君の名前で僕を呼んで [DVD]

監督 : ルカ・グァダニーノ 
出演 : ティモシー・シャラメ  アーミー・ハマー  マイケル・スタールバーグ  アミラ・カサール 
  • Happinet
3.70
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本棚登録 : 367
感想 : 79
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4907953270732

感想・レビュー・書評

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  • なんだか、ちょっと放心してしまってて。
    エンディングのエリオがよすぎた。

    序盤は、微妙な二人の関係を描きながら、中盤でその距離感は絶妙なものになる。
    例えば、相手のリュックに自分の物を一緒に入れてもらう、とか、相手のことを結構好きじゃないとできない。そういうちょっとずつちょっとずつの気持ちの積み重ねみたいなものを、ものすごく丁寧に、綺麗に描いた作品。

    しかしそこにあるのは美しさだけでもなく。
    エリオが一人でアプリコットにぐりぐりと指を突っ込んでいくシーンはものすっごくエロくて、わたしはどうにかなりそうだったのだけれど、それはまた苦悩をも描いている。
    そんな苦悩を経て、お互いに過ごした日々はまるでハネムーンのよう。その描写が激しくて美しいほど、オリヴァーが目の前から去っていく日を色濃くする。

    とにかくエリオが美しい。
    夏というだけあってしょっちゅう脱ぐんだけど、その所作だけでなく、ピアノを弾く姿なんてもう////
    自分の感情に悶えるエリオも、曲を作ってるエリオも、セックスをするエリオも。
    一番は、やっぱりアプリコットである。

    すごい作品でした。
    恋愛映画として、というより、人間の生々しい感情にじりじりと攻め込んでくる感じ。
    そして、ひとつひとつのシーンをとても大切にしているのと、街並みや自然の美しさもしっかり魅せてくれるので、感情が受け流されずにゆっくりと作品とともに動いていく感じ。
    エリオの両親もまたすごくいい人たちで。
    父がエリオに語りかけるシーンは何回か戻してセリフを聴いたくらい。

    人間、やっぱりちょっとした狡さがないと、しんどいね。

    エリオが奏でるピアノだけでなく、劇中の音楽も作品とすっごく合っていてよかったです。

    • なつこさん
      私も好きな映画です。先日、再鑑賞したばかりです♪
      21歳であの役をやってのけたティムは凄い!
      私も好きな映画です。先日、再鑑賞したばかりです♪
      21歳であの役をやってのけたティムは凄い!
      2022/02/13
    • naonaonao16gさん
      なつこさん

      こんばんは!

      コメントありがとうございます^^
      再鑑賞とは、かなりのファンですね!!いいですね!

      わたしがロ...
      なつこさん

      こんばんは!

      コメントありがとうございます^^
      再鑑賞とは、かなりのファンですね!!いいですね!

      わたしがロマンチストだからか、もっと恋に落ちた劇的な瞬間、みたいな描写がほしかったな~と、少しばかり思っています…

      21歳でしたか!
      あれほど繊細な演技を求められる演技、なかなかできないですよね。
      ラストの暖炉のシーンは本当にすごかったです。
      2022/02/13
  • 1983年夏、北イタリアの避暑地で家族と過ごす17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授の父が招待した年上の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と出会う。一緒に自転車で散策したり泳いだり、読書したり音楽を聴いたりするうちに、エリオはオリヴァーに恋心を抱く。やがてその思いは通じるが、夏の終わりが近づくにつれてオリヴァーが避暑地を去る日が近くなり…(シネマ・トゥデイ)

