三度目の殺人 DVDスタンダードエディション

監督 : 是枝裕和 
出演 : 福山雅治  役所広司  広瀬すず 
  • アミューズ
3.24
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感想 : 141
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4943566310519

感想・レビュー・書評

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  • はい、是枝監督のオリジナル脚本。観ました。

    殺人の前科がある三隅(役所広司)が、解雇された工場の社長を殺し、 火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑はほぼ確実。
    弁護を担当することになった重盛(福山雅治)。弁護に「真実」は必要ない。「真実なんて誰もわからないんだから。」ただ裁判に「勝つため」に“法廷戦術”を追求してきた重盛。

    -それは、ありふれた裁判のはずだった-

    なんとか無期懲役に持ち込むために三隅の調査を始めた重盛。しかし 二転三転する三隅の供述に違和感を覚える。これは本当に金を奪うという私欲の為だけの殺人なのか? 本当に三隅が犯人なのか?「裁いたのか、救ったのか…」。調べを進めるうちに 三隅と被害者の娘の接点がみつかる。

    「本当のことに興味はないかな、重盛さんは」と冷ややかに笑う三隅

    「あの人の言った通り、ここでは誰も本当のことを話さない。」怒りと落胆を露わにする被害者の娘




    死刑判決に安堵の笑みをみせる三隅

    結局 最後は全てが謎で 何が「真実」かは観ている側に委ねられますー。モヤモヤ。ノベライズ本があるとのこと。三隅の心境や 遺体を十字にした意味など少しはわかるのかなぁ?

    福山雅治なんてカッコいいだけじゃん!と思って観ましたが、よかった。コロコロ変わる三隅の供述。万引きをする自身の娘の嘘の涙。「…今度こそ、本当のことを教えてくれよ」やがて「真実」を知りたいと苦悩する姿がカッコいい。(結局それ)

    「空っぽの器のようだ」と言われた三隅を演じた役所広司さんもすごかった。セリフの全てが 嘘か本当かわからない不気味さ。すごい。

    被害者の娘役となった広瀬すずちゃん。今回は台本を渡されたそうです。

    次は何を観ようかなぁ(‘v’*)

    • みんみんさん
      モヤモヤかあ…役所さんは見てみたいな
      モヤモヤかあ…役所さんは見てみたいな
      2023/09/09
    • ゆーき本さん
      モヤモヤよぉ〜
      「虎狼の血」と「渇き。」の役所広司いいよね
      モヤモヤよぉ〜
      「虎狼の血」と「渇き。」の役所広司いいよね
      2023/09/09
  • 勝利にこだわる弁護士・重盛(福山雅治)はやむを得ず、30年前にも殺人の前科がある三隅(役所広司)の弁護を担当することになる。
    解雇された工場の社長を殺し、死体に火をつけた容疑で起訴された三隅は犯行を自供しており、このままだと死刑は免れない。
    重盛は、どうにか無期懲役に持ち込もうと調査を開始する。
    三隅は会う度に供述を変え、動機が希薄なことに重盛は違和感を覚える。
    やがて重盛が三隅と被害者の娘・咲江(広瀬すず)の接点にたどりつくと、それまでと異なる事実が浮かび上がっていく。
    是枝裕和監督が、裁判ものに挑戦した作品。
    殺人犯三隅の二転三転する証言を周辺の人や三隅の前科を弁護士重盛が照らし合わせて殺人事件の謎を、重盛と娘や父親との関係などを絡めて描いていく展開の中で問われるのは、裁判の中で真実は見えてくるのか、自分にとっての真実は本当に真実なのかということ。
    重盛が殺人事件の被害者の娘と自分の娘を重ねたように、三隅も被害者の娘と自分の娘を重ねた。
    いくら俯瞰で見ようとしても、自分の思い入れなどが入って本当のことは遠ざかる。
    裁判でも、警察と検察と弁護士が落とし所を探して妥協したところを、真実と称している。
    そんな灰色な部分に、分かり易い白黒ついた決着をしていないのがユニークな傑作心理サスペンス映画。
    福山雅治、役所広司、広瀬すずの演技が、印象的。

  • 何が本当かわからない。
    本当のことを追い求める中で、主人公の動揺や焦りも見えてくるし、正義に対するゆらぎのようなものも見えてくる。
    単に「人を殺した」ということを、どういう文脈で見るかによって向き合い方も変わるのだろう。

    唯一はっきりと、この作品の中で良心であり続けたのは、3人の中で一番若手の弁護士。彼だけが常に、純粋に本来あるべき姿を主張し続けた。しかしその本来あるべき良心はすぐに何か大きなものによって勢いを失う。それが世の中というものを比喩的に表現しているのであれば悲しい。

