弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫) [Kindle]

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  • 幻冬舎
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  • 最近はまっているyoutuberが旅行のお供としておすすめしていた一冊。行きの新幹線の中で読みましたが、まさにピッタリで、読んだタイミング的にもよかった。
    「検索ワードを探す旅」というのは、”少し関心を持って、調べてみる機会をもつ”こと。その小さな行動が自分の見る世界を広げることであり、そのためだけにでも、お金と時間をかけて旅に出る価値がある。ましてやこれほど多くの情報が溢れる時代に、興味はあまりに早く移ろってしまうので、そこから半ば強制的に興味・関心に制約を設けることでプラスアルファの知識につなげられる。いつまでもいろんな問題の当事者ではいられないし、当事者ではないなりに、知っていればできる行動もある。
    ”観光客でいること”や第三者らしい評論家的な立場を若い頃は個人的には肯定しきれなかったし、なんならこの著者には少し反感を持っていたけれど、今になって読んでみると著者の”ススメ”に納得できた。
    チェルノブイリの問題もとても勉強になったし、アウシュヴィッツも行きたいと強く思った。本書に出てこない場所以外でも個人的に訪れたいと思うようになった。タイミングも含めて、よい読書だったと思う。

  • 現地に時間をかけて赴くと、あらたな検索ワードを見つけることとなる

  • 観光、模倣、第三者の口出しといった上辺だけの行為に対する見方が180度変わる。リアルとバーチャルを生きこなすために必読。私はいつも電車で本を読むけど、今回は思わず、電車を降りてからすぐにスマホを開かないで“移動時間”を設けた。

  • 5、6年ぶりに読了し、驚いた。色褪せないどころか、今こそ読むべき「ネット(検索)」と「旅(観光)」、そして「家族(親子)」の話。
    場所を変え、言語を変えれば、検索ワードを変わる。そこで生まれる偶然の出会いを楽しむ。このアプローチは、SNSが蔓延り、ソーシャルバブルに閉じ込められがちな現代にも通用する闘い方だと思う。

    文庫本解説の杉田俊介氏の東浩紀論考も、現在の家族論に至る東アプローチを予言するような内容で、簡潔ながら、非常に勉強になる一冊。

  • ネットが日常を拘束する時代。それは、自分が所属する階級や世界そのものを固定化させてしまうという危うさを持つ。そんな時代において、私たちはいかに環境を変え、偶有的な出会いを求めるべきなのか。本書は、そのためには新しい「検索ワード」を探す旅に出かけることが重要だと論じる。

    「村人」でも「旅人」でもない、ウチとソトを無責任に行き来する「観光客」の哲学こそが、そうした偶有性やノイズを日常にもたらしてくれるのだ。

    このネットの世界と旅の世界の対比は、「情報」「言葉」「記号」と「身体」「経験」「感情」の対比へと展開されていく。いずれも、前者が持つ限界を、後者をもって乗り越えようという議論だ。だから、移動することが大事なのだ。

    「移動時間にこそ旅の本質がある」(p.80)という指摘には、なるほどなと思った。ネットでヴァーチャルな体験もできるが、実際の旅と何が違うかというと、情報量ではなく時間なのだ。「旅先では新しい情報に会う必要はない。出会うべきは、新しい欲望なのだ。」... 近年の私に新しい欲望がないのは、まさに旅らしい旅に出ていないからなのかもしれないと思った。

    久々に海外一人旅に行きたいなと切に思う読書だった。

  • ■ひとことで言うと
     旅を通して様々な偶然に触れ、自己世界を拡張せよ

    ■キーワード
     ・「個人」=環境パラメータの集合体
     ・弱い絆=偶然性=ノイズを生む(マーク・グラノヴェター)
     ・弱い絆が自己世界を拡張する
     ・ネットは階級(所属・思想・人間関係)を固定する
     ・旅をする=意識的に偶然に触れる→検索ワードが増える→自己世界固定からの脱却
     ・環境の変化→思考の変化→アウトプットの変化
     ・「言葉にできないモノ」があることを知る
     ・体験が検索の欲望=自己世界の拡張を喚起する
     ・「観光客」=固定的でもなく楽観的でもない中間的な存在 として生きよ

  • ネットは「弱いつながり」を作るのに向いている、という考え方。
    この本では「多くの人がそう考えている」とされており、私もそう考えていた。

    そういう意味で、のっけの「ネットは強い絆をどんどん強くするメディアだ」という主張には驚いたし、よくよく考えてみれば
    ・同質性のあるコミュニティを形成することが容易
    ・受け入れたくないもののシャットダウンが容易
    という点から、構造的にそうなりやすいのだと納得。

    そういった、読者の価値観に一石を投じるところから本題に入っていくわけだが
    大きなテーマとしては「弱い絆」、つまり自分のコンフォートゾーン外に踏み出し偶発的に自己を拡大していくということがあげられる。
    その方法論として一種の「ダークツーリズム」を例にあげ、行かなければわからないことがあるという実例を示す。

