家庭裁判所物語 [Kindle]

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  • 日本評論社
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感想・レビュー・書評

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  • NHK2024年度前期連続テレビ小説、「朝ドラ」は、「虎に翼」。
    日本初の女性弁護士・裁判官である三淵嘉子さんの実話に基づくストーリーだそうです。
    https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37688

     このニュースを耳にして、思い出したのが、本書。
     本書は、宇田川潤四郞・内藤頼誼・三淵嘉子の3氏(本書では、家庭裁判所第1世代の裁判官として登場)を中心にした、家庭裁判所創設期のレポートである。
     三淵嘉子氏は、女性法律家第1号として、本書のはじめの方に登場する。
     「昭和20年の敗戦を、疎開先の福島県坂下町(現会津坂下町)で迎えている。もんぺ姿のぼさぼさの髪で、慣れない畑仕事をしていた。すぐそばには、まだ2歳の1人息子、芳武が無邪気に遊んでいた。」(34頁)

     当時女性が法律を学ぶことは、結婚をあきらめるということらしかったが、昭和8年に、初めての女性法律家として、当時の高等文官試験司法科に合格して、キャリアのスタートを切る。
     昭和19年6月に彼女のすぐ下の弟が戦死、昭和21年1月には夫が死亡、その翌年に母と父が相次いで他界。
     悲しみの中、彼女は、家族を養うために働く。
    「国に耐え忍ぶことを強制されたにもかかわらず、戦争には敗れ、夫は戦病死し、弟は戦死して、両親も他界した。しかし、国からは一言の詫びもない。それは戦争で家族を失った女性に共通する憤りだが、三淵は自身のキャリアを投げうって耐えてきただけに、怒りが強かったのだろう。」(41頁)

     昭和22年3月、1人で司法省に出向き、裁判官採用を願い出て、司法省民事部に嘱託として採用され、民法改正作業を手伝う。その後、家事審判法の制定作業に加わり、この頃に、GHQから家庭裁判所を作るという提案が出て、最高裁の中で、賛成の方向でまとまった。

     昭和24年1月1日、全国に家庭裁判所ができると同時に、最高裁事務総局にも、あらたに「家庭局」が作られ、三淵は、家庭局の事務官として名を連ねる。幼い1人息子を同居している弟家族に預け、毎日大きな風呂敷包みを抱えて出勤した。
     昭和25年5月、三淵は、アメリカに家庭裁判所の制度を学びに赴き、そこで、女性裁判官たちがはつらつと活躍していることに刺激を受け、また、帰国後、日本婦人法律家協会の設立に加わる。

     昭和40年前後の少年法改正論議のさなか、三淵は、東京家裁の少年部の裁判官として、中心的な存在になっていた。彼女の振るまいが、後ろに続く多数の女性裁判官たちの将来を左右しかねないことを絶えず意識していた。
     当時の最高裁長官・田中耕太郎が、「女性本来の特性から見て、女性は家庭裁判所裁判官がふさわしい」と発言したことを聞き、最高裁家庭局から出るとき、あえて地裁で民事事件を担当する道を選んだ。自分が、家庭裁判所に行けば、きっと後輩の女性裁判官が家庭裁判所に送り込まれることになろだろうと考え、家庭裁判所が「女性のお定まりの路線」とされてはたまらないと考えたのである。

     三淵は、市井の人々と同じように、戦争によるつらい経験から立ち直り、再婚して新しい生活を送り始め、経済成長の中で、日に日に豊かになっていく暮らしは、日常のものになっていたようである。

     以上かなりおおざっぱに本書から、ドラマの主人公の部分を抜き書きしてみた。
     2024年度前期連続テレビ小説の予備知識になれば幸いである。

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著者プロフィール

NHK解説委員

「2018年 『家庭裁判所物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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