    いわゆる今まで観たLGBT映画とは全然違う、エッジの利いたボーイズラブ初恋を描いてあるとも受け取れる。しかし底が深かった。
    主人公のエリオが恋した相手は7歳年長のオリヴァー。私にとって、オリヴァーは最後まで不可解な男だった。イケメンで頭脳明晰なモテ男で、思春期の男の子が魅力ある年上の女性に憧れる男性版のような人物だった。エリオは、セレブでアカデミックな進歩的な考えの両親の元に生まれ才能豊かな17歳。エリオの父は美術史学の大学教授でもって母親も翻訳家。北イタリアの広いヴィラにはメイドや庭師もいて美しい果樹園も持つ豪邸。そこで毎年ひと夏を過ごすエリオ一家。今年、父親は研究インターンに24歳のアメリカ人大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)を選んだ。知的でアメリカ青年の自由奔放さに反発を覚えながらいつしかエリオは恋に落ちていた。ここまではエリオが恋心を抱いたのがたまたま男性だったということで、さほど今まで良くあるパターン(女の子とも付き合っている)。大きく違うのが、進歩的な両親はエリオが男性に恋しているのを知り、反対するどころか応援する側に回る。葛藤がない親を見て、アカデミックな家はさすがだと感じつつも凡庸な私に違和感が引きずる。周囲の冷たい視線や差別と闘う必要がないGカップル。エリオの恋人らしき女の子も、さや当てだったと感づき「これからも友情で結ばれる」と理解を示して別れて去る。
    エリオは同性を望む自らに戸惑い嫌悪を抱きながら恋心を募らせていく。恋するエリオは見ていていじらしいほど可愛い。一見、偏見のない両親や周囲に恵まれて幸せだろうと思いがち。でも、周囲に反対がない恋は却って厳しくてつらいのかもしれない。無理解な反応に怒りを向けるはけ口すら許されないで自分で決めなければならない。
    エリオとオリヴァーは結ばれるのだが、オリヴァーは夏休みが終わるとアメリカへ帰国することになっている。エリオの心中を察して、両親はイタリアを去る前に2人きりの時間を過ごす小旅行を提案する。歓喜に満ちた日々を過ごしオリヴァーがアメリカへ旅立った日、エリオは自力で自宅へ戻れない。駅から母親へ「迎えに来てくれ」と電話する。息子を2人育てた私が「それって何よ、信じられない」と思っても許されるだろう。度を過ぎた親子関係に驚愕したのは私だけだろうか。
    家に戻り憔悴したエリオに父が語りかけた言葉は胸を打つ。
    「ひとの心と肉体はたった一度しか与えられないものなんだ。そして、そのことに気づく前に心は擦り切れてしまう。今はただ悲しく辛いだろう。だが、それを葬ってはいけない。お前が感じた喜びをその痛みとともに葬ってはいけない」
    なるほど父親も実は隠れGだったからと少し納得できた。父はエリオの母親と結婚してエリオをもうける生き方を選んだのだ。自分の息子には世間に惑わされず、心に正直に生きて悔いを残さないで欲しいという親心からだったのかも。そのためには欲求に蓋をせず渦中に飛び込んで自らの道を選ばねばならない。オリヴァーからの婚約報告の電話にも両親は落胆する様子もなく祝福している姿を見ると、彼らが仕組んだのかもと思わずにいられなかった。『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』のような気持から、エリオの自立する成長を願ったのか。
    しばらくしてアメリカに住むオリヴァーからエリオに婚約したという電話が入る。エリオは、オリヴァーではなく「エリオ、エリオ、エリオ」と電話口で呼びかける。それは、かつて、オリヴァーが「君の名前で僕を呼んで(Call me by your Name)」と言ったから。不自然に感じながらも涙は止まらない。「オリヴァー」と呼ぶオリヴァーの回数は少なかった・・・。
    タイトルにもなっている”Call me by your Name”。
    検索して他の感想を読むと、「自分で自分を愛してあげて、認めてあげて」「ふたりがシンクロして、自分か他人か分からなくなるくらい同一化していくこと」など書かれていたが、私にはこじつけに思える。相手の名前で自分を呼ばれるなんて心に響かない。やはり好きな人には自分の名前を呼んで欲しい。
    父親が語った「感じた喜びをその痛みとともに葬ってはいけない」。このフレーズはとても深く染み込む。何度も何度も口ずさんでかみしめた。

  • なんて繊細で儚い、余韻に満ちた作品。
    鑑賞終了から、未だにラストの無情さと切なさと、そして、儚い美しさを噛みしめている最中です。

    盛夏の北イタリアのとある村。家族で避暑を楽しむ17歳の少年エリオのもとに、美術史家の父が招いた24歳のアメリカ人青年オリヴァーが、六週間の滞在予定でやってくる。
    如才がなく、人タラシでもあるオリヴァーは、すぐに家族にも村にも溶け込んでしまう。そして、いつの間にか、エリオをも魅了する。

    好きになるきっかけらしいきっかけもないまま、それでも二人は惹かれ合い、恋に落ちて、わずかな時間を共有します。でもそれは、当事者の二人にとっても、周囲の人々にとっても、初めから終わりがくることはわかっていて…。

