超訳 自省録 よりよく生きる エッセンシャル版 ディスカヴァークラシック文庫シリーズ [Kindle]

制作 : 佐藤けんいち 
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
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感想・レビュー・書評

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  • 何より1900年前、日本がまだ弥生時代の頃、著者マルクス・アウレリウスはこの様な高度な思想を持っていた事に驚きを覚える。内容は哲学書で有り自己啓発書でもある。歴史上の著名な方々がバイブル的な位置付けとして本書を愛読している。超訳で有り簡単に読めるので一度は読む事をお勧めする。

  • Amazon Primeで無料。
    超訳・エッセンシャル版ということもあってか、前菜もスープもなくメインディッシュだけを突然食べさせられているような「いきなりステーキ」感がある。

    また「全身全霊で『いま』を生きよ!」だとか「購入者限定特典 よきリーダーになるために知っておきたい名言付き!」といった、売れるつもり満々の意識高い表紙が読む気を萎えさせる。
    だいたい原文に「!」マークなんか本当についているの?

    しかし哲学・自己啓発本をある程度読んできた人なら、内容はそこそこの読み応えを感じる部分もあるとは思う。

    『誰かが君を嫌っている?だが、それはその人の問題だ』
    の一節は、ちょっと前に流行ったアドラー心理学の本「嫌われる勇気」に載っている『自分の課題、他人の課題』を思い出させたし、

    あす死のうが数十年後に死のうが大した違いはない、われわれは旅人としてほんの一瞬、現世に滞在しているに過ぎない、
    といった死生観は「ルバイヤート」に通ずるものを感じた。

    『最大の復讐は、自分自身がその人のようにならないことである』
    イライラしがちな現代人に響くかもしれない。

    「私たちを導くのは哲学のみだ」とアウレリウスが断言してくれるのは、とても心強い。特定の宗教を心のよすがとしなくても、哲学がその役割を果たせるというメッセージのようにも思える。

    過去の哲人たちが練り上げた叡智を学んだなら、高い倫理観をもって正しく生きることができる。だから何も心配することはない。
    そういった安心感は、同じストア派の哲人であるセネカの「人生の短さについて」を読んだときにも共通して感じたことだ。

    ローマ帝国がキリスト教を国教に指定する前の多神教時代の書物なので、キリスト教の影響を受けていないのも逆に新鮮だ。

    一神教の全知全能感より、ゼウスやアテネのように怒ったり浮気したりする人間くさい神々のほうが、日本人は受け入れやすいのかもしれない。
    じっさい「神々がどうの〜」という話はよく出てくるものの、その存在を絶対視をしている感がない。
    なんなら大して信じていない風にも見える。

    エッセンシャル版ではないオリジナルの「自省録」もいずれ読んでみたいと思う。
    そう思うきっかけとしては良い本ではないだろうか。
    この本単体では、やはり肉だけを食べて消化不良になったような気分。

  • 自分の死期を悟ったら読みたいかも

  • 岩波文庫版よりは易しく書かれてるけど、やっぱり岩波文庫を読み通したい。一回読んだだけではやっぱり腑に落ちないし、血肉にならないです。これは古典全般に言えることじゃないでしょうか。何度も読んで人生に活かしていきたい本ですね。歴史の篩にかけられた古典は、先人の素晴らしい叡智が詰まっています。これを読まずして死ねるか!ということで、これから次は岩波文庫版読んでみよーと思います。

  • 皇帝も大変だ。よき君主であろうとするプレッシャーを感じるのであった。こんな人に総理大臣になって欲しい(ちょっと息苦しいかもしれないが)。

  • 黄色のハイライト | 位置: 340
    形あるものも、それにまつわる記憶もすべて、この世に存在するものすべてが、あっという間に時空のかなたに消え去ってゆく。五感でとらえることのできるものすべて、とくに誘惑で引きつけ苦痛で怖がらせ、プライドを大いにくすぐるもの、そのすべてがあっという間に消え去ってゆく。 こうしたものが、いかに愚かで軽蔑すべきもので、汚くて腐りやすいものであるかは、知性の力で理解できること


    黄色のハイライト | 位置: 351
    誰が変化を恐れるというのだろうか? 変化することなく、いったいなにが起こるというのだろうか? 宇宙の自然にとって、変化ほど楽しくふさわしいものがほかにあるのだろうか? 燃料のたきぎが変化しなければ、風呂に入ることもできないではないか。食べ物が変化しなければ、栄養にならないではないか。どんなものごとであっても、変化しなければ役に立つことはない。 では、君自身にとっても変化が必要なことが見て取れないのか? 宇宙の自然にとっても変化が必要である


