- Amazon.co.jp ・電子書籍 (227ページ)
感想・レビュー・書評
-
古代ローマの政治家兼哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカによる、名誉や財産に焦点を絞った人生訓です。
『人生の短さについて』『母ヘルウィアへのなぐさめ』『心の安定について』の3篇が収録されています。
セネカと言えばネロの家庭教師であり最期には死を命じられた哲学者という認識でしたが、本書を読了して彼の内面に少しばかり触れることができました。
大変読みやすく、人生を下らないことで浪費せず質素かつ実直であることを説く一貫した内容となっています。
賢者という至高の存在を求め、気高く生きて死ぬことを実践した哲学者なのでしょう。
セネカを訪れるための入門書と言える一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ストイック」の語源たるストア派哲学にちょっと触れてみようと、Kindle Unlimitedで読了。
古代ローマの哲学者かつ政治家であったセネカの代表的作品集。訳者も心を砕かれていたようですが、新訳だけに非常に読みやすいです。
ちなみに、前に「クオ・ワディス」を読んだのですが、これがまさにセネカも登場する小説。思いを馳せながら読了しました。
本著の3篇。全てが特定の人物宛の手紙で、それが後世にまで伝わっていてこうして本になっているというもの。
2千年ほど前の古代ローマ時代にパピルスに書きつけられた手紙が、ちゃんと保存されてきていたのも凄いし、今でも広く読まれているというのも凄いことです。
さて、表題作の「人生の短さについて」は、本来人生は長いはずなのに、「ある者は無益な仕事に懸命に汗を流す」「ある者は酒びたりとなり、ある者は怠惰にふける」から短くなってしまうんだ、という人生訓。
↑こう言われてしまうと、どれも心当たりがメッチャあるんですが…(笑
多忙な状態じゃ何も成し遂げられないぞ、それじゃ生きているとは言えないぞ、じゃあ何をすれば良いのか?
セネカ曰く、「自分の時間の主人」になる方法は、俗人の元を離れて閑暇な生活を送ることだそうで、物凄い特別なコトを言われたという気分にはならないのですが、腑に落ちる感があります。
という感じで、3篇ともセネカの(本物の)ストイックさをまじまじと感じさせてくれます。
続く「母ヘルウィアへのなぐさめ」では、「あなたは、女性の持つさまざまな欠点とは無縁です。」と母親に向かって書きつけるあたり、当時のジェンダー認識が想像できますが、解説によるとストア派は男女平等の考えなんだそうで。
閑暇な生活…たぶん、向いてないなぁ(笑
それでも、セネカのような誇り高さを、どこかに持って日々を送っていければ良いなと思いました。難しいことですが! -
若い頃に読んでもよくわからなかったが、不惑を超えたくらいからいろいろと考えさせられた。
-
古代ローマのストア派哲学者セネカの代表作
『人生の短さについて』
『母ヘルウィアへのなぐさめ』
『心の安定について』
の三作が収録された本。
ここ最近ずっとこれを読んでいて、結局4回読みました。引用メモも沢山。多分、この先の人生でもまた繰り返し読むことになりそうです。
コロナ、経済問題、自然災害など、困難と不安が重なる現在だからこそ、二千年以上前の過酷な時代を生きた哲学者セネカの言葉が心に響き、なんだか励まされ、救われ、元気が出ました。
今この本を読んだら精神的に救われる人、人生変わる人、多いような気がします。
『人生の短さについて』は、多忙な生活を見直し、貴重な自分の人生という時間をどう有意義に過ごすべきかが語られています。
『母ヘルウィアへのなぐさめ』は、セネカの母親への愛情や考え方にも感動しますし、親を持つ子供としても我が身を振り返り学ぶものがありました。実家から離れて暮らす人、不安や心配を抱えるお母さんへのプレゼントにも良いかもしれません。
『心の安定について』は、仕事について、財産の考え方、友人選び、逆境での心の持ち方など、現代の我々にも大変参考になるアドバイスが沢山書かれています。