    敢えて劇的な展開もきっかけもない、淡々としたつくりながら、それゆえに却って、若い感性の敏感さ、不可思議さ、その儚さや貴重さ、恋に溺れる高揚感と喪失の痛みといった、とても感覚的であるとともに、刹那的な美しさを持つ様々なものが、盛夏のイタリアの田舎町の美しい風景と相まって描かれ、際立っています。
    そして、息子の若い感性と経験を尊重して、見守った両親の懐の深さと愛情の描き方がこれまた素敵。

    脚本は「日の名残り」(1993)のジェームズ・アイヴォリー監督とのこと。
    「日の名残り」では、過去を昇華する老人を情感豊かに描いていたのに、この作品では、対極にある、未来に踏み出す少年の刹那的なきらめきと傷心を情感豊かに描ききっています。

    (監督と脚本とでは少し役割は違うでしょうが、)この人、本当に、微細な空気感というか人生の機微を形にするのに長けた人なんだなあ…としみじみと感心してしまう。

    感覚的なものを、さらりとまとめあげて情感豊かに美しく表現する手腕では右に出る者がいなさそう。

    それにしても、ラストシーンの、静かな泣き顔がまだ胸に残ってる…。あんな終わり方にしちゃうとは…そりゃあ、「生涯忘れられない恋」になってしまうよ…。

    若者を描いているためか、性的に生々しい描写も数多かったので、正直、おおっぴらには人に勧めづらいのですが、それでも、感覚の捉え方と表現が見事なので、観て損はない作品だと思います。

  • ずーーっと見たいと思っていた。
    ルキノ・ヴィスコンティ「ベニスに死す」が生涯ベストに入るので、そこに列するかどうかと期待していたが、むしろ別方面で大好きな映画になった。
    少年讃美や人生の黄昏れではなく、瑞々しい青春もの……最近見たものだとグレタ・ガーウィグ監督「レディ・バード」シアーシャ・ローナン主演と対になっていると感じた。(だからこそ「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」での二度目の競演を見るのが、なおさら楽しみになってきた。)

    作品の成立過程も興味深い。
    アンドレ・アシマンが個人的に書いたものが出版され、それを原作にジェームズ・アイヴォリーが企画・脚色した。
    (鑑賞記録によれば2004年に「眺めのいい部屋」と「ハワーズ・エンド」を、2004年と2007年をはじめ「日の名残り」を何度も、2005年に「サバイビング・ピカソ」を見ているが、なんと「モーリス」は未見。)
    共同監督という案もあったらしいが、出資者の意向でルカ・グァダニーノに監督が任された。
    結果、ジェームズ・アイヴォリーもアンドレ・アシマンも結構出来に満足しているとか。
    そりゃここまで上質なものができればね。

    抒情的に描かれるのは徹頭徹尾「恋心の感覚」そのものだ。
    同性愛者だからという葛藤や苦悩は、決して軽視されるわけでないが、あまり重視されないというか要素は薄い。
    むしろLGBTQなら葛藤を描かなきゃいけないだろ、という見る側の先入観を軽々と蹴散らしてくれる。
    また、念者による少年讃美の要素も薄く、お兄さん的人物への憧れを抱く少年の側に視点が置かれる。
    お尻とか、パンツかぶったりとか、桃オナニーとか、ゲロとか、お道化とか、思春期のあの頃の「自律できなさ」が端々に現れるのが、リアル(このへんがまた「レディ・バード」っぽいのだ)。
    貴族みたいな生活ぶりや、美貌も才能も時間も与えられた「持てる者」ぶりにリアリティがないという意見もありそう。
    しかしそういう完璧さからポロっと零れ落ちる滑稽なところに、シャラメ演じるエリオのリアルさと魅力がある、と思う。(美少年萌えな大人の視線に「消費されまい」「食い物にされてたまるか」というシャラメの気概というか現代性があるはず。)
    また長身のアーミー・ハマー演じるオリヴァーも、服装の野暮ったさや踊りの鈍重さが愛らしい。
    エリオは踏み出そうとする。
    オリヴァーは(直接は描かれないが)かつては遊び人だった風貌もありつつ、エリオと境界を越えるのに逡巡したり、ユダヤ教の親を気にしたり、すでに婚約者がいたり、と踏み出しかねている。が。
    結局はひと夏の情事ということにこの映画では落ち着くが、原作は続きがあるらしいし、続きを「ビフォア・サンライズ」式に作る案もあるんだとか。
    この一作だけでも一生楽しめそうなのに、連作になれば、なおさら。

