格差という虚構 (ちくま新書) [Kindle]

著者 :
  • 筑摩書房
3.40
  • (0)
  • (2)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (311ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『メリトクラシー(能力と功績に応じた収入と地位を保障する原理)の究極の目的は不平等の改善ではない。格差の正当化だ。』

    金持ちの子も貧乏人の子も、各々の努力と才能の結果で上昇も下降も可能でなければならない。
    偏見や特権により底辺に縛り付けられたり、頂上に安住できたりしてはならない。

  • ポンコツな頭をかなり刺激してくれるユニークな論考。既存の枠に捉えられているので、そう感じるのだろう。
    著者によるまとめによれば、下記に集約されるのだが、これだけ読んでも、理解できるものではない。スッキリするものでもない。

    ①能力は遺伝・環境・偶然という外因がつくる。したがって能力に自己責任はなく、格差は正当化されない。メリトクラシーや法の下の平等は階級支配を隠蔽するためのイデオロギーであり、遺伝・環境論争は科学を装う階級闘争の表現である。

    ②格差はなくならないし、減っても人間を幸せにしない。本質は差異を生む運動である。人間が互いに比較する存在である以上、差異はなくせないし、そこから苦しみや嫉妬が永遠に続く。

    「偶然の力は人の思考の枠を変えてくれる。」
    偶然を積極的にとらえる考え方に、希望を見出したい。

  •  格差はなくならない。なぜなら、差が小さくなればなるほど、その小さな違いがますます人にとって重要になるからだ。差別は似たものどうしの間でこそ生まれる。
     格差があったとしてそれが「能力」の違いによるものだと説明されれば納得する人もいるかもしれないが、環境と遺伝は不可分であり、遺伝子的にも環境的にも有利な人間が自分の「能力」を開発しやすいのだから、平等は決して実現されない。格差はなくならないし、減っても人を幸せにしない。
     主体といったものも虚構に過ぎない。意志というものは内因性のものではなく、責任を負わせるための捏造物である。
     こうした考え方は虚無的だと感じるひともいるかもしれないが、私という人間が「自由である」と考えるよりも、実のところ安心する。 

  • 議論の結論については同意するが、終章に向かって著者の思いが繰り返される箇所が多く、説得感が薄かった。

    別著の「社会心理学講義」を既読の場合、得られるインプリは少ないかもしれない。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

小坂井敏晶(こざかい・としあき):1956年愛知県生まれ。1994年フランス国立社会科学高等研究院修了。現在、パリ第八大学心理学部准教授。著者に『増補 民族という虚構』『増補 責任という虚構』(ちくま学芸文庫)、『人が人を裁くということ』(岩波新書)、『社会心理学講義』(筑摩選書)、『答えのない世界を生きる』(祥伝社)、『神の亡霊』(東京大学出版会)など。

「2021年 『格差という虚構』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小坂井敏晶の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×