キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 (中公新書) [Kindle]
- 中央公論新社 (2016年1月25日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (211ページ)
感想・レビュー・書評
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『聖書に右の頬を殴られたら左の頬を差し出せと書いてあるではないかと言う人は、「宗教」と「戦争」に対する認識が甘いのである』とは文中の言葉でしたが、そうした認識がキリスト教と戦争行為の矛盾を考えるときの私の中の前提だったので、大変勉強になりました。
キリスト教と戦争がどういう付き合い方をしてきたのか…という点について、ローマ帝国での国教化以降や従軍牧師など、様々な例を俯瞰できました。また、筆者の方の指摘も非常にうなずけるものでした。特に印象に残ったのは以下の文章です。
『信者や社会はあくまでも、ある特定の「状況」において戦いを決断する』(p199)。
宗教に関わりが薄い中でIRAやイスラム国の話を聞くと、宗教というのはその人の行為にある種の強制力を生じさせる思想体系なのかな、と思っていた節がありました。しかし、様々な人々の選択が作った「状況」の中で判断を下している…宗教は状況を作る背景の一つで、主原因ではないようです。
宗教は人に強制力を及ぼすものではなく、人生の文脈によって理解されるもの。だから、教義の受け取り方も各宗派に分かれ、(各宗派によって分かれる)戦争に対する肯定・否定の温度差が違っているんだ…と理解しました。
「キリスト教は愛を教えながら、なぜ争うのか」というのは『寛容論』を読んで疑問でしたが、杓子定規的にとらえすぎていました。教義が全てではなく、それを解釈する時代の状況…人間の状況にキリスト教も影響を受けているということが学べてよかったです。教義を作る言葉は完璧完全でも、それを運用していくのは不可解で不完全な人間だという視点が抜けていました。詳細をみるコメント0件をすべて表示