    ところで原作者アンドレ・アシマン(やジェームズ・アイヴォリーやルカ・グァダニーノ)が自分を託す人物は、エリオとオリヴァーだけでなく、エリオの父ミスター・パールマンでもある。
    作り手たちがそれぞれ三者に、かつての自分、今の自分、かつてあったかもしれない自分、今あるかもしれなかった自分、を託しているからこそ、切実な作品になっているのだと思う。
    すでに損なわれた者が・すでに諦めてしまった者が、自分もこうあり得たかもしれないと夢想するのが創作だとしたら、いままさに自分の性向を諦めようとしているオリヴァー、さらにはすでに諦めきった(上で? からこそ? 理解のある)ミスター・パールマンがエリオに対して投げかける言葉は、いまの若者へのメッセージ・若かった自分へ投げかけたかったメッセージなのではないか。

    ※終盤の父の台詞の字幕を書き出し、句読点をつけた。( )はエリオの台詞。

    食事に来なかったね。
    ともかく…おかえり。
     (どうも。)
    彼は旅を楽しんだ?
     (そう思うよ。)
    すばらしい友情だな。
    賢いお前にはわかるだろう、稀有で、特別な絆ということが。
     (オリヴァーはオリヴァーだ。)
    ”それは彼だったから”、
    ”それは私だったから”。
     (彼はとても頭がいいけれど…。)
    頭がいい以上だ。
    お前と彼の間には…、知性だけではない、全てがあった。
     (彼は善良だ。)
    お互いを見いだせて、幸運だった。
    お前も善良だから。
     (彼は僕より優れてる。ずっと優れてるよ。)
    彼も同じことを言うだろう。
     (きっとそうだね。)
    お互いへの誉め言葉だ。

    思ってもいない時に、自然は狡猾な方法で、人の弱さを見つける。
    そんな時は…、私がついている。
    今は何も感じたくないだろう。
    二度と感じたくないかも。
    それに…、こういう話をしたいのは、私とではないだろうが。

    お前は確かな何かを感じた。
    お前たちは、美しい友情を得た。
    友情以上かもしれない。
    うらやましく思う。

    多くの親は、早く終わらせたいと願い、息子が冷静になることを祈る。
    私は、そういう親ではない。

    人は早く立ち直ろうと、自分の心を削り取り、30歳までにすり減ってしまう。
    新たな相手に与えるものが失われる。
    だが何も感じないこと…、感情を無視することは、あまりに惜しい。
    余計な口出しかな?

    もう1つ言おう、より分かるだろう。
    私は逃してしまった、お前たちが得た経験を。
    何かが常に、私を抑えた。または妨げたのだ。

    お前の人生は、お前のもの。
    だが…、忘れるな。
    心も体も、一度しか手にできない。
    そして、知らぬうちに、心は衰える。
    肉体については、誰も見つめてはくれず…、近づきもしなくなる。

    今はまだ、ひたすら悲しく、苦しいだろう。
    痛みを葬るな。
    感じた喜びも忘れずに。

     (ママは知ってる?)
    知らないだろう。

    ※ボー・バーナム監督「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」でも同じように、父娘の対話をメモしたな。
    親の前で(比較的素直に)泣いたり、心情を吐露したり、親にヘルプを求めたりできる子、その素地を作れた親、という描写にぐっとくるようになったのは、年を取ったためか。
    もろに藤子・F・不二雄先生のメッセージを託した静香父のシーンも連想。

    ※そういえばラヴェルをはじめ、音楽も素晴らしかった。

    ※ちょうど高原英理・編「少年愛文学選」を読んでいるが、文化東西時空を越えて感じ入るものがある。キーワードは「憧憬」。

    ※蛇足ながら、中井英夫にこの映画を見てほしいなと感じた。あなたが地球という名の流刑地を離れた数十年後には、こんな映画が支持されてるんですよ、と。

  • 『禁色』を読みたいなあとぼんやり思っていた時に、たまたまGYAOで配信されたから観ました。有名な映画なので同性愛の話とまでは知っていて、OPのタイトルバックにギリシャ彫刻。この時点で「なるほど!」と。