    検索は強力だが、検索ワードを知らなければそもそも検索する術はない。だからこそ見聞を広げ、検索力を高め、多角的に世の中をみつめる視座を身に付けようーそう訴えかけてくるような本。

  • 2016年に書かれたとは思えないほど、発見があった。「村人」や「旅人」ではない「観光客」という立場の重要性。

  • なるほどなるほどな一冊。

    常にネットと繋がってる世の中で自分を変えるには、環境変えるしかない。つまり、旅に出ること。そして、その旅先で検索する。副題にあるように、検索ワードを変えて検索すべし。
    それまでに蓄積されたスマホの予測変換を裏切ることが重要。
    それが新しい発見に繋がる。それまで見えてなかった現実を教えてくれる。

    数年前の本だけど、現代人にも通用する。
    気軽に読めます。

    ※電子書籍版には解説は収録されてませんでした。

  • ネットが自分の所属を固定してしまうから、旅でそれを変えるという発想が面白かった。

  • - 短い本だが、染み入る。
    - ***
    - ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。
    - いまのあなたを深めていくには、強い絆が必要です。  けれどもそれだけでは、あなたは環境に取り込まれてしまいます。あなたに与えられた入力を、ただ出力するだけの機械になってしまいます。それを乗り越え、あなたの人生をかけがえのないものにするためには、弱い絆が不可欠です。
    - ではぼくたちはどこで弱い絆を、偶然の出会いを見つけるべきなのか。  それこそがリアルです。  身体の移動であり、旅なのです。
    - 表象文化論では、よく「表象不可能性」という問題が取り上げられます。災害や戦争のように、あまりに深刻で複雑であるがゆえに、単純に記録に残したり物語にしたりするのでは本質が伝えられないような出来事の性格を表す言葉です。
    - ネットには、そこにだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。「表象不可能なもの」はそこには入らない。
    - 重要なのは、言葉を捨てることではなく、むしろ 言葉にならないものを言葉にしようと努力すること です。本書の言葉で言えば、いつもと違う検索ワードで検索することです。
    - 移動時間は決して無駄ではありません。なぜなら、その行程のなかでこそ、ひとはいろいろと考えるからです。  この「移動時間」にこそ旅の本質があります。もし今回のチェルノブイリツアーについて、仮想現実で体験可能だったとしたらどうだったでしょう。
    - しかしやはりなにかが違います。違うのは情報ではなく 時間 です。仮想現実での取材の場合、そこで「よし終わった」とブラウザを閉じれば、すぐに日常に戻ることができる。そうなるとそこで思考が止まってしまう。  けれど、現実ではそんなに簡単にはキエフから日本に戻れない。だから移動時間のあいだにいろいろと考えます。
    - 仮想現実で情報を収集し、すぐに日常に戻るのでは、新しい欲望が生まれる時間がありません。  身体を一定時間非日常のなかに「拘束」すること。そして新しい欲望が芽生えるのをゆっくりと待つこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある「情報」はなんでもいい。
    - 旅先で新しい情報に出会う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです。
    - 情報はいくらでも複製できるけど、時間は複製できない。欲望も複製できない。情報が無限にストック可能で、世界中どこからでもアクセスできるようになったいま、複製不可能なものは旅しかないのです。
    - 日韓関係については、もはや正しい歴史認識を共有すべきではなく、むしろ「歴史認識を共有できないという認識を共有すべき」だと考えています。 /// あるひとつの「正しい」歴史認識を強引に共有しようとしたら、下手をすると戦争になる。むろん、真実はひとつです。けれども言葉ではそこには到達できない。だとすれば、「真実を探さない」ことが合理的であることもありえます。
    - 文書や写真や証言が残っていても、それはいくらでも、現在の世界観に都合のいいように再解釈できてしまう。人間にはそういう力がある。けれども解釈の力はモノには及ばない。歴史を残すには、そういうモノを残すのがいちばんなのです。
    - 本書で「新しい検索ワードを探せ」という表現で繰り返しているのは、要は「統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ」というメッセージです。
    - 同じ世界のなかで、同じ言葉ばかり検索していて、そしてそれなりに幸せでも、ぼくたちは絶対に老いる。体力がなくなる。それに抵抗することができるのは、弱い絆との出会いだけなのです。
    - ネットには接続するけれど、人間関係は切断する。グーグルには接続するけれど、ソーシャルネットワークサービスは切断する。それは、ネットを、強い絆をさらに強める場ではなく、弱い絆がランダムに発生する場に生まれ変わらせるということでもあります。  友人に囚われるな。  人間関係を( 必要以上に)大切にするな。  なんかとんでもない結論に見えますが、ソーシャルネット時代にひとが自由であるためには、これは大切な心得だと思います。

  •  日本の現代思想のトップランナー(と私が勝手に思っている)東氏の作品。
     インターネットによって世界はより近くより便利になった反面、世界はより固定化されてしまった(リコメンド機能やサジェスト検索)。そのような閉塞感に対し、旅という”未知”や新たな検索ワードを“ノイズ”としてネットの世界へ投げ込むことで、新たな地平・体験を得ようという試み(概要になっていない?)。

