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感想・レビュー・書評
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『ほんとうの憲法』に続く日本国憲法、中でも安全保障に関する話。憲法の前文も9条も国際協調の平和維持の枠組みの中で考えれば、きわめて明快に理解できる。自衛隊は当然合憲であるし、ロシアのウクライナ侵攻は違法な侵略行為。
東大系の憲法学が本書で指摘されるように、物理学会のトンデモ枠みたいな状況にあるのはなぜか。本書はそれについて考えるための豊富な資料を提供している。
八月革命説をとなえた宮澤俊義東大教授は、戦前からの憲法学の権威であった。帝国憲法のスペシャリストであるから当然大日本帝国に強い愛着を持つ。本書では真珠湾攻撃に対する熱い想いが掲載されている。
1945年に負けて、占領下で陸海軍が解体され1946年に新しい憲法ができ1947年に発効する。憲法改正を主導したのはアメリカ。宮澤は「帝国憲法をちょっと変えればええやろ」と案を出すが却下され、アメリカの意向がたっぷり入った草案からいくつかの議論を経て今の憲法が作られる。
その宮澤が後に八月革命説を唱え、現行憲法の熱烈な支持者となる。特に憲法9条は世界に冠たる崇高な平和憲法であると持ち上げる。
この変節に何があったのか。宮澤は現行憲法からアメリカの影を徹底的に排除した。日本人が敗戦を経て「八月革命」を起こし、世界に名だたる平和憲法を自ら打ち立てた。これが宮澤のストーリー。日本は戦争でアメリカに負けたが、平和憲法でアメリカをリードしている。力で負けても心は勝っている! そんなプライドを、現行憲法が満たしてくれる。そんなふうに推測される。
要は敗戦・占領と言う国粋主義者が負うには重すぎる認知的不協和を、現行憲法の平和主義に見出した先進性により解消できた。めでたしめでたし、な話。
めでたくないがな!
戦前の9条が存在しない世界は、国家は軍隊を持ち好き勝手に戦争ができた。日本もABCD包囲網でやむにやまれず戦争をした。みんな軍隊が悪い。軍隊がなければもう道を誤ることはない!
一見もっともらしいが、出すのが遅れたとはいえ宣戦布告をしてパリ不戦条約に反する戦争を始めたのは大日本帝国で、国際法の観点からは完全にギルティ。しかし、上記の認識であれば日本がギルティだったという事実から目を背けることができる。
おそらく、戦後の多くの日本人に現行憲法が受け入れられ、国際法の平和維持の枠組みの中で憲法を解釈するということが忘れられたのは、多かれ少なかれ日本人の心が宮澤といっしょだったから。
そして宮澤のいびつな「国粋主義」は今も東大系憲法学者とそのシンパの中に生きている。現在のロシアの蛮行に対して国際法からNOをつきつけることが、彼らにはできていない。彼らは「どうせ一番悪いのはアメリカ」と無意味な決めつけをしてプライドを保っている。
護憲派の非武装論は日本をソ連に無抵抗で明け渡すたくらみでは、と思わないでもなかったが、それと矛盾することも多いので、あれこれ考えていたところにありがたいヒントを得られた。神国大日本帝国! というプライドを世界に例を見ない平和憲法! というプライドに置き換えた、延々と続く偏狭な国粋主義者の構図である。
おかげで日本には「憲法改正すると戦争になる」と「憲法改正すれば好き勝手に戦争できる」の裏と表の安直な認識の人間がかなり多い。これもおおむね憲法学者の罪だ。
9条の芦田修正について、2項に「前項の目的を達するため、」を追加したことは有名だが、1項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」を追加したこともそうであると本書で知った。
この9条をお花畑たらしむ語句は、真実は前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との連続性を明確にするための修正だという。
芦田均はお花畑などではなかった。氏は前文と9条の安全保障に関する規定が、パリ不戦条約と国連憲章による国際協調の枠組みと一体であることを理解していた。「平和を愛する諸国民の公正と信義」とは国際法を守り、等しく戦争を禁じている国際社会のあるべき姿を示している。日本は9条をもって国際社会の平和維持の取り組みに参加できるのであり、それが過去に平和を破壊した日本の復帰の道となる。
その芦田を徹底的にこき下ろし、日本を国際法オンチのまま独善的な平和主義(と思い込んでいる国粋主義)に留まらせているのが東大系憲法学者である。まさに「病」。
この病を治さないと、憲法前文の理想は遠のくばかりである。詳細をみるコメント0件をすべて表示