承久の乱 日本史のターニングポイント (文春新書) [Kindle]

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  • 「日本史最大の転回点の一つ」承久の乱を、鎌倉時代を専門とする著者が背景を含めて解説した書。エッセンスは「日本史のツボ」にも書かれていたので、重複感あったかな。

    「武士の、武士による、武士のための政権」鎌倉幕府。その政治体制の本質は「源頼朝とその仲間たち」。幕府内の権力闘争に勝利した義時が頼朝の真の後継者として君臨すると「北条義時とその仲間たち」へ変化。そして、鎌倉幕府が承久の乱に勝利したことによって、武士が全国を支配する「武士の世」が始まる、という流れ。

    著者は、「日本という国のメインプレイヤーが、貴族から武士という在地領主へ、そしてそれ以外の一般の民へと広がっていく過程でもあります。その大きな画期となったのが、承久の乱」、と総括している。

    「日本社会では、最高権力者は、役職や立場ではなく、周囲が「この人がトップだ」と思うことで決まります。これが「地位より人」ということです」という著者の言葉が印象的だった。

  • Kindle Unlimitedにて読了。
    東大の史料編纂所教授による、鎌倉時代に起きた承久の乱に至る流れと、それが日本史に与えた影響を纏めた1冊です。
    著者のWikipediaのページを拝見すると、比較的学術書よりは新書寄りの出版歴が多かったり、ドラマの考証等を請け負われていたり、一般寄り?のお仕事をされているのでしょうか。

    本著を読んで感じたのは、著者による「科学」です。
    史学そのまんまだと、古文書を読み解いて「これはこーなんでこーです」くらいの話になりがちで、まぁ初心者向けの新書ならコレで良いだろ的なトコロもあると思うんですが、そんなありがち新書ではないトコロは著者の力を感じます。

    学術界における常識と、それを踏まえた著者の見解が示されることで、退屈な日本史上の出来事は、目の前で動くドラマに変貌していくのです。
    例えば、戦の動員数にしても、「○○万人」と歴史書にあるのを「大嘘です。いくらなんでもありえません」と言い切ってもらえるのは有難いですし、定量的に怪しい数値しかない中で「死者と負傷者を比率にすると」とメゾットを出してくるのは流石の学術界のプロです。
    著者の見解としては、史実から読み取れることには限界がある中で、行間を読み取って本著で開陳されていることに加え、新書らしいとも言えますが「疑問に思った人も多いのではないでしょうか。」との投げかけもあったりする。キャッチーだと感じました。
    今の歴史学会における学説を紹介しつつ、忌憚なく「私は少数派です」と述べるあたりも懐の深さを感じました。

    さて、しかし。本著を読むことで承久の乱が「あぁ、日本史のターニングポイントだったんだなぁ」と感じられたかというとそうでもなく。
    朝廷をガツンとやったんだね、というのは良くわかるんですが、それが永続的に朝廷の政治欲を削ぐものになるのかは良くわからず…。武士がそれだけならず者だったんでしょうか。そこらへんの感覚を掴みかねています。

    本著の「私たちは『武力がなくなると平和になる』と錯覚しがちですが、実際は逆で、揉め事の最終的な解決手段がなくなってしまう」という言は非常に深いと思います。
    こういう事象から得られる知見が、知恵になっていくんだと思うんですが、今はどうなのか。。

  • 武士の世の中の始まりについて勉強になった

  • ・承久の乱を仕掛けたのは後鳥羽上皇だった。北条義時をはじめとする鎌倉幕府側は、朝廷と戦争をするつもりはなかった。

    ・後鳥羽上皇は長い天皇家の歴史でも傑出した能力の持ち主だった。個人的資質だけでなく、経済力では鎌倉幕府側をはるかに上回り、政治・軍事面でも多くの武士を味方につける軍拡政策にも成功していた。

    ・では、なぜ鎌倉幕府は勝利できたのか?幕府の勝因をあえて一言でいうならば、組織原理の差だった。それは中央の権威から、在地領主、すなわち現場に根ざした力と組織への歴史的パワーシフトだった。

    ・承久の乱の後の幕府の狙いは、後鳥羽上皇の血統を天皇家から排除することだった。そこで、後鳥羽上皇の兄、 守貞親王の息子を後堀河天皇として即位させた。つまり、天皇の位を幕府が決定するようになった。それに対して、朝廷はなんら抵抗の手段がなかった。