    真実かどうかはわからないにせよ、娘に性的暴行をはたらいた父親の圧倒的クズ・クズオブザクズを筆頭に、自らは手を汚さず食品偽装の汚い金で甘い蜜を吸う妻のしたたかなクズさ、根も葉もないところから容疑者と被害者妻の関係を妄想して記事にしようとする週刊誌記者の下品でゲスなクズさ、そして犯人に死刑という極刑を下す立場にありながら、一言でいえば「めんどくさい」という理由で真実の追求などに目もくれない裁判官の日本をダメにしてる系のクズさと、何かと汚いものが蔓延っていて何やら末期的な様相。
    別にそれらに対して作品として何かしてくれるわけでもなし。
    良くも悪くも、ただただ裁判をめぐる人間心理のうつろいの描写にこだわっているのみ。
    スッキリしないという声が多数の作品であるが、私的にはそういう意味でスッキリしない映画。

  • 役所広司も福山雅治もすごく良い演技!
    撹乱されながら裁判が進み、うっすら見えてくるものがある。

    あの娘の、「ここじゃ誰も本当のことを言わない」ってのと、最後の福山雅治のセリフ「空っぽの器」ってのが妙に頭に残る。

    モヤモヤするけど、伏線バンバン、ほんまにいい映画作らはりますなぁ〜!
    死体の十字架、カナリヤの十字、最後の十字路。

    以下はメモ。引用。

    テーマは「冤罪批判」ではなく、「冤罪の肯定」。
    なぜ冤罪が肯定されるのか。
    冤罪ということは、真犯人は捕まっていない状態。
    しかし、真犯人が捕まるべきでは無い道徳的道理的理由が存在するんだ、ということ。
    冤罪が「善」である状態がありうる、ということが描かれる。

    この映画を観ていると我々は実際の冤罪裁判を思い浮かべる。
    我々の周りには十分ありうる話。
    真犯人と思しき人がいたとしても、過去や他に悪いことをした人が捕まって疑われたなら、それが死刑になってもしょうがないだろう、みたいな事案。

    法的な真実をどれだけ貫徹しても、法外の真実を取り逃がししまう可能性がある。
    法の外の真実を擁護するためには、法的な真実は追求されなくて良いという可能性もあり得る、と言ってるすごく挑発的な映画である。
    法外に押し出されたからこそ保持できる感覚に注目した映画なのでは。
    『誰も知らない』から脈々と受け継がれている作品。
    娯楽映画としても見れるし、社会派映画としても良い映画。


    物語当初、福山雅治扮する弁護士は、弁護士は真実を追求するためではなく被告人の利益のために存在するというスタンスを取る。
    しかし、被告人の役所広司との物語が進むに連れて、法内の真実(役所広司にとっての利益)を追求するのではなく、法外の真実(真犯人が広瀬すず扮する娘かもしれないこと)を追求しようとする。この法外の真実は、「神の視点から見たときの真実」でもなく、もちろん「役所広司に対する利益(法内の真実)」でもない。

    この第三の真実にコミットしていこうとしてしまう。
    しかし、そうすると、弁護士としてどう振る舞えば良いのか、わからなくなって行く。(法外の真実のために活動する弁護士、、困惑。。)
    その途方に暮れることのメタファーとして、最後の十字路が描かれていた。

    「三度目」とは、1度目の北海道での作品、2度目は今回の事件、3度目は死刑のことかな??
    裁判の限界、ってことなのかなぁ。
    我々は社会と法は重なってると思い込んでるが、社会は法からはみ出てるし、社会の不完全性を法で埋め合わせることもある。

  • 福山雅治の弁護士は、はまっているかもしれない。
    法廷戦術になれた弁護士。
    クレバーなアタマを、そこに集中する。
    法廷とは、法律を駆使して、戦術を使うことだ。
    犯人 役所広司の持つ危うい性格。
    福山雅治VS役所広司。
    役所広司の嘘の中の真実を見つける。
    なぜ、人を殺したのか?
    広瀬すずの複雑な想い。
    それに、答えることができない
    大人の不具合な社会。
    人間の複雑な想いが錯綜して、
    福山雅治の変化が 見ものだね。

  • 人が人を裁く行為は「正しい」と言えるのか?
    死刑制度というものを改めて考えるきっかけになる、重厚な作品。

  • 役所広司が薄気味悪くてさすがだった。
    斉藤由貴も生々しくて気持ち悪い感じが
    よく出てた
    広瀬すずちゃんも闇抱えてます感たっぷりで
    どうにもこうにも陰鬱な雰囲気醸し出してた。
    役者陣はそれぞれお見事だったんだけれどなぁー

    うーん、真実を求めて翻弄されていく様は
    わかったし
    いろんな角度から見るとそれぞれの
    ストーリーも
    見えてきて引き込まれては行くんだよ。

    三度目の殺人が何を言おうとしているか
    はわかるし
    「誰をさばくかは誰が決めるんですか?」
    っていうすずちゃんのセリフや
    司法のあり方について突き詰めていくと
    「人は人を裁けるのか?」っていう
    ことになっていくのだろうか?

    何度か見たらまた違う感想に
    なるのだろうか?
    今ひとつ私には謎だらけで
    終わったのが残念だった。

    ヨーロッパ映画っぽい感じがしたのは
    音楽だろうか?
    それとも画面の色味かな?

