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感想・レビュー・書評
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一般論としては、大政党に有利な小選挙区制では弱小政党は淘汰され、二大政党制に収斂しやすい。これにより政権交代を促し、政治に緊張感とアカウンタビリティを持たせるのが政治改革のねらいだった。紆余曲折を経て民主党政権が誕生し、所期の目的を達成したかに見えたが、その後の展開は周知の通り惨憺たるものだ。これをもって政治改革は失敗に終わったとみるか、改革途上の「生みの苦しみ」とみるかは人それぞれだが、本書は55年体制の崩壊以降の政界再編を振り返り、そのメカニズムの解明を通じて、今後の展望を探ろうとしている。
本書の分析で興味深いのは、政権交代の受皿となる多数派形成には、第三極の台頭を阻止し、ボリュームゾーンの中道勢力を結集できるかが鍵となるが、それが与党側の結束力の強弱やキャスティングボードを握る少数政党の帰趨に左右されるという点だ。政党連合の成否が連合の外部の状況に依存するというのは、考えてみれば当たり前だが、政界再編を読み解く重要な視点だ。ただしそれはあくまで数の論理でしかない。大同団結するには理念を棚上げせねばならないが、理念を共有しない「野合」では、党の凝集性は弱く、政権を担える安定した国民の支持も得られない。一たび党の人気が落ち目になれば、選挙を前に「泥船」から「勝ち馬」に移る議員が続出し、分裂は不可避だ。このドタバタ劇の繰り返しに、いい加減国民が白けてしまった結果が安倍一強多弱ということだろう。
誰もが政策面の合意形成が不十分だと言う。その通りだが、一連の再編プロセスの中で与野党は「改革」を競い合い、実は政策に大きな違いがなくなっている。政治主導、脱官僚支配、規制改革、グローバル標準、地方再生・・・ニュアンスの違いはあれ、どの政党も大同小異だ。政界再編を最初に仕掛けた小沢一郎から小泉純一郎、安倍晋三へと受け継がれた新自由主義的な改革路線は概ね共有されている。最近ではこれに無責任極まりない脱炭素が加わったが、各党の違いは「改革」の本気度をアピールするイメージ戦略の差に過ぎない。合意形成が不十分というより、そもそも合意すべき対抗軸が見当たらないのだ。いきおい些細なスキャンダルを針小棒大に喧伝し、メディアがそれを助長する。目先の党勢を維持する手っ取り早い手法は世論迎合のポピュリズムだ。この状況が続く限り、風頼みの政界再編を何遍やっても離合集散の無限ループから脱け出せないのは目に見えている。
だが本当に日本政治に対立軸がないのだろうか?ないのであれば、一強多弱であろうと離合集散であろうと好きにすればいい。むしろ中選挙区制に戻した方がまともな政治家が育つかも知れない。冷戦下で政策の基軸が不変であった55年体制とはそういうものだったし、それで事足りた。だが中間層を解体していくグローバリズムに適応するための「改革」が日本人を本当に幸せにするのだろうか?内向きになりつつあるアメリカに依存したままの一国平和主義がいつまで持続可能だろうか?再エネ偏重の無謀なエネルギー政策が産業競争力を破壊してしまわないか?これらはまさに国家観を巡る大きな対立軸の筈だ。政界再編と二大政党制に意味があるとすれば、こうした国家観を問うことではなかったか。少なくとも小沢一郎の「初心」はそうだった。いまだ改革は途上にあると思いたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示