    ・・・

     一般に哲学や思想というのは小難しい。派生して、意図的に難しく述べることを哲学的と言ったりするきらいもある。その中で東氏の語り口はいつもなめらかで、優しい。そして興味深い問いを投げかけてくれる。本作ではそのような検索窓に固定されがちな我々の生活を、我々自身が意図しない体験に自ら身を投げ込むことで新たな可能性を探ろうという提案である。

     偶然性を薦める上で、導入としてネット炎上を持ち出す。ネット炎上はどうすれば止められるか?通常の言い合いではまず終わりがこない。延々と続く水掛け論。なぜか?理由はメタゲームが永遠に続くから。なぜ、なぜ?の連続や、そもそも論の発生により核心へたどり着かない。

     これを止める方法が、モノ。どういうことか?
     モノ(人)に実際にリアルに触れることで文字から伝わる以上の経験が得られるということだと思う。例えば、旅行で他所へ行く、現実に人に触れる、人と会う。そうした人に対しネットで繰り返すような罵声を浴びせることは難しい。また、このような体験を旅行で得るということは、文字から得た知識とは全くちがうビビッドさを持っているという。チェルノブイリや福島を例に、被災地の観光地化・旅などを取り上げている。なぜ観光や旅がビビッドなのかというと、逆説的だが時間やお金がかかり、不便であるからだ。より安くよりよいもの、そして効率性が叫ばれる現在、このような不便さに可能性が見いだせるという。

     逆説的な自由という言説。旅行という不自由さから論は始まり、あえて主流じゃない検索ワードで“ノイズ”を作る、そして人間の弱さや偶然性こそが予定調和から外れた強い絆になるとしている。謂わば蓋然性の高い因果よりも、偶然から生まれた絆の方がより強いということだ。分かるようなわからないような話ではあるが、日本流に言えば一期一会のような感覚であろうか。その希少性があるゆえにその出会いにかける気持ちも強くなろう。
     と、解しました。だから強い。お見合いよりも同じホームで偶然であった異性に対しての方が恋愛感情が燃え上がりそうな感じ?

    ・・・
     まとめますと、ソフトでわかりやすい思想系エッセイでしょうか。スパイスは”旅”。自己啓発的にあえて書いたと筆者は言っていますが、何か違う気がします。第一この内容をきちんと消化して自分の言葉で再構築するのは結構難しいと思います。ただ、思想の系譜で言うと実存論的とかそういういかにも暑苦しいやり方ではなく、予定調和から外れてみようぜという軽いノリの自己決定の勧めと言えそうです。小難しめなお話しが好きな人にはおすすめです。

  • 中学生でも読めるような平易な内容とページ数で非常に読みやすかったです。

    どうしても「自分の得たい情報」に依存しがちになってしまうGoogle検索。そればかりだと自分の狭い価値観や世界観が強固になってしまうだけなので、旅に出て違う環境に身を置く事で、違う検索ワードを手に入れる事が出来、価値観や世界観が広がりますよ、と言った主旨の事が書かれています。


    旅先でGoogle検索ばかりしてるのはどうかと思いますが(笑)、とりあえず、旅先で気になったキーワードはメモに残しておき、帰ってきたら熱が冷めないうちにGoogle検索するという意見には賛成です☆

  • 大人になると予想外のことってなかなか起こらなくて、毎日同じ人と会い、同じことをして、自分の心が揺さぶられるような機会はほとんどない。

    そういう行き詰まりを感じで、興味に関わらず図書館の棚を端から端まで眺めていたときに、目に止まりました。

    通りすがりの目線(「弱いつながり」)から開かれる知らない自分を発見するヒントについて、勉強させていただいた気持ちです。

  •  コロナによって身近な人や親族といった人との中では絆が強まったことだろう。それは、ネットでもそうだ、外に出ることがなくなったのだからネットの人とさらに仲良くなったことだろう。

     一見すれば、親しい人とつながりが強まるのだからメリットだらけに見える。だが、本当にそうだろうか、同じ人間たちと関係が強まることで自分に対して嫌気がさしてこないだろうか。伊達政宗の家訓にこんなものがある、仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。これは正に親しい人たちとの距離も考えなければならないという、今の時代を指している。

     周りを見直して欲しい。本当に上手くいっているのか。満足しているのか。そんな時に考えてもらいたいのがこの本だ。

     この著作には強いつながりではなく、弱いつながりをすすめている。これが一体どのような意味があるのか、ぜひ開いてみてもらいたい。

     ここにはこれからのアフターコロナ後に大切な自己啓発が詰まっている。

  • ふわっといきましょう。
    やっぱあっちこっちしたい。

  • 久々に一気に読み終えた。

    リアルな人間関係が強いのではなく、ネットを通じての人間関係の方が弱いというのは逆である。と言うことが目から鱗であった。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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