補 民族という虚構 (ちくま学芸文庫) [Kindle]

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  • 民族は虚構である。「虚構」という言葉の是非はさておき、民族が人々の記憶という、忘却と歪曲が幾重にも折り重なった、凡そ確実とは言えない代物に支えられた人工物であることなど今さら指摘するまでもない。だがその「虚構」のおかげで共同体の秩序や一体感が保たれるのであり、人間は「虚構」なしに生きられない。だとすれば、それが「虚構」であると暴き立てることに何の意味があるのか。この問いに真正面から向き合うことのない一切の虚構論は不毛である。無知な凡人が見えない社会秩序生成のメカニズムとはこうだ、何て俺は賢いんだ!という訳だが、これほど滑稽なことはない。ポストモダン思想の限界もここにある。

    本書はどうか。成否は「開かれた共同体」というコンセプトにある。著者の言う「開かれた共同体」は実体論的思考に囚われたコスモポリタニズムと多文化共生を共に否定する。集団は内に開じられているからこそ外に開くことができる。日本が外来文化の受容に寛容なのは、日本文化への帰属意識や信念体系が不動とは言わぬまでも、相当程度しっかりしているからだ。生命体は外界との物質交換なしに生きられないが、それは自己を破壊しかねない危険を孕んだ営みでもある。虚構としての「民族」とは一種の免疫システムである。生命体において、自己を破壊する異物を濾過して排除しながら外界との物質交換を可能にするのが免疫システムだ。同じように、「開かれた共同体」は、民族という「虚構」の浸透膜によって自己を保持しつつ、同時にその浸透膜をフィルターとして多様な異文化と相互作用を行い、不断に自己を活性化しながら生成・変化していく。このプロセスにおいて浸透膜も変容するが、それがまた共同体に異物や変化への耐性を埋め込んいく。だからこそ浸透膜としての「民族」を軽視しても実体視してもいけないのだ。

    「虚構」という言葉遣いに虚構と真実の二元論、ないし実体論的思考の残滓を感じないでもないが、その点を除けば皮相なポストモダン的言説とは一線を画した好著である。

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著者プロフィール

小坂井敏晶(こざかい・としあき):1956年愛知県生まれ。1994年フランス国立社会科学高等研究院修了。現在、パリ第八大学心理学部准教授。著者に『増補 民族という虚構』『増補 責任という虚構』(ちくま学芸文庫)、『人が人を裁くということ』(岩波新書)、『社会心理学講義』(筑摩選書)、『答えのない世界を生きる』(祥伝社)、『神の亡霊』(東京大学出版会)など。

「2021年 『格差という虚構』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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