    黄色のハイライト | 位置: 400
    もし、それ以外のものが、すでに述べたことと共通であるなら、善き人にとって唯一無二のものとして残るものはいったい何だろうか? それは、運命がもたらすものを愛情もって歓迎することだ。「内なる精神」を誤った信念で汚したり、邪魔したりしないかわりに、静かに神に従い、真実に反する噓偽りは口にせず、正義にもとることも行なわずに、「内なる精神」を忠実に保つこと。 シンプルで慎み深く満足した人生を送ってきたことを、もし他人が認めなかったとしても、それに対して怒ることはない。


    黄色のハイライト | 位置: 409
    要約してしまえば、人生は短い。理性と正義の力に助けられて、君は現在を活かさなくてはならない。くつろいでいるときも、正気のままでいたほうがいい。


    黄色のハイライト | 位置: 462
    死後に名前が記憶されることに意味はない。評判も、その他なにもかも。


    黄色のハイライト | 位置: 487
    ものごとがまことしやかな印象をもって立ち現れるときは、横たえて丸裸にし、いかに取るに足らないものかをよく観察し、礼賛することばをすべてはぎとってしまわなくてはならない。 なぜなら、うぬぼれほど判断を誤らせるものはないのであり、意義ある仕事に従事していると確信しているときほど、君はあざむかれているからだ。


    黄色のハイライト | 位置: 568
    空想など、消し去ってしまえ。その際には、しばしば自分にこう言い聞かせるとよい。「いまや、私は自分のパワーで、悪も欲望もいかなる混乱も、魂のなかにはいっさい入り込まないよう排除することができる。また、あらゆるものごとをあるがままの姿で見て、それぞれがもつ価値にふさわしい扱いができるのだ」と。このパワーは自然からの贈り物であることを忘れないよう


    黄色のハイライト | 位置: 583
    だから、健康な精神もまた、なにが起ころうと対応できるように準備されていなくてはならない。だが、「自分のかわいい子どもたちが助かりますように」とか、「自分がやることのすべてを、あらゆる人たちが賞賛しますように」などと言う人の精神は、緑色のものだけを見たいという眼や、やわらかいものだけを食べたいという歯とおなじではないか。


    黄色のハイライト | 位置: 616
    たしかに、死と生、成功と失敗、苦痛と快楽、富と貧困、こういったものはすべて善人にも悪人にも等しくもたらされるものだ。それは、精神的に美しくも醜くもない。だから、善でも悪でもないということになる。


    黄色のハイライト | 位置: 620
    自分の思い込みを捨て去れば、「自分は被害者だ」という不平も消え去ってしまう。「自分は被害者だ」という不平を捨て去れば、被害そのものが消え去ってしまうものだ。


    黄色のハイライト | 位置: 646
    すべては思い込みに過ぎないということを考えること。そして、思い込みは自分次第でどうにでもなる。岬を回航する船乗りが 凪 を見るように、すべてはおだやかで、波のない静かな入江となる。


    黄色のハイライト | 位置: 681
    隣人がなにを言い、なにを考えているかなんて、どうでもいいではないか。 自分自身がなにをするかに注意して、それがただしいことかどうかだけ気にしていれば、トラブルとは無縁になる。 他人の堕落したモラルなど、どうでもいいではないか。 そんなことに目をこらしたりなどせず、直線からそれずにゴールに向かってひたすら走るのだ。


    黄色のハイライト | 位置: 688
    「真に必要とされること、つまり人間が社会的な存在として生きるため理性にしたがって行うべきことを、必要とされるやり方で行うべきだ」 そうすれば、よりよく行うことだけでなく、より少なく行うことで心の平安がもたらされるのである。というのも、私たちが語ったり行ったりすることのほとんどがムダなものだからだ。そういったムダをやめてしまえば時間的余裕もできるし、余計な心配もしなくてすむというわけなのだ。 だから、いつでも自問してみるといい。「これはほんとうに必要か?」 さあ、ムダな行動だけでなく、ムダな考えを捨て去ってしまおう。そうすれば、余計な行動をしてしまうこともないだろう。 (4-24) * デモクリトス:原子論を説いた古代ギリシアの哲学者。唯物論の元祖とさ


    黄色のハイライト | 位置: 739
    第三の人は、自分がしてあげたことを意識していない。この人は、豊かな実を結ぶブドウの樹のようだ。ブドウの樹は、いったん実を結んだあとは、とくになにも望んだりはしない。つぎの年には、当たり前のように、またあらたに実を結ぶだけだ。


