- Amazon.co.jp ・電子書籍 (137ページ)
感想・レビュー・書評
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ことあるごとに読み返したくなる。薄いし。特に前半が好き。オリジナルと合わせるとこれで十数回は読んだ。
”不条理文学”とよく言われるけど自分にとってはまったく不条理ではなくよく分かる。誰もが多かれ少なかれムルソーに似ている。
むしろ人間を不条理と判定するのはシステム(ここでは司法)のほうだ。だから"不条理文学"という言い方はシステム目線からの呼び名だからちょっと不愉快。
一方、ムルソーの側には彼なりの理屈がある。それを倫理と呼んでもいいけれど、首尾一貫していることにはシステムの側にとっては何の意味もない。ある一貫したメカニズムで動いている昆虫を、ふいに踏み潰す大きな足に似ている。
今回読んで思ったのは、殺人という"罪"はとても近代的な罪だということ。超越的な存在が失われたからこそ生まれた重罪。自己と他者が名目上は等価な存在になったために、他者を殺すということは死刑に値する、という理屈になる。
しかしムルソーは、超越的存在は失われたが、自己と他者との間に新たな倫理を確立しようとする。
その背後に透かし見えるのは、形骸化した「決闘の思想」だ。しかし決闘もまた、その勝負の結末の幾らかを神の采配に委ねるものだった。もともとは。
たがいを殺すルールを、自分たちで作らねばならない。本作の悲劇性はここにある。そしてまた、くしくも司法による死刑もまた、同じ自分たち人間を殺すルールだ。この息つまる同語反復の外に出られる人間は、誰一人いない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分には自分の生き方がある、他人にとやかく言われる筋合いはない、他人によって自分の生き方を否定されるなんておかしいだろう、黙っていてくれ、わたしの邪魔をしないでくれ。
邪魔者がいなくなってやっと解放された気分だ。今や自分は自由の身になることができた。 -
どうもいけません。どうしてもいけません。なにゆゑにこれが天下に鳴る名著たるのかサッパリ理解できません。
シラケた男が人を撃った。殺した。太陽のせいだといふ。
「『太陽が黄色くて殺しちゃッた(/ω\*)
分かるわー。」と云つてた友人がゐたけど、なんだかねぇ。
ご都合主義......でもないんだが、これッて不条理なの? 実存主義なの?
納得出來ませぬ。期待して買つて損したやうな。。 -
生きるにあたって関わるすべての事柄に感覚的な信頼以外の何ものをも期待しない。そのような生き方に徹する主人公ムルソーは、母の死でさえ、日々勃興するあれこれのひとつでしかなかった。ただ社会的人間としてすべき最低限の糸は切れないようにしているに過ぎない。その彼がふとしたことから知人を付け狙う一味のひとりを撃ち殺してしまう。最初の1発が彼の現実をあやふやなものにしたのか、さらに4発を撃ちこんでしまう。逮捕された彼に待ち受けていたのは、結局斬首刑だった。彼は生をあらゆる時点で確定できない不確かなものと捉え、死刑そのものさえ、忍び寄る不安や恐怖を払い除けつつ、許容しようとする。
カミュによる後の<不条理>論が色濃く反映したこの作品は、20代に読んだときとは異なる質感を伴った。それは死に対する感覚の変遷とも言える。死とは何か? その受け止め方の違いが本書の受け止め方の違いとなるに違いない。生きること、死ぬこと、すべては<いま>に集約されると作者は言う。本書を思想的な観点からまとめた『シーシュポス(シジュフォス)の神話』の冒頭にある引用がすべてを現していると言えるだろう。
ああ我が魂よ、不死の生を求むる勿れ。
寧ろ可能の領域を窮めよ。
ピンダロス――『ビュティアの祝捷歌第三』 -
「異邦人」を読み解くポイントは
主人公ムルソーの思い出語り、という点にあります。
平易で感情のない文章。
たどたどしい文章。
全て、思い出語りだと思うと納得がいきます。
「今日、ママンが死んだ」
知らせを受けた主人公ムルソーは
養老院へ向かう。
ママンの棺を取り囲むようにして座っている
院長、看護婦、そして友人たち。
たった一人の友人という女性が泣き出す。
そんな彼らを
ムルソーは、他人事の様に観察している。
「異邦人」というタイトルの意味が
何となく分かるような気がしてきませんか?-
2023/12/11
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2023/12/11
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2023/12/11
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読んだ小説ベスト3に入る。
もやもやする感じすこ。
人間失格きらいな鈴木はこれも好きじゃなさそう。 -
人を殺すほどでないにしても、人間誰しも衝動的に行動することがある。大きな決断・行動時には、理性を保って冷静でいられるようにしたい
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哲学と人間の本質を追求した本という印象。
最初は、自分の興味のあることにしか感情が湧かず、それ以外はただそれだけのこととしか捉えない異常者のように感じたが、読み進めるうちにムルソーにはムルソーの一貫した人間性があるんだと気づいた。
ムルソーの人間性は誰もが少なからず持っているものではないか。それを理性で抑えているのがムルソー以外の人間で、認めることができない、認めてはいけないから排除されてしまった異邦人ということなのか。
文章自体も難しいが、物語の描写をしつつも実は様々な表現で対比(ムルソー対ムルソー以外の者)を表しているようにも感じ、何度も読み返したら新たな発見が出来そうだ。 -
かっけぇ