- Amazon.co.jp ・電子書籍 (111ページ)
感想・レビュー・書評
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現地に時間をかけて赴くと、あらたな検索ワードを見つけることとなる
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観光、模倣、第三者の口出しといった上辺だけの行為に対する見方が180度変わる。リアルとバーチャルを生きこなすために必読。私はいつも電車で本を読むけど、今回は思わず、電車を降りてからすぐにスマホを開かないで“移動時間”を設けた。
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5、6年ぶりに読了し、驚いた。色褪せないどころか、今こそ読むべき「ネット(検索)」と「旅(観光)」、そして「家族(親子)」の話。
場所を変え、言語を変えれば、検索ワードを変わる。そこで生まれる偶然の出会いを楽しむ。このアプローチは、SNSが蔓延り、ソーシャルバブルに閉じ込められがちな現代にも通用する闘い方だと思う。
文庫本解説の杉田俊介氏の東浩紀論考も、現在の家族論に至る東アプローチを予言するような内容で、簡潔ながら、非常に勉強になる一冊。 -
ネットが日常を拘束する時代。それは、自分が所属する階級や世界そのものを固定化させてしまうという危うさを持つ。そんな時代において、私たちはいかに環境を変え、偶有的な出会いを求めるべきなのか。本書は、そのためには新しい「検索ワード」を探す旅に出かけることが重要だと論じる。
「村人」でも「旅人」でもない、ウチとソトを無責任に行き来する「観光客」の哲学こそが、そうした偶有性やノイズを日常にもたらしてくれるのだ。
このネットの世界と旅の世界の対比は、「情報」「言葉」「記号」と「身体」「経験」「感情」の対比へと展開されていく。いずれも、前者が持つ限界を、後者をもって乗り越えようという議論だ。だから、移動することが大事なのだ。
「移動時間にこそ旅の本質がある」(p.80)という指摘には、なるほどなと思った。ネットでヴァーチャルな体験もできるが、実際の旅と何が違うかというと、情報量ではなく時間なのだ。「旅先では新しい情報に会う必要はない。出会うべきは、新しい欲望なのだ。」... 近年の私に新しい欲望がないのは、まさに旅らしい旅に出ていないからなのかもしれないと思った。
久々に海外一人旅に行きたいなと切に思う読書だった。 -
ネットは「弱いつながり」を作るのに向いている、という考え方。
この本では「多くの人がそう考えている」とされており、私もそう考えていた。
そういう意味で、のっけの「ネットは強い絆をどんどん強くするメディアだ」という主張には驚いたし、よくよく考えてみれば
・同質性のあるコミュニティを形成することが容易
・受け入れたくないもののシャットダウンが容易
という点から、構造的にそうなりやすいのだと納得。
そういった、読者の価値観に一石を投じるところから本題に入っていくわけだが
大きなテーマとしては「弱い絆」、つまり自分のコンフォートゾーン外に踏み出し偶発的に自己を拡大していくということがあげられる。
その方法論として一種の「ダークツーリズム」を例にあげ、行かなければわからないことがあるという実例を示す。
検索は強力だが、検索ワードを知らなければそもそも検索する術はない。だからこそ見聞を広げ、検索力を高め、多角的に世の中をみつめる視座を身に付けようーそう訴えかけてくるような本。 -
2016年に書かれたとは思えないほど、発見があった。「村人」や「旅人」ではない「観光客」という立場の重要性。
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- 短い本だが、染み入る。
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- ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。
- いまのあなたを深めていくには、強い絆が必要です。 けれどもそれだけでは、あなたは環境に取り込まれてしまいます。あなたに与えられた入力を、ただ出力するだけの機械になってしまいます。それを乗り越え、あなたの人生をかけがえのないものにするためには、弱い絆が不可欠です。
- ではぼくたちはどこで弱い絆を、偶然の出会いを見つけるべきなのか。 それこそがリアルです。 身体の移動であり、旅なのです。
- 表象文化論では、よく「表象不可能性」という問題が取り上げられます。災害や戦争のように、あまりに深刻で複雑であるがゆえに、単純に記録に残したり物語にしたりするのでは本質が伝えられないような出来事の性格を表す言葉です。
- ネットには、そこにだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。「表象不可能なもの」はそこには入らない。
