知ってるつもり~「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方~ (光文社新書) [Kindle]
- 光文社 (2021年10月19日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (241ページ)
感想・レビュー・書評
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- 研究や学習を前に進めるには、わからない点を追究していくわけですが、そのためにはわからない点がハッキリしていなければなりません。ところが、わからない点自体がうまく見つけられないということが学習の途中や研究のスタートなどでじつによく起こります。/// ここがわかっていないとか、ここが繋がらないとかと明確に言えるようになるのは、学習が進んである程度のことがわかった後です。 /// ピンポイントに問題点が指摘できるためには、必要条件としてその手前まではわかっていなければならないのです。
- 対象に対して「まったくわかっていない」ので具体的な手が打てないでいるのと、「知ってるつもり」でいて疑問を持たないというのは、確かに入り口としてはかなり違った状況です。しかし、そこからピンポイントにわからなくなれるための作業は似通ってくる、ないしは原理的に同じです。というのはどちらも、 わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度わかってくることが必要 だからです。
- セレンディピティ;「探索的に鋭敏になっている知識群」があってこそ、偶然や予想外を受け止めることが可能なのです。それなりの構えがあってこその「幸運」なのです。
- 問題解決への志向が強ければ、解決に要する要素過程のチェックに手間暇を掛けない、精査しないというのは合目的的な態度だといえましょう。われわれは日常の絶えざる問題解決の中で知識を用いていますが、その知識の細かい確認や探索は行わないのが、どちらかと言えば常態なのだと言えるでしょう。/// われわれの知識は、それで間に合っているのであれば問題にはなりません。したがって、「知ってるつもり」であることが圧倒的に多いのです。
- 思考それも柔軟な思考にあまりに力点が置かれていることに危惧の念を抱いているにすぎません。すなわち、柔軟な思考ばかりに注目して、思考の材料や思考の指針にもなる「知識」の働きを無視ないしは軽視しているのではないかと危惧しているのです。そして、「知識」に質の差があるということに気づいていない のではないかと危惧しているのです。
- 「共通性」という網をかぶせない限り、物事の「個別特性」の意味は明確にならない のです。物事を把握するのに、「共通性」と「個別特性」で追いかけるのが有効なのです。
- 特異なことは知識として孤立しがちです。なぜなら他には類似のことがないと思い込むからです。 しかし、特異なことと言えども、「共通性」と「個別特性」のセットを適切に用いるならば、他の知識と十分に関係させられるのです。「共通性」の網をかぶせて、「個別特性」をはっきりさせることもできるのです。
- 知識システムを構成していくプロセスでは、勇み足になってもよいですからなるべく大胆に言い切ってみることが大事です。言い切れば 破綻 している部分も見つけやすくなります。すぐ修正を迫られる事態になって、知識システムの鍛造にとってはすこぶる有効です。小さな正しさにこだわって知識システムを拡大せず守ろうとする姿勢は、私たちの進歩にとっては敵です。
- まず知識の量が多いことが問題だというのは、正しくありません。機械的暗記に較べてガッチリした知識システムのような学習は、何度も言っているように「共通性」と「個別特性」をはっきりさせているだけ知識の量は増えています。しかし、記憶の保持は良くなりますし、検索もしやすくなります。また、記憶は細部が欠けやすいものですが、その欠損部分の修復の点でも有利です。単純に記憶の量の多いことが問題でないことは明らかです。
- 教えるサイドは学習者に望ましい学習が起きるように条件整備をし、それが学習者に起きているかどうかを用心深く観察しなければならないのです。教える立場の者はともすれば、自分が直接学習者に教えているように考えがちですし、教えたことを学習者がそのまま学習しているとも思いがちです。しかし、そうではないのです。 判断基準は学習者が学習しているかどうかであって、どう教えたかの問題ではない のです。
- ステップ・バイ・ステップで進むしかないように思います。素朴であっても理解できる範囲の自分なりのモデルや知識システムを作り、それを活用してできることを増やします。そのような活動は、その知識システムのすぐそばのわかっていないことに気づかせてくれるのです。 そうして新たな知見を入れてより精緻な知識システムを作っていけばいいのだと思います。 次の段階へ進むための「わからない」ことを見いだすために、素朴であっても自分のわかった範囲でモデルや知識システムを作ることが大事 なのです。
- 関係するまたは関係しそうな要因が多く、知識システムを構築するのに困難を感じるということがよくあります。こういう場合には「単純化」 を勧めます。ただ、単純化は「単純化しすぎ」の懸念がありますので、それへの配慮は必要です。 /// ここで注意しておいて欲しいのは、単純化と不整合についてです。単純化して規則を作るとそれに沿わない不整合も起きてきます。単純化は複雑なものに較べてより存在しにくく、したがって、原理的に単純化は不整合を起こしやすいのです。その不整合をただの不整合と見なして、単純にはいかないのだといったりしますが、この「仙台-宮古の降水量の不整合」に見られるように 不整合の中に綺麗に合理的な筋が通ることも少なくない のです。単純にはいかない、と最初から投げるのではなく、 単純化で積極的に不整合を洗い出し、そこでより精緻な知識システムを構築していくことも可能ですし、システム構築の有力な手段 なのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(2022/13)孤立した単なる知識を持っているだけでは、知らない・分からないことが分からず「知ってるつもり」に陥りやすく、周辺や共通性を持つものなどの知識を取り入れてシステム化していくことによって初めて分からないことをキチンとわからなく出来る。まあ、言い方がアレだけど主張には全く同意。思っていることを言語化してくれたという感じ。例として取り上げられている「知識のシステム化」を行なっていく対象に、まるで興味が持てないのが読んでてやや辛いところではあるが。