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感想・レビュー・書評
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先日の週刊新潮(『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』)に続いて、今度は”文春砲”で有名な週刊文春に関する本。花田紀凱さんや新谷学さん他の名編集長が登場するが、こちらは
著者も含めた”チーム文春(契約記者、文藝春秋社員…立花隆さんも)の話。雑誌作りが大好きなメンバーだからこそ出来る仕事なのだろうけど、楽しく活気のある職場が羨ましい。紙の雑誌には辛い時代だが頑張ってもらいたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かなり前に読了しました。
結論から述べます。
胸が熱くなりました。
雑誌にかける編集者たちの強い思いが、全編を通じてひしひしと伝わってきたからです。
近年、数々のスクープを放ち、メディアの中で圧倒的な存在感を放つ週刊文春。
本書は、そんな週刊文春の現場を、昭和、平成、令和にかけて追ったノンフィクションです。
著者は、かつて週刊文春で記者として働いた柳澤健さん。
つまりインサイダーであり、かつ熟練の名ライターですから、おもしろくないわけがありません。
内容はというと、「雑誌の申し子」と呼べる2人の名編集長を軸に展開します。
花田紀凱さんと新谷学さん。
雑誌に多少なりとも興味のある人なら、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
2人とも、編集者として超一流なのは言うまでもありませんが、とにかく人として抜群の魅力を備えています。
この2人の魅力なくして、週刊文春の今の地位はなかったのではないでしょうか。
本書は序章と第1~7章、最終章で構成され、世の中を騒がせた事件や出来事を、文春がどう報じたか、その舞台裏まで詳らかにしていて読ませます。
ロス疑惑、岡田有希子の自殺、昭和天皇崩御、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件…。
どれも強く記憶に残っています。
ただ、最も興奮したのは、やはり書名にもなっている第7章「二〇一六年の『週刊文春』」でしょう。
文春の超ド級のスクープ記事は、大砲になぞらえ「文春砲」と呼ばれるようになったのは周知の通り。
では、なぜ、ひとり文春だけが次々とスクープを放つことができるのか。
答えは「スクープを取ろうとしているから」です。
3カ月の謹慎期間を経て編集部に戻った新谷さんが、編集部員に言った言葉に、ジンときました。
「ウチの最大の強みは何か。新潮にも朝日にもNHKにも絶対に真似できない得意技、必殺技、価値を生み出すものは何か。それはやっぱりスクープだ。世の中をあっと言わせるようなスクープを取りまくって、毎週のように出しまくっていれば、風景は必ず変わる。」
もちろん、文春とて「出版冬の時代」の只中に身を置いています。
ピーク時に70万部台あった実売部数は、今や30万部台。
ただ、試行錯誤の末にデジタル化が奏功し、ニュースサイト「文春オンライン」は他の追随を許さないほどPV数を稼ぎまくっています。
その原動力となっているのが、やはり「スクープ力」。
どんなに外形だけ整えても、コンテンツの力が無ければ支持を得られないことが、特に最終章を読むとよく分かります。
それは、森友学園問題で非業の死を遂げた元財務相職員・赤木俊夫さんの手記を文春で読んだ高校生の以下の言葉に、とてもよく表れています。
「文春読んだ。初めて週刊誌読んだ。正直、政策とかよくわかんないけど、人として何が良くないかは有権者の高校生にもわかる。まじめな人が守られる世の中であってほしい。ほんとびっくりしたこんなのないよ。まじで、こんなの、ない」
私も発売後、すぐに購入して赤木氏の手記が掲載された号を読みましたが、慟哭しました。
週刊文春。
これからも応援します。 -
週刊文春について書かれたノンフィクション。著者はかつて週刊文春に所属していたというが、本書は週刊文春の所属していた時の体験記ではなく、あくまでライターとして週刊文春を改めて取材したうえで書かれた濃厚なノンフィクション作品。
文藝春秋の歴史、紙媒体としての週刊誌の役割、ノンフィクションについて、仕事への取り組み方などなど、興味深い内容がぎっしりとつまっている。この本の魅力はつまるところ、週刊文春に関わっている、関わってきた人たちの魅力なんだろうと思った。 -
休刊した「噂の真相」と共に、毎号欠かさず購読していたのが
「週刊文春」である。最近は気になる記事が掲載された時に
購入するくらいになってしまったが。だって、週刊誌を読んで
いる時間がないのだもの。
