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感想・レビュー・書評
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「BL」という宿題に応えたら生まれてしまった「問題作」、あなたならどう読み解きますか?
まず最初に断っておきますが、本作のあとがきでこれから購入しようという方が抱くであろう疑問点については原作者「飯島多紀哉」氏の口からだいたい触れられています。
その上で語らせていただきますが、男性同士の同性愛「BL(ボーイズラブ)」という特異なテーマに基づいて執筆され、ゲームの通販特典という特殊な流通経路を辿った三本の短編をまとめ配信したものがこちらになります。
もし、紙の本という形態にこだわるなら2009年2月に頒布された『鳴神学園短編集』ならびにそれと同内容の、2010年12月に頒布された『学校であった怖い話 短編集 一巻』にも三本揃って再録されています。
現物の入手はともかく内容を知るだけなら比較的容易ではありますね。なお、そちらはニンテンドーDS用ソフト『アパシー 鳴神学園都市伝説探偵局』でキャラクターデザインを務めた「尚親」氏が挿画を担当されました。
一方こちらでは新たなイラストレーターさんが挿画を施し、また新たな雰囲気を味わえる仕様になっています。
時に、元々「BL」という時点で相当人を選ぶ題材ではありますが、独特の絵柄も相まってかなり新鮮な読書体験が味わえた旨を申し上げておきますね。
ただ、同じくKindle配信された『アパシー 学校であった怖い話 短編集 上巻/下巻』は各種攻略本に収録されたり、購入特典として付属した小冊子で読めた短編ないし掌編を一挙に読めるお宝本という形式を取っていますが、本作を構成する三本が外されたのはテーマ性と客層を考えれば必然なのかもしれません。
あと、ここから前置きとして、少しどうでもいい話をします。ご容赦ください。
まず、同性愛ってのはやはり周囲から向けられる嫌悪感との戦い、それと肉体的な快楽に留まらない精神的つながりをなくして語れないものだと思います。
欧州地域においては古代ギリシャに端を発する「少年性愛」の文脈があったかと思えば、同性愛を嫌うキリスト教文化に押されて長らく公的な場では廃れました。
かと思えば仏教伝来以降、女性(にょしょう)を遠ざける思想から「衆道」という文化が本邦においては栄えてと。とりあえず『菊花の約』は名作だと思います。
この辺は肉体的なアレコレ、即物的に終わらないストイックで特殊な「義」に基づいた関係性ですね。
私自身詳しくないので明言は避けますが、戦後のわが国では男性同性愛でアングラ/サブカルチャー寄りな文化が形成されたりもしており、そちらを飯島氏は実際のゲームでホラーの演出に乗せて取り上げたりもしています。
なんであれ現実と照らし合わせると、総じていささかデリケートな題材なわけですよ。
実はシリーズすべての源流となった『学校であった怖い話』本編にも同性愛を取り上げたエンディングは存在していました。笑えばいいか悲しめばいいかわからない謎の超展開なのに少なくとも茶化してませんでしたけどね。
まぁ、創作は創作、現実は現実。
そんなアレコレを思うと、「BL」というのは精神的なつながりを重視しつつ、現実の枷を振りほどいた女性寄り、女性向けの文化なんでしょう。
比較的少女漫画の文脈から発生した綺麗めの世界観だと私は理解しました。
ただ、打って変わって飯島多紀哉氏は男子校文化の住人なんです。一経験者として断言させていただきますが、男の巣ってのは汚いところは汚いです。現実を知っているからこそ夢は見れないというか。
美少年が集い、多感な時期を共に送る「ギムナジウムもの」とはわけが違うというか。
氏は男同士の付き合いで変なものばかり見てきたためか、理想化された(時に肉体関係を伴う)男性同士の交わりには懐疑的です。
耽美的な世界観が描けないかといえばそんなことはなく、その意味でも名作を挙げることはできるんですが……。
狙って「BL」を描くのは趣向ではないのか、この作品群では結構無理してるところもあると感じました。
一方では男同士の友愛をナチュラルに描くことで女性人気を獲得されたりもしているので、この当時の同人市場に対しての取り組み方のひとつと思い、その挑戦的な姿勢に敬意を表したく存じます。
それでは収録作について触れていきます。
『滾れ、性春』
シリーズ本編の主人公のひとり「坂上修一」の一人称小説です。
客層としては「ティーンズラブ」寄りで、男同士の濡れ場描写もしっかり描写されている結構過激な作品です。
その上で個人的な感想を述べさせていただくと、妙な気恥ずかしさが全編に充満しています。
男同士という前提を差し引けば憧れの先輩「日野貞夫」に向ける甘酸っぱい恋心とそれを受け入れ応える彼。
荒々しい獣欲で襲い掛かってくる「新堂誠」、そして内に宿した真意を語ることはなかったものの物静かに主人公を導いていった「荒井昭二」。
それと作中に名残がありますが、実際は未登場の「風間望」の登場も視野に入れていたのでしょう。
割を食った人もいますがそれぞれの役回りは納得のいくものですし、全体的な筋運びとしてはだいたい王道です。坂上が恋心を抱くまでの過程こそ早いですが、まぁ許容範囲内。
それなのに、言葉選びのセンスが時々変なので素直に感動させるには厳しいなと感じました。
この辺は書いている原作者も自意識と戦われていたのかなと邪推してしまいます。間違いなくここは笑わせにかかってると思わせる一幕は存在します。バカエロのニュアンスを入れようとする意図もあったのかもしれません。
ちなみに最後の節でこの話は「作中作」であることが明らかになります。
この作品が執筆された年代である「1995年」から十三年後の新聞部に舞台を変え、この小説が実在の人物を用いたノンフィクションがわかるのです。そして、その過程の中で死人が出たことも……。
『日野先輩の災難』
こちらは先の作品の「回答編(?)」になります。死人の意味もきっとわかるんじゃないでしょうか?