    ・承久の乱で幕府が得た後鳥羽系の荘園は実に三千に及んだ。平家領の六倍の荘園を手に入れたことで、幕府=北条政権は磐石のものとなった。これはそれまで東国中心だった幕府の支配領域を、一気に日本全国に広げるものだった。旧皇室領の荘園に新たに地頭を配置することで、多くの東国の武士たちが大量に豊かな西国に移動した。こうして日本全国に広がった武士たちが、南北朝、戦国の混乱期を生き抜き、六百五十年近くこの国を支配するようになった。

    ・泰時は自分たちのリアリティに即した新しい法を作ろうと考えた。これが 貞永 元(一二三二) 年に制定された、世に名高い御成敗式目だった。さらに泰時は 連署(執権の補佐役)、評定衆(行政、司法、立法の最高機関) を置いた。頼家のときの合議制は将軍の権力を抑制するものだったが、泰時はむしろ執権の権力を強化するために、行政機構を整えた。将軍の採決権は、泰時の時期に執権に集約された。これにより本格的な「執権政治」がはじまった。法律によって、誰の目にも明らかな紛争解決のルールを示す。しかも、幕府は御成敗式目を補う追加法によって、御家人だけではなく、その他の武士や百姓まで訴訟の当事者たりうることを明示するようになった。ここにおいて幕府は、力による支配者から、民を統治する存在として立ち現われることになった。

    ・承久の乱に敗れた朝廷はそれまでの「上からの」、権威による支配が不可能になり、裁判などのサービスを提供するようになる。そして幕府は自力救済オンリーの「万人の万人に対する闘争」状態を脱し、法による統治と、民を 慈しむ「 撫民」を志向するようになる。これは言い換えれば、日本という国のメインプレイヤーが、貴族から武士という在地領主へ、そしてそれ以外の一般の民へと広がっていく過程でもあった。その大きな画期となったのが、承久の乱だった。

  • 「承久の乱 日本史のターニングポイント」(本郷和人)を読んだ。
    いやー面白かった。
    『でもこのあたりのことって、なかなか大河ドラマにもならないし、』(あとがきより)
    って、本郷さん、大河になっちゃいましたね。(笑)
    まぁそれはそれで弊害もあるのかな。
    あくまでもドラマですからね。
    あゝ脳内をを小栗旬がチラつく。

  • ドラマの理解の助けになるかと読んでみた。別の本も読んだが、こちらのほうが口調が柔らかで理解しやすかった。

  • 承久の乱の本と言うより,その背景となる鎌倉時代前記の話がメインだった。この手の本は最近何冊も読んでいるので概ね新しい知見はない感じ。実朝暗殺の背景についての解釈については異論があるが。承久の乱そのものについては,後鳥羽上皇が状況と自軍の戦力動員力を見誤ったというのが全てなのだろうから他に書きようもないのかもしれない。実朝が暗殺されなかったら歴史はどうなったのだろうか。AIか何かを駆使してシミュレーションできないものだろうか。

  • 何故幕府側の動員兵力が上皇側の兵力を凌駕する結果になったか、の論考が面白かった。

    吾妻鏡にこうかいてあるけど、実際のところはこうだよね、という話ができるのは専門家ならでは。

  • 鎌倉殿の十三人ファン 必読書ではないでしょうか。

    NHKの「英雄たちの選択」にも著者はご出演されていて、様々な場面でちょっと意見・コメントが気になって、著者の本を探したらありました。。

    しばしば耳で中途半端にかじったことはある朝廷と鎌倉幕府のシステムの共存、腹落ちが十分でなかったことがすごく腹落ちしました。

  • 本郷さんの本は分かりやすいところに利点がある。院にとって蓮華法院が寄進を受ける受け皿として重要だったというのはなるほどと感じた。日本史では、職より人が重視されるというのもまあそうかもなと思う。
    実朝に関しては通説に近い感じか。坂井さんのと読み比べるのが良い。

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所、『大日本史料』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史料編纂所教授。専門は中世政治史。著書に『東大教授がおしえる やばい日本史』『新・中世王権論』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『上皇の日本史』『承久の乱』『世襲の日本史』『権力の日本史』『空白の日本史』など。

「2020年 『日本史でたどるニッポン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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