- Amazon.co.jp ・電子書籍 (411ページ)
感想・レビュー・書評
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狂気こそが新たなものを生み出すことができるという考えは西洋において過去から連綿と続いている。
双子のような創造と狂気との関わりを分かりやすくたどってみせたのが本書。たいへん面白かった。
簡単に要約するとこうなる。
まずプラトンは狂人をダイモーン(神)の声を聞く者として詩人と同列にみなし、アリストテレスはメランコリー(うつ)に価値を置いた。
その後、新プラトン主義に至り、いったんは怠惰の罪とみなされたうつがふたたび評価される。
そして理性の時代。理性に傾きすぎるということは狂気もまた先鋭化する。デカルトはたえず人間を侵食する狂気にお札を貼るものとしての理性を考え、カント、ヘーゲルに至って理性は完全に狂気を排除。
しかしヘーゲルの同窓であった詩人のヘルダーリンが初めての統合失調症患者として歴史に名を残したのは、あまりによくできすぎている。統合失調症は近代の病であるとのこと。ヘーゲルの世界精神なるものが実際には"不可能"であることをヘルダーリンが身をもって証明してみせた。
もはや神の声は聞こえない。だがその神の不在、欠如を主題としながら、神の存在を暗示する。否定神学的な狂気の構造が際立つ。
驚いたのは、ヘルダーリンの存在がこれほどまでに大きいということ。ハイデガーはその哲学の多くをヘルダーリンに負っている。彼の哲学の否定神学的構造、あるいは統合失調症的な構造は、ラカン、ラプランシュ、フーコーらに決定的な影響を与えた。
それと並行して、統合失調症と創造の結びつきが特権化される。ヘルダーリン=詩の否定神学モデル。
それに反旗を翻したのが、ジャック・デリダ。否定のブラックホールを措定するのを避け、狂気と創造の膠着状態を避ける戦略をとる。その参照項が、彼もまた統合失調症であったアントナン・アルトーだった。
一方でドゥルーズもまたアルトーを支持したが、のちにむしろ深層に与しない、自閉症スペクトラム気質のルイス・キャロルに向かった。彼の特徴は、「外部」や「深層」を無視し、ひたすら内在的に、英語という元ある言語をそのルールの中でハックすることで、内部に外国語を創り出したという点。表面さえあればよいという、健全な狂気。
こうして時代とともに狂気も形を変えていく。狂気もまた人間によって創造されたものなのだということが手に取るようにわかる本だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難しい本ではあったが、統合失調症至上主義とも呼べるような状態からその脱却(の可能性)まで、その都度歴史的背景と症例、哲学的思考や流行影響諸々を俯瞰できるような構成になっており、大変面白く読み進めることができた。ざっくりとしか捉えられていないだろうが、それでも興味深い内容で、狂気と創造というものがどう関連付けられるのか、時代とともに変わっていく様が目の前で展開されているようで良かった。
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p.2020/1/11