    とりあえず見終わった私の頭の中は
    ??????? ハテナ? がいっぱいでした。

  • * 是枝監督の作品はどれも好きなんだけど、他とは全然テイストが違く、正直あまり好みではなかった。
    * とにかく全てをふんわりとさせていて、視聴者は置いてけぼりにされて酷評するか、ものすごく深読みして哲学的だと絶賛するか、二分してるイメージ。
    * 解説ブログとかもちょっと見てみたけど、正直モヤっとなものが多く…こういう映画の深読みさせ具合って難しいよなーと思った。
    * その中でも一番しっくりきたのは
    * 一度目の殺人-北海道-高利貸しを恨む人たちの器に
    * 二度目の殺人-東京-咲江の器に
    * 三度目の殺人-法廷-咲江を守りたいという重盛の器に
    * っていう解釈だった。それでも三度目の殺人はちょっとあまり腹落ちしなく。映画の結末としては弱すぎると感じてしまった。

  • 過去に殺人事件で服役を終えた男が、再び別の殺人事件の容疑者として逮捕され罪を認める。が、容疑者の話は二転三転して、担当弁護士が翻弄されていく。

    最後まで容疑者は真相を明かさないものの、数々の伏線はひとつの方向を指し示している。被害者の娘を救うための犯罪であったことは間違いないだろう。
    それよりも、途中から、タイトルである第三の殺人とは何を示すのかが気になった。
    過去の殺人、今回の事件、そして第三は容疑者の死刑だとした場合、司法に殺されたという意味かと考える。でも、三つの殺人を横並びにするのであれば、犯人は同一ととらえるほうが自然だ。つまり、最後は自分自身を死刑に導いて殺すという意味とも取れる。遺言のようなハガキ、戻らないことを覚悟してカナリアを殺し、生きていてはいけない人間として十字架を背負い死ぬ、と考えるとつじつまが合う。
    ただ、被害者の娘の気持ちを考えると、恩人が自分をかばって死ぬことは、かばわれた当人にとっては本当の意味での救いにはならない。むしろ、年を重ねるごとに自責の念にとらわれて苦しみは増すはず。だとしたら、容疑者の選択は軽はずみだ。

    また、仕事の役割として刑を軽くすることのみを重視して真相の解明には興味のない弁護士が、容疑者との接見を重ねるうちに変化していく様もよかった。
    終盤、容疑者の心のうちを理解したと感じたシーンでは、同化するように二人の姿が重なり、拒絶されることでまた離れていく。言葉以上に伝わるうまい見せ方だ。

    映画館で見そびれた作品だったため、テレビ放映を見たのだが、コマーシャルの多さに辟易。でも、映画館で見ていたらもっと追い詰められた感覚になって辛かっただろうなとも思う。役所広司の心のうちを見せない演技が秀逸だった。

  •  あえて考察させるような作りになっている感じがして少しあざとい印象を受けます。「あの子は嘘つきですよ」のセリフであったり、福山の見る夢の中で役所、広瀬が雪の中で十字に寝転んでいたり、実は広瀬すずが真犯人という方向性に読ませようとしてきます。もしくは共犯者なのか、後始末だけ役所がやったのか、いろんな見方が出来ますがどれもミスリードさせられている感じがします。ただタイトルから憶測すると第一の殺人は役所が起こした過去の殺人。第二の殺人は殺された広瀬の父親。そして第三の殺人は役所の死刑と考えると、その殺人者は法廷(福山)であり第一の殺人が役所、第二が広瀬、第三が福山というのが一番すっきりした形のようには思えます。福山は最後、十字路に立っている場面がありますし、これで三人十字架(殺人)を背負った的な。また罪人を死刑に裁いても殺人と言えるかもしれませんが、やはり冤罪の死刑の方が殺人と言う言葉にはしっくりきますので第二の殺人犯は役所ではない方がという感情論的な意味も含めて。とあれこれ考察しているあたり作り手の思惑に乗っかってますね。変な言い方ですが考察しやすいという面白さのある作品なのではないでしょうか。しかし財布の臭いがなぁ……。でもカナリア的に……。

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著者プロフィール

著者)是枝裕和 Hirokazu KORE-EDA
映画監督。1962 年東京生まれ。87 年早稲田大学第一文学部卒業後、テレビマンユニオン に参加し、主にドキュメンタリー番組を演出。14 年に独立し、制作者集団「分福」を立ち 上げる。主な監督作品に、『誰も知らない』(04/カンヌ国際映画祭最優秀男優賞)、『そ して父になる』(13/カンヌ国際映画祭審査員賞)、『万引き家族』(18/カンヌ国際映画 祭パルムドール、第 91 回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)、『真実』(19/ヴェネ チア国際映画祭オープニング作品)。次回作では、主演にソン・ガンホ、カン・ドンウォ ン、ぺ・ドゥナを迎えて韓国映画『ブローカー(仮)』を 21 年撮影予定。

「2020年 『真実 La Vérité シナリオ対訳 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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