種明かしをしておくと、文体としては先の『滾れ、性春』の執筆者である「倉田恵美」を中心とした、1995年当時のドタバタ劇をナレーション形式の地の文が追っていくという形式になっています。
で、この地の文、妙に追認的というか、ほのぼのとした文体なんですよね。
その上、原作者の他作品を例に取れば一見児童向けのブラックコメディ『ごちゃちる』寄りというか、明らかにノリが変です。変にアダルティなギャグも出ますし、思わず頭を抱えたくなりました。
表題の通り、根も葉もないところから書かれた創作小説『滾れ、性春』のせいで追い詰められていく日野先輩をコミカルに、悲壮感たっぷりに、けれどある程度納得のいくとおりに描いています。
この当時の「日野貞夫」は恐怖の支配者である「殺人クラブ」部長という肩書を払拭するように、なんとも扱いの悪い汚れ役を引き受けることが多かったのですが、これもその一環のようです。
ただ、テーマとしては好奇の目線に晒されて自滅を誘導されたり、それ以前に攻撃対象とは全く関係の無いところに飛び火したせいで招いた悲劇というのが、地味にえげつないですね。
発端と仕掛け人が別人ってのは相当面白い仕掛けだと思います。
実際は「福沢玲子」のせいなのに、途中から完全に身を隠しているので(読者を含め)ヘイトを買うこともない。
ただし、肝心の「岩下明美」さんはほぼノーダメージで終わったというのはなんとも皮肉です。
ちなみにこの話の中ではやられっぱなしの日野先輩ですが、その一方で「倉田恵美」自身はゲーム本編が出演した際の致死率は非常に高く、また日野貞夫本人が往年の迫力を見せる機会も巡らせているのでバランスは奇妙に取れているんですけどね。
それと「七転び八転がり」ならびに「アパシー・シリーズ」の歴史を語るうえでは初期作品ということもあり、これから相当長く尾を引くことになる福沢さんと岩下さんの対立関係、その当時から出来上がっていた部活関連の設定など見返す参考資料として地味に大事な一本であると感じました。
『恵美ちゃんの荒井君観察日記』
こちらは先程までの二編を踏まえた上での「展開編」になります。
当時の文責は飯島氏ですが、このパートのみは当時のスタッフの筆によるものと今回明言されました。
筆致としては『日野先輩の災難』を踏まえたものですが、焦点を当てられるのが『滾れ、性春』の中でも、作中の現実世界でも部外者的に動いた「荒井昭二」ということもあって比較的抑え目なトーンです。
設定的には上記作品を踏まえていますし、これら三部作は連携を取りながら当時執筆されたのかもしれません。
肉体的な関係は一切書かれず、保健室登校を続ける「益田洋一」という男子生徒との交流を重ねる荒井昭二。
それとはあまり関係なく、同人誌のネタ探しの中、作品内外で大人気な「荒井昭二」に突き当たった倉田恵美。
ふたつの流れがつながるのか、つながらないのかはご想像にお任せするとして。
まぁ、その辺はどうであれこの当時の飯島多紀哉流「倉田恵美」という強烈な個性が人を選ぶテーマ「BL」以前の問題として、作品全体を乗っ取ってしまったように感じました。
倉田さん本人の(当時の作風)は妙にハードコア志向なんで、ひるがえって作中における現実を相手にしたこちらの方が大人しめになってしまうのは意外というかなんというか。
さて、収録作品についてはここまで。
長々と語ってしまいましたが、「BL」もポルノと関係するかどうかで大きく装いを変えるのかもしれません。
最後に、この作品がシリーズ全体に占める地位について私見を述べる形でレビューを締めさせていただきます。
活動休止を挟みつつ、2020年4年現在も存立する同人サークル「七転び八転がり」作品は原作者自らが限定的とはいえ原作ゲームの版権を有する性格上、限りなく「一次創作(オリジナル)」に近い性質を有しています。
「アパシー・シリーズ」と銘打たれた作品群の扱いは人によって異なるものの、ほぼ「公式」であり一種の「続編」として私は理解しています。
作品を様々に展開する中、基本設定がその都度変わる「パラレル・ワールド」のため様々な可能性が語られるシリーズのさなか、バリエーションのひとつとして一番冒険した作品のひとつがきっとこれら三作なのでしょう。
とはいえ「同性愛」が何度も申し上げた通りデリケートかつ人を選ぶ題材である都合上、本作の過激なポルノも物語の中の一登場人物が妄想して作り上げた架空の出来事という最低限の線引きはされているので安心ですね。
当時は色々と反響はあったようですが、その辺はあとがきで触れられているので割愛しますね。
どうあれ、こういった極端な作品が原作者の名のもとに出された意義は大きいと私個人としては思います。
極論を最初に取り上げてから、極値と極値の間の可能性を徐々に探っていくのは思考実験として悪くない手かもしれませんし。
ヘンに悪乗りするのは本意ではありませんが、最初から切って捨てるのはもったいない。
「BL」といっても幅広いジャンルですし、これ以後に生み出されたシナリオに男子同士の性愛に至らない友愛が意識的に盛り込まれたのかもしれない、と考えれば作風を広げる上でよい一幕だったと思います。
シリーズの流れの中で語るとすれば念頭に置くのは筋違い、けれど判断材料にする分には面白い。
と、いった風でしょうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示