- 重要なのは、言葉を捨てることではなく、むしろ 言葉にならないものを言葉にしようと努力すること です。本書の言葉で言えば、いつもと違う検索ワードで検索することです。
- 移動時間は決して無駄ではありません。なぜなら、その行程のなかでこそ、ひとはいろいろと考えるからです。 この「移動時間」にこそ旅の本質があります。もし今回のチェルノブイリツアーについて、仮想現実で体験可能だったとしたらどうだったでしょう。
- しかしやはりなにかが違います。違うのは情報ではなく 時間 です。仮想現実での取材の場合、そこで「よし終わった」とブラウザを閉じれば、すぐに日常に戻ることができる。そうなるとそこで思考が止まってしまう。 けれど、現実ではそんなに簡単にはキエフから日本に戻れない。だから移動時間のあいだにいろいろと考えます。
- 仮想現実で情報を収集し、すぐに日常に戻るのでは、新しい欲望が生まれる時間がありません。 身体を一定時間非日常のなかに「拘束」すること。そして新しい欲望が芽生えるのをゆっくりと待つこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある「情報」はなんでもいい。
- 旅先で新しい情報に出会う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです。
- 情報はいくらでも複製できるけど、時間は複製できない。欲望も複製できない。情報が無限にストック可能で、世界中どこからでもアクセスできるようになったいま、複製不可能なものは旅しかないのです。
- 日韓関係については、もはや正しい歴史認識を共有すべきではなく、むしろ「歴史認識を共有できないという認識を共有すべき」だと考えています。 /// あるひとつの「正しい」歴史認識を強引に共有しようとしたら、下手をすると戦争になる。むろん、真実はひとつです。けれども言葉ではそこには到達できない。だとすれば、「真実を探さない」ことが合理的であることもありえます。
- 文書や写真や証言が残っていても、それはいくらでも、現在の世界観に都合のいいように再解釈できてしまう。人間にはそういう力がある。けれども解釈の力はモノには及ばない。歴史を残すには、そういうモノを残すのがいちばんなのです。
- 本書で「新しい検索ワードを探せ」という表現で繰り返しているのは、要は「統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ」というメッセージです。
- 同じ世界のなかで、同じ言葉ばかり検索していて、そしてそれなりに幸せでも、ぼくたちは絶対に老いる。体力がなくなる。それに抵抗することができるのは、弱い絆との出会いだけなのです。
- ネットには接続するけれど、人間関係は切断する。グーグルには接続するけれど、ソーシャルネットワークサービスは切断する。それは、ネットを、強い絆をさらに強める場ではなく、弱い絆がランダムに発生する場に生まれ変わらせるということでもあります。 友人に囚われるな。 人間関係を( 必要以上に)大切にするな。 なんかとんでもない結論に見えますが、ソーシャルネット時代にひとが自由であるためには、これは大切な心得だと思います。 -
大人になると予想外のことってなかなか起こらなくて、毎日同じ人と会い、同じことをして、自分の心が揺さぶられるような機会はほとんどない。
そういう行き詰まりを感じで、興味に関わらず図書館の棚を端から端まで眺めていたときに、目に止まりました。
通りすがりの目線(「弱いつながり」)から開かれる知らない自分を発見するヒントについて、勉強させていただいた気持ちです。 -
コロナによって身近な人や親族といった人との中では絆が強まったことだろう。それは、ネットでもそうだ、外に出ることがなくなったのだからネットの人とさらに仲良くなったことだろう。
一見すれば、親しい人とつながりが強まるのだからメリットだらけに見える。だが、本当にそうだろうか、同じ人間たちと関係が強まることで自分に対して嫌気がさしてこないだろうか。伊達政宗の家訓にこんなものがある、仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。これは正に親しい人たちとの距離も考えなければならないという、今の時代を指している。
周りを見直して欲しい。本当に上手くいっているのか。満足しているのか。そんな時に考えてもらいたいのがこの本だ。
この著作には強いつながりではなく、弱いつながりをすすめている。これが一体どのような意味があるのか、ぜひ開いてみてもらいたい。
ここにはこれからのアフターコロナ後に大切な自己啓発が詰まっている。 -
ふわっといきましょう。
やっぱあっちこっちしたい。 -
久々に一気に読み終えた。
リアルな人間関係が強いのではなく、ネットを通じての人間関係の方が弱いというのは逆である。と言うことが目から鱗であった。