実力も運のうち 能力主義は正義か? [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • この本を読む前後で自分の読書態度が変容したと思う。

    自分が決めた課題図書を期日までに読み切ってその内容をシェアする会を企画運営して、自分の選書としてこれをひっさげていった。

    どうせなら良い発表にしたいと思い、A4用紙数枚に本の内容をメモしながら、喋りの構成も考えて臨んだ。取り扱われているトピックは高尚だし、展開されているお話も難しいからか、準備をしながら気持ち良くなり、結構な時間をかけたと思う。

    でも用意した内容を話し切ることはなかった。発表中に自分でも何を言っているのか分からなくなり中断。人生で一位二位を争うレベルの脂汗をかいた。

    本のチョイスが悪かった・準備不足だった・スピーチ力に問題がある等々、色々考えたけど、そもそもの頭の使い方が間違っていたなと。その後も上述の会に毎回怯えながら参加し続けることで見えてきた。

    本に限らずだが、何か新しい「知識」に触れたときに、その「知識」を他人に説明できるようになることを目的にし過ぎていた。

    他人に説明することは対象を正しく理解して初めて出来ることだから、たとえば定期テストの範囲となっている教科書をこの意識で読むのは100%正しいと思う。ただ、この世のあらゆる「知識」に同様の意識で望むのは、二つの観点で間違っている。

    第一に必要性の欠如。ほとんどの場面で特定の知識を他でもない自分が他者に伝える役割を担う必要はない。正確に本の内容を伝えるのが目的なら、その本を読ませるのが間違いなく最適な手段。仮に苦労を重ね伝えられるようになったところで、ウンチク野郎は嫌われる始末。(自分は必要性だけに縛られる生き方に中指を立てる派の人間だけど、どう考えてもこれは割に合わないからパス!)

    第二に当該行為の傲慢さ。一冊の本であっても、著者を初めとする多くの人が多くの時間を費やしていて完成している。その最終的なアウトプットたる本を、たった数日かけて読んだどころで、著者と同じレベルの理解ができる訳が無い。本に書かれた内容を伝えるのは本に任せなさい、自分がしゃしゃり出るな。自惚れるな。

    じゃあ代わりに何をすべきかというと、自分の頭を使うことなんだよな、多分。

    ここにある内容を覚えてひけらかすぞという邪な感情を捨てて、自分が何を思ったのか、何を考えたのか、に集中する。

    そういうことが出来て初めて「知識」が「知恵・智」に変換されて、読書体験、ひいては自分が生きることに意味が生まれると思う。

    ちゃんと智に秀でる者として在りたい。

  • 「あなたが今掴んでいる地位はあなたの努力によるものか?」
    ”特権階級”と呼ばれるものは批判され、公平な競争が是とされる世界。"メリトクラシー"がもたらした社会の分断を追求する。
    実は現代の学力偏重の競争制度は親世代の経済力と大きな相関があり、世代間の流動性の増加を十分に促せていない。選別制度としての学力試験は親の経済力によってハックされつつある。そして、学位の差は政治的分断の主因にもなっている。競争に勝ち残れなかった人たち、は社会の中で敬意を持たれず、十分な功績も得ない。現代の社会制度によって生まれた歪みが事例をもとに紹介される。

    どんな制度であれ、高いところにいる人間は、”合法的なルール”の範囲内で自分の周りの人間に恩恵をもたらす努力をする。これもまた当然のことと思う。結局のところ公平さと社会全体の利益のバランスなのですが。個人レベルの合理性追求が社会全体の利益に反すようになると、それには規制が設けることになるけれど、過激ともいえるルールを設けることに社会全体を納得させられる合理性があるのか。
    一方で資本主義・自由競争主義を少し離れた世界にいくと、世界中でいまだにコネ社会が残っている。これはこれで正当化が難しい。
    この問題がもっともっと大きくなると、社会構造を変えようという動きが生まれる。今日のポピュリズムの隆盛はその一つで、最後は戦争のような”革命的”手段になってしまうのが最大の悲劇か。