    古代ギリシャでは少年愛(同性愛)は普通のこと、いやそれ以上に「市民の義務」だったそうだ。かのソクラテスは「しびれエイ」の異名を持ち、少年たちにモテモテだった……という話を聞いて、まるでロックンローラー、グラムロックのデヴィッドボウイやマークボランのようじゃないかと思った。
    主人公、エリオのお父さんは大学教授で、言語学や考古学。「お父さんが理解がある」のはこのへんが前提になっているからだと思う。なんなら……って話。最後の方でお父さんが語るシーンで「善」と言うけど、これもギリシャ哲学だと思います。


    ここから本編の話。
    同性愛やLGBTもの、そんなに沢山ではないけど観ていて、昔のものだと作品そのものがタブー視されていた時代があって、そのほとんどが社会派映画になってた。いや、昔といってもそんなに昔ではなくて、最近のものまでそう。
    私が考えていたのはその先の話で、同性愛が「ごく当たり前のこと」として描かれるような社会になればいい、と。それはあくまでも理想だけど。それに近いのがまさにこの『君の名前で僕を呼んで』ではないかなと思う。社会派映画ではなく、完全に恋愛映画・青春映画として描いている。17歳のエリオが、北イタリアの避暑地の別荘にやってきたアメリカ人のオリバーと恋愛するという話。

    さらに、私がよく言う「性のめざめもの」の要素もある。『青い体験』や『シビルの部屋』など、イタリアやフランスの映画。少年が初体験をするという話と、自分のセクシュアリティを自覚する話が重なっている。そしてそれは異性愛か同性愛か、特に決着しないと思う。先日観た『アデル、ブルーは熱い色』にも「男も女も試してみたけど女の方だった」のようなセリフがありました。だからどちらかよくわからないし、はっきりとどちらというわけでもないという状態。

    北イタリアのこの村が、まるで楽園のように社会や現実から隔絶されていて、そこでひと夏の青春を過ごす。その時、その場所、その相手とでしか経験できない、初恋の話。


    時代設定は1983年。これで思い出すのは『フォレストガンプ』のラストが1981年だったこと。原作の1987年を83年に変更したらしい。エイズが一般的に認識される前にして、社会派要素を抜いている。

    公開前後の頃は80年代ブームだった事もあるけど、この時代の車、音楽、ファッションは面白い。車はさらに前の70年代のフィアットなど、シトロエンDSも登場。エリオの部屋のポスターにピーターガブリエル、エリオのTシャツがトーキングヘッズ。エリオはラコステのポロシャツ、オリバーの方はラルフローレンと、このくそベッタベタ感!私はラコステが好きだったし(かつてルメールがやってた為)、レイバンのああいうサングラスをかけてキャンプしてたから面白い(2010年代頭頃の話)。

    エリオもオリバーもユダヤ教徒で、他のカトリックやプロテスタントと比べて、同性愛を最もタブー視しているのはどれかわからないけど、やはりそれは強い。エリオの家系はイタリアやフランスやアメリカだったか、色々入ってるらしい。
    両親の職業柄もあって、英語、フランス語、イタリア語が飛び交う。エリオの趣味は「バッハの○○風」など編曲すること。この部分も、ものすごく多様性を表しているし、ポストモダン的。

    「社会派要素を抜いて恋愛のみにした」と書いたけど、恋愛映画として見るとあまりにも描写がない。「ビビビ婚」とかよく言うけどまさにそれで、一目惚れ同士だったのか?あるいは、ゲイ同士だったら見たらわかると言うけどそれなのか?この部分はまったくわからない。エリオとオリバーのセクシュアリティも、ヘテロなのかバイなのかもよくわからない。だから、「個として」とか「魂が」惹かれあったのかなとしか推測できない。普通の恋愛映画としてはそんなに面白いとは思わなかったし、「古代ギリシャです」としか言えない。

    個人的には、エリオのガールフレンドのマルツィアがものすごく良いケツだなあと序盤から思っていたら、どんどんとんでもないことになっていった。映画で女性のヌードシーンは数多く見てきたけど、かなり上位で良い体をしている。この場合の「良い体」というのは、けして「ナイスバディ」という意味ではなくて、単に私の好みのバランスなだけです笑。
    なぜこれを書くかというと、これもギリシャ彫刻のプラクシテレスの話があるため。私が女性のヌードを見るとき、ひとつは普通にエロい目で見るんだけど(普通か?)、一方で彫刻のように捉えざるを得ないんです。だから私は人間の骨格の話をよくします。