いつからだろうか。「週刊文春」が放つスクープは「文春砲」と
呼ばれるようになった。その昔は「週刊新潮」に遠く及ばなかった
「週刊文春」だが、今では週刊誌のなかでも群を抜いているのでは
なかろうか。
名編集長と言われた花田紀凱と新谷学を軸に、「週刊文春」60年と、
それを発行する文藝春秋社100年の歴史を綴ったのが本書である。
魅力的なんだよね、文藝春秋社そのものが。大きな括りで言えば
「出版社」。でも、他の大手出版社と異なるのは主戦場が雑誌で
あることだろうな。大きな市場であるコミックを出してないしね。
だからかもしれないけれど、本書に登場する編集者・記者・カメラマン、
それぞれが個性的で面白いし、何故、「週刊文春」がスクープを
連発できるのかが良く分かる。
それにね、購入しやすいのよ女性でも。ヘアヌード全盛の頃、週刊誌は
こぞってグラビアにヘアヌードを掲載したり、袋とじを付けたりして
いたが、「週刊文春」は一切、それをしなかった。
表紙の和田誠作品も好きだったわぁ。
紙媒体の低迷が久しい昨今。文春はデジタル・コンテンツを活用する
ことで転機で迎える。この部分を綴った最終章は秀逸。紆余曲折あって
のオンライン化の過程が追えるのは興味深い。
雑誌社である文藝春秋の雑誌(すでに休刊した雑誌も含む)すべてに
触れられているのもいい。
ただ、個人的に花田氏に関しては「マルコポーロ事件」と、文春
退社後の「月刊Hanada」発行は残念でならないんだよな。
雑誌社と、それに関わる出版人の矜持を知ることが出来る良書だ。 -
リアルな内容だった。この業界を知らない私には勉強になる内容だった。内容が細かいだけに読了まで結構時間がかかりました。
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「週刊文春」はいかにして、
「週刊文春」成り得たのか。
「週刊文春」はどこからきて、
どこに行こうとしているのか。
作家・菊池寛により
雑誌社として始められた文芸春秋社の誕生から、
インターネットにその座を脅かされながらも、
それでも歩みを止めることなく進み続ける
2020年の現在までの壮大な歴史を描く。
新谷学・花田紀凱という
二人の名物編集長をのぞき穴として、
鮮やかに切り取って見せる。
その経緯、その成り立ち。
たくさんの人たち、数々の事件。
重ねてきた偉業、多くの失敗。
その時々、その場にいた人たち、
先人たちが遺してきた言葉を借りながら、
時に当事者として
自身が見てきたものを忠実に再現し、
ていねいに丹念に拾い上げる。
そうしたひとつひとつが、
小さな小さな層が積み重ねられ、
圧倒的なリアリティを持って迫る。
まるでその場に僕自身もいたような気になる。
開放的で明るくチャレンジを重んじる職場。
どんな権威にも屈せず、
権力におもねることなく果敢に挑む者たち。
ハメを外してミスも犯す。
手痛いしっぺ返しも食らう。
でも諦めない、挑み続ける。
「週刊文春」が必然として
「週刊文春」足りえる理由がわかるルポ。 -
【親しき仲にもスキャンダル】(文中より引用)
数々のスクープを世に送り出し続け、日本最強の週刊誌とも言っても過言ではない「週刊文春」。花田紀凱と新谷学という名物編集長を軸としながら、その知られざる歴史に光を当てた作品です。著者は、自身も「週刊文春」に携わった経験を持つノンフィクション作家の柳澤健。
「文春砲」という言葉も定着した感がありますが、やっぱりちゃんと弾込めをしているんだなと痛感させられました。今後も読者の好奇心を満たし続けてほしいと思うとともに、こういった社会を掻きまわすメディアが一つぐらいないと寂しいもんだよなと感じました。
紙で買うことは少なくなりましたが☆5つ -
週刊文春の歴史を描く。
他の雑誌も絡めて文藝春秋の歴史を二人の名物編集長を中心に見ていく。出てくる名前は菊池寛に始まり、立花隆や勝谷誠彦などビッグネームがズラリ。スポーツノンフィクションで名を馳せたこの本の作者の柳澤健も文春出身なのだ。
ヌードを載せず骨太な長期取材で勝負してきた文春。2010年代後半に突如としてスクープを連発した印象があったが、他紙が訴訟リスクや取材のマンパワーの負担からスクープから撤退していく中で自分達の信念を貫き続けたからこそ今のスクープ一人勝ちがあったのだ。
16年にベッキーゲス不倫と並行して甘利大臣の金銭問題の追及もあったことはすっかり忘れていた。どんな権力や圧力にも文春は屈しない。それに訴訟や圧力に対抗するには徹底した取材による裏取りも欠かせない。文春には戦う力と覚悟の両方があるのだと感じた。
スクープ連発の裏に覚悟と歴史あり。文春の姿勢から学ぶことが多かった。 -
熱量がスゴイ。
それは書き手だけではなく、その対象である文藝春秋が、週刊文春がスゴイ。
読んでるこちらも引き込まれて、興奮してしまうぐらいだ。
なぜ週刊文春はスクープを狙い続けるのか。本書はその問いに対するひとつの答えだと思う。