現代語訳 暗黒日記―昭和十七年十二月~昭和二十年五月 [Kindle]

著者 :
制作 : 丹羽 宇一郎  丹羽 宇一郎 
  • 東洋経済新報社
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  • フリージャーナリストだった清沢洌の大戦末期の日記「暗黒日記」の抄録、丹羽宇一郎による編集、現代語訳と解説を付したもの。
    1990年の岩波文庫版を読んで以来だから30年ぶりの再読。とはいっても抄録箇所は重なるところもそうでないところもある。底本は未読。

    大戦下で日に日に逼迫する物資、知人の子弟の戦死、空襲下でもまかりとおる精神論。中央公論社を襲った横浜事件。国民の多くが戦争を望み、その強硬論に乗じて部数を伸ばし、ついには官憲の広報誌になった新聞記事や論説もところどころで引用される。
    その一方でわずかな外電記事から垣間見える外国の情勢、事実上の執筆禁止の中でもおこなわれた講演旅行、石橋湛山、岩波茂雄、緒方竹虎らとの行き来。他にも18年3月4日の「材木を盛んに切る」ことで「限度を超え」ての「大乱伐」の結果が戦後の「国土緑化運動」「植樹祭」へ…などなど。
    日記という極めてプライベートなものだが、その端々から当時の世相や言論界、戦後につながる動き、そして氏の考え方がストレートに伝わってくる。

    30年前にも感じたことだが、現代の日本にも氏の嘆きがそのままあてはまることの多さにあらためて気づく。80年近く前の日本人のメンタリティがいかに今の日本にも当てはまるか。
    例えば、昭和18年12月30日の一節(108頁)より。
    「考え方が違っても愛国者であり得る。また意見が相違しても団結することができる。我が国の『愛国者』は、そう考えることができない。」

    人名に肩書を初めから入れ、脚注も丁寧、そして章ごとにある編者による解説は現代につながる読み方を示してくれる。
    ただ、文語調の言い回しがあるとはいえ、もとが口語文の日記。「現代語訳」にする必要があつたかは疑問。「聞くにたえぬ」を「聞くに堪えない」(昭和17年12月12日※ただし、文庫版が底本と同じかは分からない。以下も同じ。)、「できた由」を「できたとのこと」(昭和18年3月20日※)などとしても、さっぱりとした文語調の言い切りがもやっとしただけで、読みやすくなる、理解が深まるとは思えない。フルネームに肩書の組み込みはいいとしても、あとは現代仮名遣いと漢字を現代の常用漢字レベルに置き換えるだけで十分だと思うのだが。

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著者プロフィール

清沢 洌(きよさわ・きよし):1890-1945年。長野県生まれ。小学校卒業後、内村鑑三門下の井口喜源治が創立した研成義塾に入り、感化を受ける。1906年渡米、働きながらハイスクールを卒業。カレッジ在学中から邦字新聞の記者として活躍。20年、帰国して中外商業新報社に入社、のちに通報(外報)部長となる。27年、東京朝日新聞社入社。29年退社、フリーランスの文筆家となり次々と著書を発表、自主独立の評論家・外交史研究家として矜持を貫く。1945年5月、急性肺炎のため急逝。『暗黒日記』他著書多数。

「2023年 『外政家としての大久保利通』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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