    エリオの顔は、ラテン系になったジェームズディーンみたい。オリバー役の人はモロにアメリカ人ぽい。そのぐらいで特には惹かれないけど、エリオのズボンがいつも下がってて腰で履いてしまってるのはやめて欲しかった……きちんと履いてる方がエロいんじゃない?と思うのは私だけなのかな。あと、桃(アプリコット?)はやると思ったけどやめてくれー!と思いました。エリオ君、日本には蒟……(自主規制)

    ロバートメイプルソープのセルフポートレートがどこに使われてたのか、よくわからなかった。

    ほかに、一番びっくりしたのはラストのビルパクストンに対する追悼文。我々は全員ビルパクストンが好きなんです!なんでもプロデューサーのパートナーがビルパクストンと親友だったとか、そういう理由だそう。そして、BSテレ東でさっきまでターミネーターをやっていた。

    • knkt09222さん
      本筋と離れて思い出したとき、マルツィア最高じゃんと思っていたら、なんとGMNTさんも同じ観点……笑ってしまいました。
      本筋と離れて思い出したとき、マルツィア最高じゃんと思っていたら、なんとGMNTさんも同じ観点……笑ってしまいました。
      2021/07/07
  • 家で本作を一時間ほど鑑賞したぼくは、にわかに席を立ち、壊れかけたミキサーを棚から取り出した。スムージーを作りたくなったのだ。レシピを適当に参照しつつミキサーにイチゴとミカンを放り込み、あとヨーグルトと蜂蜜と牛乳を投入。そしてひたすら撹拌。プロセスの途中でミキサーの基部が発煙してしまい作業が進まなくなったが、なおも諦めず、麺棒でぐりぐり果肉を潰した。小一時間かけてようやくスムージー然とした液体を、とっておきの英国製グラスに注ぎ、リビングに舞い戻った。甘いと酸っぱいが奇妙にも混じり合っていないソレを飲みながらふたたび鑑賞した。
    そういう作用を持った映画である……と結論するのはいけないだろうか。

    画面に映るすべてに、見知らぬ文化を感じた。安直なぼくはむやみに惹かれた。
    エリオとオリヴァーの着る服装のイカスことを筆頭として、基本的に半裸でいること、接吻の場面がありふれていること、家族間の繋がりが綿密で甘〜いこと、木陰でヴァイオリン弾いたり作曲したり、着のみ着のままプールに飛び込むこと、食卓に載る食物がどれもウマソウなこと、教授の自宅に長期滞在すること、オンナノコと半裸でバレーすること、スキンシップが別段いやらしい意味を持っていないこと、湖底から引き揚げたブロンズ像と握手すること、スムージーがさらっと出てくること……これらがイタリアの信じがたい好天のもとで繰り広げられ、観客に提示されるからたまらない。ミーハー人としては身の回りを変革したくなるではないか。しかし、どこから手をつけたものか全く見当がつかない。お腹が弱いから裸族を通すのは骨が折れるし、ヴァイオリンもプールもない。それに接吻のセの字を思い浮かべるだけで赤面してしまう。というわけでセカストで柄シャツを買ったり、スムージーをこねたりするわけだ。度胸に乏しいのに妙な欲望を植えられてしまった。キンモクセイの木陰で作曲始めましたと言い出す日も遠くないやもしれぬ。

    フィールドワークで徹底して客観的にいるなんて無理だと実感した。
    ……これで本作についてレビューしたことになるのか不安でならない。
    エリオ役のティモシー・シャラメの美貌に終始嘆息しておりました。

  • なぜか忘れたけれど一度途中まで観て、それっきりになっていた映画。
    北イタリアの美しい田舎町に住む、学者の家の息子エリオを演じるティモシー・シャラメの美しさにはため息が出る。
    そこにアメリカからやってきたハンサムな大学院生オリヴァーが一夏の間の助手として住み込むことになる。
    そこから「ボーイ・ミーツ・ボーイ」な展開が始まる。とにかく風景が綺麗で、二人も美男で、美しい映画。

