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感想・レビュー・書評
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いつ購入したのか不明の積読本コーナー。
なんか、調べたら、これシリーズ物?渡瀬さん。
無視して突然読んでしまいました。
冤罪が絡む警察、裁判、被害者家族のミステリー。
どんでん返しと言えばそうなのかしら。
この本で学んだことは、人は見かけによらない!
こわいこわい。。。幽霊やお化けよりも人間が1番怖いですね、、、
正義、権力を間違えてしまうと暴力に。
この方程式たしかに!_φ(・_・
やはり、ミステリーは飽きずに読めてしまう。面白い〜!!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
渡瀬が若い!
ヒポクラテス・シリーズでは古手川の怖い上司というイメージの渡瀬が若き日の物語。
本作は社会問題提起ミステリと言ってもいい中山七里の本領発揮であり、色々な作品に登場する渡瀬というキャラクターを知るためにも非常に重要な作品だ。
「人が人を裁く」ことに関しては古来から様々な議論がなされている永遠の課題だ。人を裁く権力を持つ者は神の視座に立たなければならない。しかし神ならぬ人が裁く以上、必ず間違いは起こる。被害者の立場からすれば許されることではないが、人であるが故に必然だとも言える。
誤りによって死んだ者に対しては死を以て報いるしかないというのは原初的な刑罰の考え方で、現代のシステムでは採用されない。しかし原初的であるからこそ人間本来の感情に近く、被害者遺族がそう思うのはこれも仕方のない事ではある。
許されるべくもない誤りを犯した時に人はどうするべきか。渡瀬のように「もう決して間違えない」という厳しい戒律の元に生きてゆくか、組織維持と保身のためには仕方ないことと開き直るか。
中山七里は、世の中の大半は後者ではないかと憤っている。そしてそういう人々にはいずれテミスの剣が振り下ろされるとも言っているのだ。
余談だが、本作は最後に中山七里ファンへのサプライズを用意している。まさか高遠寺裁判長が…とは。 -
難しい言葉が多かったけれど、場面が浮かびやすく読みやすかった。
冤罪を作り出す警察に対して、苦しむ家族の心情が迫ってきた。
どんでん返しについてはそれほど驚かず、なるほど、という感じ。 -
面白かった。けど重かった。かなり昔に読んだ免田栄さんの本を思い出した。
渡瀬の若手時代から描かれているのだが、なんだか青臭くて新鮮だった。そうか、冤罪の苦悩を背負ってあの渡瀬が出来上がったのか…。渡瀬は刑事として出来すぎなイメージだったが、決意と努力があったんだね。
でも奥さんにあたるの良くない。自己中。 -
考えさせられました。
冤罪、有ってはならない事です。
その判決を覆すことがいかに大変かわかりました。
最後は驚きました。 -
豪雨の夜の不動産業者殺し。
強引な取調べで自白した青年は死刑判決を受け、自殺を遂げた。
だが5年後、刑事・渡瀬は真犯人がいたことを知る。
隠蔽を図る警察組織の妨害の中、渡瀬はひとり事件を追うが、最後に待ち受ける真相は予想を超えるものだった。
どんでん返しの帝王が司法の闇に挑む渾身の驚愕ミステリ。
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今、この作家の刑事・渡瀬が登場するシリーズを順に読んでいってるねんけど、この渡瀬にそんな過去があったとはと知れる本やった。
冤罪は本当に恐ろしい。
この本では、無実やのに死刑判決を受け、獄中で自殺してしまい、最悪なパターンになってる。
警察はそれを隠蔽しようとし、警察はそうするやろうなと思いながら読んでてんけど。
この渡瀬は敵が増える中、1人で謎を解いて、事件を解決していくねんけど、ただ、犯人を見つけるだけじゃなく、そう仕向けた人間をも暴き、それがまた、予想だにしないほどの衝撃で驚いた。
いい人はやっぱりいい人やったし、
いい人が実はとんでもない悪い人やったし、
ろくでもない人は最初から最後までろくでもない人やった。 -
冤罪を扱った話だけに重く、読み進めるのに時間がかかった。二転三転しながら進むのでドキドキしながら読める。
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面白かった
序盤の取り調べ→自白獲得の描写がリアル
昭和50年代にはこんな取り調べがまかり通ってたんだという、時代設定も絶妙
重大事件について取り調べの録音録画がされるようになってもひどい取り調べをしていた検事が問題になっていたけど。。。
仕事をしないハズレの国選弁護人も、こんな弁護士いそうだと思わされる でも、作中では弁護士はなんだか蚊帳の外 警察官が主人公だから仕方ないか
別シリーズのスピンオフ作品だったのね
そっちも読んでみよう -
人が人を裁くことができるのかがテーマ。
最初の方は冤罪が作られる様子が描かれており、読んでいて胸糞だったが、こんなふうに追い込まれたら通常の判断ができなくなってしまうのがよく分かる描写だった。
日本は法治社会のため、司法は組織によってシステム化され、その責任は個人に依らないようにされている。法を司る組織には正義を執るためおしなべて権力が与えられているが、そこに属する個人が正義を忘れ組織の維持を目的としたり、組織の権力を個人の権力と錯覚してしまうことの怖さを感じた。
スタンフォード監獄実験を映画化した『es』を思い出した。人は、役割を与えることで、性格に関係なく役割にふさわしい行動を取るという。最後に描かれる高遠寺判事の言葉は、力を持つ立場に身を置くということは、その力に呑まれないよう、常に自分を律しなければならないとういうことなんだろう。
人の人生を大きく左右する力を有した職では無いが、多かれ少なかれ、社会の中で役割を持ち生きる身として自分をしっかり律することの大切さを学んだ。