私はこれを「個性という無個性」の構造にならって「評価という無評価」と名づけよう
この本のなにがつまらないかというといかにも優等生の模範解答な点がである。
(著者が「私もつまらない話しかできなかった」などと過去形で書いているのでもうしわけないのだが「充実感がない場合は、単に暇つぶしをしているだけです」P.109に鑑みてもそうだった)
しかしそれではつまらないので「いかにも優等生の模範解答」とはなにかについて考えてみよう。
一般に模範解答が上手な者を優等生と呼ぶ。そしてそれは当然ながら模範解答が優等生であることを必ずしも意味しない。(模範解答は別に優等生の一部分であってもいい。というかまちがいなく一部分であろう。本来は)
だが社会(模範解答を機械的に受け入るしかない優等生ではない大多数の凡人)は模範解答のみを評価することしか知らない。となれば、模範解答に長ける彼らが流れ着く先はいわずもがな。路頭に迷う必要のないスペックに生まれながら路頭に迷う選択などできようか。
むろんそこは優等生なのでその危険性を心得えるがゆえに万全の対策で挑む。それが本作であったろう。(すなわち己の生まれ持った使命が偶然にも或いは必然に、社会の需要と一致していたとの設定で描かれるお話である。作中にでてくるエキスパートや師匠の著作もおそらく同様のテンプレートで活動しているのであろう)
だが伝わるのは結局この模範解答が優等生の全部なのであろうことのみ。すなわち是非も分からない凡人たちに向けて自分たちが自由であるかのように見せるにすぎない「凡庸なスピリット」なのだ。
著者が「隠そうとしてもばれている」と書いているように。
「読んだページ番号が現在のあなたのレベルです!」というのは元気があって面白く大変によかった。その調子でいってほしかった。気遣いのある著者なのであろう。