    エリオは17歳ながら英語も話し、ピアノを弾き、読書を愛し深い教養を持つ知的な若者。
    オリヴァーは典型的なアメリカのイケメンって雰囲気の自信満々なタイプ。
    二人は徐々に恋愛関係になる。エリオ目線でオリヴァーに惹かれていくのがよくわかる映像が印象的。
    一方で彼には恋人のような女の子、アリシアがいて、彼女ともセックスする。
    でもオリヴァーと深い中になったとき、彼女に「Am I, your girl?」と聞かれ、エリオは答えられない。
    年齢にそぐわない深い教養を持つエリオの、複雑で未熟なアンバランスさが、いかにも「儚い」って感じ。
    夏が終わり、オリヴァーは去る。そして冬になり、オリヴァーから電話をもらったエリオ。それは「結婚の報告」だった。

    父も母も、息子とオリヴァーの関係が単なる友人関係でなく、息子が同性愛者であることを理解し、受け入れた。
    アリシアも傷つきはしたが、エリオを責めなかった。
    きっと多くのものを呑み込んで異性との結婚へと進んだオリヴァーがどうしても手に入れられなかった環境である。
    知性や教養を重んじる環境ならでは、かもしれない。

    なお本作には原作があって、まだ原作の半分くらいの内容らしく、いずれ続編をやる予定らしいです。
    なんか何がよかったのかはわかりませんけど、続編あるなら絶対観てしまうなあ。。という映画です。

  • 監督は別の人だけど、ジェームズ・アイヴォリー脚本というのが漏れ出てる映画でした。雰囲気とか、物語の構成とか、ラストの感じとか。
    アイヴォリー作品を今こうしてまた観ることができるなんて、本当に感動の極みです。

    観てた人は絶対に「モーリス」を懐かしく思い出しますよね。全体が高尚で、品のある一枚の絵画を眺めているような印象。そして、またしてもあの場所に自分も行ってみたい、存在してみたいという願望がわき上がってしまいました。
    うっとりです…

    17歳のエリオが、とんでもなく繊細で聡明できれいな男の子だったけど、オリヴァーを好きになっちゃった自分に戸惑って反発したりイヤな態度とったり女の子とイチャついてみたりして、青さというか未熟でお子ちゃまなところが出ちゃってて、落ち着いて見える外見とはうらはらに年相応で、とっても甘酸っぱい気持ちにさせられました。
    最後の失恋シーンは王道っぽくてある程度予想してたと思っていても涙、涙でした。二人の楽しかった思い出があれこれいっぱいあるから、その後の別れはさらに切なすぎです。
    でもエリオにとって、これから待ち受ける人生はこの先長いのです。この痛みを乗り越えてさらにエリオは成長し続けていくんでしょうね。
    そんな気持ちにさせられる良いシーンがてんこ盛りでした。多すぎる鼻血シーンも、若さゆえの爆発がかわいくて、キュンキュンしましたよ…

    オリヴァーとのじゃれ合いも美しかったです。最初の頃はぎくしゃくしていてハラハラさせられたりしたけど、どんどん仲良くなって、我慢できないエリオと、歯止めが効かないオリヴァーになっていくのが強烈に伝わってきました。

    あと、お父さんとお母さんの理解度がすごかったです。ちゃんと二人の関係を知ってるし、せめるどころかさらっと認めてるところはカッコいいなと思いました。家に招くお客さんも様々で、色々な人格を受け入れてる両親。息子のことも信頼してごく自然に受け入れてるところがステキでした。レベルが高い両親。

    続編がありそうなので、こちらも期待しています。

  • イタリア語勉強のために視聴。

    北イタリアのどこか、という場所が美しかった。
    建物、緑、海、庭の食卓、川、山、雨、太陽。

    夏休みに学校の勉強や仕事を頭からごっそり消して、スマホを置いてたくさん本を持って滞在してみたい。


    アーミーハマーが24歳に見えないのが残念だった。

  • 少年エリオの身にまとう生命力は、まるで、水底から引き上げられた美しいブロンズ像が息を吹き返したかのよう。

    果樹園の緑、透き通った水、吹きすぎて扉を揺らす風、毎日やってくる夜の暗闇、オリヴァーにとって、何もかもが美しい。その中心に、少年エリオがいる。愛さずにはいられない。そこはいわば、もう一つのエデンだ。

    エリオとオリヴァーがともにその、北イタリアの自然を離れて以降は、二人がいくら幸せそうだからといって、その石畳の街並みには悲しみの予兆が満ち満ちている。

    別れの時。エリオは涙を両親に隠そうともしない。
    北イタリアに舞い降りる雪が、エリオの悲しみ、そして束の間の幸福を、永遠に凍らせる。

    そこから、新たな失楽園が始まる。

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