セネカ先生が身近にいて欲しかった!でも時空を超えて古典を読めば会えるという喜び!これまた『人生の短さについて』の中で書かれていることにも通じるのです。詳しくは読んでのお楽しみに。 -
Kindle Primeで読めたので。2000年前の哲学者の思想は、現代の私たちにも感銘を与えてくれる。例えば「生きるうえでの最大の障害は期待である。」など、多くの金言に触れることができた。大学3年生という人生の分岐路にいる自分にとっては、どう生きていくかについて考える深い材料になる。
-
訳が読みやすいからか、2000年近く昔の人も悩みは変わらないものがあるとあらためて思った
-
再読。一回目は大学一年生の終わりだったはず。ストア派の教えがベースになっていて、快楽を貪ることの愚かさについて説いている。
例え話でコロッセオや広場が描写されることから分かるとおり、2000年以上前の古代ローマ時代に書かれた本なのだが、人々の時間の使い方は今とそっくりである。流行りの道楽や人間関係が気になってしまう性質は、もはやDNAに刻まれている本能であり、意志なくしてはこの定めに流されるしかない(このトピックについては『人間らしさとは何か』に詳しい)。
前回読んだ時よりもありがたみが薄く感じたのは、多少なりとも時間の使い方が上手くなった証なのかもしれない。 -
時々読み返そう。以降は本からの引用です//自己に目を向けようとしたこともなければ、自己の声に耳を傾けようとしたこともない。だから、おまえがそのような義務を、他人に押し付けてよい理由などないのだ。じっさい、おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだから。人生を長くする時間の使い方――未来に頼らず、現在を逃さず、過去と向き合う。先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。その人生の中で、自分のものだといえる部分が、いかに小さいかを考えさせればよい。//われわれが生まれ落ちる環境は、それをなおざりにしないかぎり、われわれの味方になってくれます。賢者は、できるかぎり自分自身に頼り、すべての喜びを自分の中から引き出せるように、つねに努力をしているからです。//英知に到達できたと思い込んだり、自分の欠点をごまかしたり、そこから目を背けるようなことをしなければ、たくさんの人たちが、英知に到達できたのではないでしょうか。//自己嫌悪の発生源は、だらしのない心と、それが抱く欲望である。そんな欲望は、臆病でなにもできないか、そうでないとしても、わずかな望みしか満たすことができない。あなたが学問に専心するなら、あなたは、人生のあらゆる退屈から逃れることができるだろう…自分が重荷でなくなるだろう。そして、だれかの役に立てるようになるだろう。あなたは、たくさんの人々を引きつけて、友人にできるだろう。最良の人たちが、あなたのもとに集まってくるだろう。じっさい、徳というものは、いかに微弱であっても、見えなくなることはなく、その信号を外に発している。だから、徳の名に値する人はだれでも、徳の足跡を追って、やってくることになるのだ。慣れというものが、平然と耐えるすべを、彼に教えてくれるのだ。きみは、人生のどんな局面にいようとも、そこに、なぐさめと、気晴らしと、楽しみを見いだすことができる。そのためには、災難を軽いものと考え、それを苦痛のたねにしないよう心がければよいのだ。われわれは、これら二つのもの――すなわち孤独と交わり――をうまくつなぎ合わせて、交互に入れ替えるべきだ。孤独は、人間を恋しがる気持ちをかきたて、交わりは、自分を恋しがる気持ちをかきたてる。
-
多くの人は人生は短くあっという間に過ぎ去っていくと嘆く。しかし人の一生は有効に活用された場合には長い。人生を浪費するから短いのだ。真の閑暇は過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある。時間に向き合えない人の人生は短く、不安に満ちている。この哀れな人たちは死が間近に迫ってから、自分が長い間多忙なばかりで何も意味のあることをしてこなかったことに気づく。多忙な生活から離れ、本当の人生を生きなさい。閑暇な生活の中でその徳が何を成し遂げるか試しなさい。これからは時間を自分のために使いなさい。