    私自身は本書の中でいう”高等教育を受けた人間”に値するわけですが、大学時代に周囲に新自由主義的経済システムを肯定する人がかなり多くてびっくりしたことがあった。でも自分自身も著者のいう”テクノクラート的うぬぼれ”には思い当たる節も多く、分断を生む一要因に加担していると自省させられた。
    それに、もし子供ができたら教育に大きな資金を投じるだろうし、自分と同じくらいの学位を得ることを少なからず期待しそう。やっぱり個人的な合理性を追ってしまう。この問題は本当に難しいと感じるし、だからこそ読む価値があった。

  • 能力主義は、才能や努力の結果ではなく、世襲や貴族社会へ硬直化し、能力主義エリートに対するポピュリストの嫌悪がトランプの当選にイギリスのEU離脱という驚くべき事態に一役買っているという指摘。なるほどと頷ける。大学入学率がアメリカより低い日本ではなおさらであろう。労働の尊厳を回復することで癒やされるのか、また、能力主義エリートの謙虚さをもって、より寛容な公共生活向かわせてくれるはずと信じたい。

  • なぜトランプ前大統領があれほど人気があるのか?
    不思議だった。でも、この本を読んで、よくわかった。

    日本も然り。
    頑張れば報われる社会にしたいけれど、もはや頑張っても頑張ってもそうはならなくなっているほど、階層が固定化している。

    貧しく不幸せな自分は、必ずしも、頑張らなかったから、努力が不十分だったからなわけじゃない。
    エリートの果たした成功は必ずしも努力の当然の結果というわけではない。

    ここ。


    自分の生活を安定させることができる仕事と収入があり、家族があり、暮らしやすい地域があり、繋がる人たちがいれば、いいじゃないか。ということ。

    頑張れば報われる社会にしたい。
    でも、それ以上に、人より出世しなくても、人より稼げなくても、今の自分も悪くないって言える社会である必要がある、ということだな。
    まさにそうだな、と思った。

  • 東大生の親の6割以上が年収950万円、大企業や官僚などエリート道に進む人は純粋な実力ではなく豊かで恵まれた環境があったからこそ。長いページを費やして語るがようは親ガチャですよねというか、新鮮味はない。メリトクラシーはリベラルを標榜したオバマが支持しその結果トランプ大統領を生んだという議論は興味深かった。持てるものと持たざるものの分断は日本でも拡大が進む。
    しかしこのテーマには解決策がない。ハーバードの入学をくじ引きで決める日は来ないだろう。「労働を承認する」といっても、エッセンシャルワーカーであるスーパー店員やごみ収集員が高給取りの投資銀行の社員より評価されることはあり得るか。サンデルも投機に課税せよ、くらいしか策がないのか。「恵まれた側が功績のためではなく運だと謙虚に自認しよう」というが、それで社会は変わると思えず。
    後書きの、メリトクラシーのメリットは顕在化した功績であるという点は重要だと思った。能力主義というと内在するポテンシャルのイメージが強い。「功績主義」は「能力主義」よりはましなのではないか。

  •  サンデル先生の話題の本を遅まきながら読んだ。能力主義(メリトクラシー)の一見すると公平・平等に感じられる思想の孕む問題点を丁寧に論理的に考えていく。自分が受験生であった20年以上前から、能力至上主義や勝者と敗者の格差は存在していたし、自分が親世代になって(地方と都会の差もあると思うけど)、その傾向に拍車がかかっていると感じることも多い。では、社会をよくするためにはどうすればいよいのか?ずっと悶々として進んでいくうち、ようやく第7章「労働を承認する」を読んで腑に落ちる。労働の尊厳を取り戻すために「共通善」の考え方を持ち出すのは、これまでの彼の著書の中でも見られたことだが、「経済において我々が演じる最も重要な役割は、消費者ではなく生産者としての役割である」という一文が表すように、「生産」の意味を問い直す時が来ているように思った。多分、それは、クリエイティブであることではない。目に見えない価値、信頼(関係性)、人脈、そしてコミュニティ。金融にこれだけの価値が偏在しているのは「目に見えるもの」であり「消費」に必要なものであるからに他ならない。
     自分の労働は、何を「生産」できているのか?それを常に問いながら、毎日の労働と向き合ってみると良いのかもしれない。

