ビニール傘
岸政彦著
2017年1月30日発行
新潮社
中編と短編の中間ぐらいの長さの小説が2編。「ビニール傘(70ページ)」と「背中の月(40ページ)」。どちらも不思議な文体で書かれた、なかなかの傑作だった。ビニール傘は芥川賞候補(2016年下半期)と三島由紀夫賞候補にもなった。
著者は小説家ではなく、社会学者。ビニール傘は小説初作品。
両作品とも、大阪に住む若者の話。なぜか市内の西側の狭いエリア名が頻出する。千鳥橋、西九条、運河、北港通(すべて此花区)、野田(福島区)、堂山(北区)・・・千鳥橋や西九条、運河は私の地元。「ビニール傘」は、大阪の都市形成についての研究所である「大阪~都市の記憶を掘り起こす(加藤政洋、ちくま新書)」に引用文献として出てきたので読んだ。
都会でありながら東京に比して貧しい、大阪市内に住む若者の、現代の貧しさや寂しさに生きる姿。ホームレスや安アパートに住むような貧しさではないが、それだけに、手狭なマンションで日頃からギリギリで生き、ひとたび仕事を失えばそこには逃げ道がないような、そんな貧しさ。そこに、パートナーがいたり、いなくて欲しいと思ったり、パートナーを失ったり、そんな思いが折り重なる若者の心の風景。若者の心は決してどろどろしておらず、乾いている。それだけに根底にある動かしがたい絶望感のようなものを感じる。若者は、最初から諦めている・・・それが普通?
「ビニール傘」
なんと言っても、文体。これはすごい。1と2に分かれているが、1は、男性の一人称スタイル。俺は、1人ではなく何人かの俺。しかし、それぞれがどういう状況か部分的にしか分からない。まったくの一人暮らし、女性と住んでいる、女性が出て行った、などの状況。仕事も解体などいろいろ違うが、みんな日雇い派遣のような不安定で貧しい状況。そんないろんな俺が、同じ続きの文章で連続して出てくるので、読んでいるうちにどの俺なのか、その姿がはっきりしなくなる。いつのまにか違う俺の話になっている。でも、ある俺のパートナー女性が四国に帰っていった。別れた話。
そして、2は、大阪で男性と住んでいたが出てきて和歌山に帰った女性の話。でも、それは1で四国に帰った女性と、美容師などの職業や生活の様子などがよく似ているが、微妙に違う。第一、故郷が違う。
とても不思議で、でも、じわっと心にまとわりつく小説だった。
「背中の月」
結婚して10年になる妻が突然死んだ若者の話。
大正駅近くに住み、環状線の野田と福島の間で毎日、廃屋を見ながら西梅田の会社に通勤。廃屋が段々朽ちていく。
勤めていた会社が傾き、早期退職か、給料ダウンをともなう正社員から契約社員への移行での継続勤務を選べと言われる。
デザイナーをする妻に相談すると、力になってくれる。小説では細かなところは書かれていない。さらりと、でも相手がいるからこそ救いになったと書く。そんな相手が、ある日突然逝ってしまった。
主人公は、段々と朽ちていく野田と福島の間の廃屋に住んでいた人のことを想像する。2つのパターン。
田舎から出てきて、うどん屋をのれん分けされ、子供が出来て、関西の中堅大学に入り、貧しくて無学の自分たちの子供が大学生になったことを喜ぶ。しかし、子供は段々いつかなくなり、そのことで何度も喧嘩をする。
子供がいない夫婦のパターンも想像。夫婦2人しかいないんだと自覚して暮らし始めるが、うどん屋を経営するエリアの工場は徐々に大阪から撤退し、中国や東南アジアに移転。労働者はホームレスに。うどん屋の客も縁、気がつくと年金をもらう年になり、夫が死に、妻も死に、持ち主の居なくなった家屋は朽ち果てていく。
自分の生活と廃屋に住む人の想像した生活。
そこに、新旧の貧しさと寂しさの違いを垣間見る。