    黄色のハイライト | 位置: 742
    たとえ君のすべての行為が原則どおりにいかなかったとしても、むかついたり、がっかりしたり、不満をもったりしないこと。失敗に打ち負かされたときには、ふたたび戻ってくればいい。たとえうまくいかなくても、自分がしたことの大半が人間らしいものであれば満足すべきであり、自分が戻るべき道を愛するのだ。


    黄色のハイライト | 位置: 990
    もしなにか問題が発生したとき、それが君自身でコントロールできることなら、君が対応するのは当然だろう。 だが、もしそれが自分でコントロールできないものであるなら、いったい君は誰を責めるというのだ? 原子までさかのぼって責めるのか? それとも神々までさかのぼって責めるのか? どちらもバカげている。誰も責めてはならないのだ。 もし君にできるなら、問題の原因を修正することだ。もしそれができないのなら、すくなくとも問題そのものを修正することだ。もしそれすらできないのであれば、誰かを非難することになんの意味があるというのか? なにごとも目的なしに行ってはならない。


    黄色のハイライト | 位置: 1,035
    124  目を覚まして現実を見よ   正気に戻って、自分を呼び戻せ。眠りから目を覚まし、君を悩ませていたのは夢にすぎないと気づいたら、まどろむ前に見ていたように、いま目の前にある現実をさめた目で見つめることだ。


    黄色のハイライト | 位置: 1,044
    126  幸福は自分の行動にある   名声をこよなく愛する者は、幸福は自分を賞賛する他人の言動にあると考える。 快楽に身をまかせる者は、幸福は自分の感覚をとおしてやってくるものと考える。 叡智を身につけた人は、幸福は自分の行動にあると考える。


    黄色のハイライト | 位置: 1,055
    128  過ちを犯した人もおなじ人間だ   過ちを犯してしまう者たちすら愛するのは、人間の特権だ。このような考えは、つぎのことを思えば、すぐにでも生じてくる。 かれらは君とおなじ人間であり、無知のため意に反して過ちを犯してしまうのである。そして、かれらも君もまもなく死んでしまう。過ちを犯した者は、君に対してなにも損害をあたえていない。というのも、司令部である君の理性は、以前とくらべてまったく悪化していないからだ。


    黄色のハイライト | 位置: 1,065
    130  どんな状況でも冷静になる   たとえ世界中が君に対して好き勝手なことを大声でわめきたてようと、たとえ野獣が君の肉体を食いちぎってかみ砕いてしまおうと、衝動に身をまかせることなく心静かに生きること。 こうした状況のなかでも精神が平静さをたもち、周囲のできごとをただしく判断し、目の前にあるものごとを活用する用意をさまたげるものは、じつはなにもないからだ。 だからこそ、どんなできごとに直面しても、「たとえ他人には違って見えたとしても、それが君の本質なのだ」と判断する力が君にはあるはずなのだ。


    黄色のハイライト | 位置: 1,102
    137  執着せず思い切りよく手放す   傲慢になることなく受け取り、思い切りよく手放す心の準備をしておくこと。


    黄色のハイライト | 位置: 1,144
    だが、不誠実で恩知らずだといって誰かのことを責めるときには、まずは自分自身を省みなくてはならない。つぎのように考えれば、あきらかに君が悪いからだ。約束は守るはずだろうとそんな人を信頼したことだけでなく、恩恵をあたえたことだけに満足すべきなのに、そこから感謝やなにか見返りを得ようとしたのだから。


    黄色のハイライト | 位置: 1,172
    自分の道をまっすぐ前に進め   なにをなすべきか、自分の力で探し求めることができるのに、なんで十分考えもせずにあれこれ想像したりするのか? もしはっきりと見えるなら、ほがらかに自分の道をまっすぐ前に進み、引き返したりしないこと。 もしはっきりと見えないのなら、いったん立ち止まって、最適なアドバイスに耳を傾けること。 だがもし、行く手に立ちはだかるものがあれば、状況がゆるすかぎり、ただしいと思われるものを守りつつ、熟慮のうえ前進するのだ。


    黄色のハイライト | 位置: 1,289
    170  いつ死んでもたいした違いはない   「お前はあした死ぬか、確実にあさってには死ぬ」。そういうお告げがあったとしよう。君がもっとも卑劣な人間ではない限り、それがあさってだろうがあしただろうが、たいした違いはないはずだ。だから、何年もたってから死ぬことになろうと、あした死ぬことになろうと、それほどたいした違いではないと思うべきだ。

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