  •  勉強して、良い大学を出て、良い企業に入って、たくさん稼ぐ――この本に興味を持った人なら、過去に必ず聞いたことのある考えだし、恐らく多くの人は自分はその肯定者であり体現者――「勝ち組」と思っているだろう。そんな人にこそ、またそのような理に支配される現代に生きる全ての人々に読んでほしい一冊である。
     先ず、本書で述べられている「能力主義」について簡単に解説する。能力主義の信奉者の思考は、凡そ以下の様なものである。人は平等に挑戦する機会を与えられるべきで、誰もが人種や出身、親の経済規模に左右されず、専ら本人の能力によって公平に競争が行われ、能力の限界まで出世でき、その功績に対して正当な報酬が得られるべきであるというものである。なんというアメリカンドリーム、なんという理想郷。これに何の疑問を抱かなければ、既に貴方は美酒に含まれた毒に気付かないまま酩酊している可能性が高い。
     本書はこの能力主義の持つ強く甘い香りの危険性に警鐘を鳴らすものである。私にとって驚きだったのは、アメリカに見る人の分断――能力を持つ者と持たざる者――の両方が、本主義の信奉者であるということだった。地動説と天動説、キリスト教とイスラム教、資本主義と共産主義…人の歴史は対立の歴史だが、それぞれの二群は全く異なる、対照的な信条を拠り所にしていると認識していた。しかし、本主義の勝利者も敗北者も本主義の信奉者であり、勝利者さえも苦痛に苛まれていることは、本問題がいかに根深く、暴走を止めるが困難であるかを物語っている。
     本書で紹介されている、歯車が狂うきっかけとなるのは、成功者が己の成功(報酬)は専ら自己の才能と努力に因るものであると認識する点である。そこで思い返されるのは、ドラゴンボールのスカウター…ピピピ…戦闘力たったの5か…フフフ…ゴミめ…のあれである。戦闘力をスカウターによって可視化・数値化された登場人物達は、自己と他者の戦闘力を比べることで他者を見下したり、己の無力さに絶望したりする。戦闘民族であるサイヤ人にとって、戦闘力とは己の存在意義そのものであり、まるで年収を比べ合う現代人のようである。ここで注目すべきは、戦闘に秀でた、生まれながら能力の高いサイヤ人でさえ、その主義を信奉した結果幸福とはいえない感情を抱いているという点である。
     本書では能力主義が醸成された歴史的経緯や、その問題点を指摘した後、それを打開する提言についても述べられている。それらのいくつかは、一見かなり突拍子もないが示唆に富んでいるものもあり、大変興味深い。
     個人的に思うのは、能力主義の暴走の要因の一つは、人が成功したと思える指標が金銭であり、それが可視化・数値化されたため容易に他者との比較ができるようになってしまったこと、その尺度のみが偏重され、その他の尺度が軽んじられていると感じる。何をもって幸福とするかは、究極的には個人の思想によるものであるが、それは単一の尺度によって一律に規定されるものではないはずだ。
     また、己のみが自らの功罪の運命支配者であるという自惚れは、他者への共感の欠如を助長していると思う。人は己で避け得ない出来事や成し得ない大きな力と相対した時、それを神と表現し、畏怖した。そこで人は、己の運命は他人や神にいじられてなるものかと、己の中の神を殺した。今の時代こそ、敬虔さと他者への共感の重要性を再認識すべき時ではないかと思う。

  • なぜ資本主義がギクシャクして、なぜポピュリストが跋扈してきたかはつかめる。が、この悪い流れを断ち切るヒントが得られなかった。

  • 読みにくい。響くものがない。

  • 成功は才能と努力の合成物
    というところに同意。

    そして、成功は一人ではなしえないという主張にも同意。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

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