世界少子化考 子供が増えれば幸せなのか [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • とても面白かった。自然発生的に「少子化=悪・改善が必要なもの」と感じていたけど、そうじゃないんだ、ととても腹落ちした。そして、子どもがほしいと思っていないわたしにとっては、少し安心させてくれる内容だった。

    p.31 韓国では15年に「スプーン階級論」という言葉がインターネットを中心に流行した。裕福な家庭に生まれることを意味する「銀のスプーンをくわえて生まれる」と言う西洋の慣用句から生まれたとされ、生まれた環境を「金のスプーン」「銀のスプーン」「泥のスプーン」などと分ける。明確な基準はないが年収が2000万円を超えるような裕福な家庭に生まれたら「金のスプーン」、逆に低所得の家庭に生まれた場合は「泥のスプーン」と表現される。そして、そのスプーンの色で自分の歩む人生のが決まると言う意味が込められている。「親ガチャ」と同様に、スプーン階級論は親の社会的地位や経済力によって受ける教育や待遇が異なり、自分の努力ではその階級を超えられないと言う若者の嘆きだ。

    p.71 中国
    だが、そもそも現在の20〜40代は、自らが「一人っ子」で育った世代だ。外資系シンクタンクのエコノミストは「自分が不都合を感じずに育った国、二人目(以降)の子供が必要と言われても、その良さが実感できない」と指摘する。SNSには、「上には4人の老人、下には3つの宝で、中間に2人。死んだほうが楽だ」という投稿もあった。一人っ子同士の夫婦は年老いたそれぞれの両親に加え子供3人の面倒を見るのはとても立ち行かない、という意味だ。

    p.94 フランス
    フランスの国会国民議会(下院)は2021年6月29日、これまでは異性カップルのみが対象だった人工授精や体外受精などの生殖補助医療、独身女性や女性同士のカップルにも拡大し、公的医療保険を適用する内容の方を可決した。法案は、伝統的な家族観を重んじる保守派が半数を占める上院で2度否決され、1時は暗礁に乗り上げそうになった。だが、下院で多数を占める中道マクロン政権の与党は押し切り、婚姻の有無や行員相手の性別にかかわらず、すべての女性が好的選択を 可能とする道が開かれた。

    p.112 この国はなぜ少子化対策に取り組むのか。1980年代頃までは、労働人口の減少による国力の低下への危機感が土台にあった。しかし95年に北京で開かれた国連の第4回世界女性会議で「出産数を管理する権利は女性にある」と言う規定が盛り込まれた宣言が採択され、国際社会の意識は大きく変わった。

    留意しなければならないのは、生殖補助医療行為の有無やパートナーの性別にかかわらず国が支援するフランスの新法は、出生率向上のための「少子化対策」としてはフランス国民に認識されていない点だ。フランス政府が家族の定義を広げて支援をするのは、国民それぞれの幸福観や家族観に応じて個人の権利を保障するためだ。時代とともに、多様な家庭家族のあり方や生き方を求める潮流が拡大し、当事者たちが権利を求めて声を上げ賛成と反対の双方が議論を戦わせてきた結果と言える。
    「日本、周回遅れ」の友人たちの嘆きには、筆者も共感する。日本の少子化対策の背後には、伝統的な家族観を制度的に変えることもなく、女性の役割を「産む性」に閉じ込めたまま、経済的なサポートさえすれば結婚や出産が増えると言う男性中心の視点が感じられる。だが、私たちが本当に必要としているのは、国民それぞれが生き方の選択肢を増やし、権利を尊重することではないだろうか。

    p.116 日米の家族をめぐる議論の違いはどこにあるか
    日本では子供の利益を抽象的に考えます。血縁関係のある、いわゆる「普通の家族」に生まれてこないことを抽象的に「不幸だ」と言い、婚外子等についてはできるだけ既存の結婚の枠組みに誘導しようとします。一方、米国は具体的に子供の利益を考えます。婚外子や精子バンクからの精子提供で生まれてくる子供がいることは動かせない現実であり、その子供たちの法的な立場や経済的な状況をできるだけ安定させるためにはどうするべきかという議論をします。非常にプラグマティック(実利主義)な国です。

    p.150 日本の母親は育児に負う大責任が重すぎる
    日本の出産事情にも詳しい前出のハイファ大学のイブリ氏は、「ユダヤ人と日本人は、母性に対する考え方が異なり、それが子育てに対する母親の「負担感」の違いにつながっています」と指摘する。イブリ氏によると、日本では母親が、子育てについて非常に重い「倫理的な責任」を負っていると言う。例えば、日本では通常、妊娠がわかると自治体から母子健康手帳が渡される。手帳には、出生後の子供の健康状態やワクチン接種について、詳細に記録する欄があり、「実の親が子供の面倒をしっかり見ることが前提」となっている。また、保育園やベビーシッターの数が少ない上、預ける先が見つかったとしても、親が保育士だと入念に情報交換する必要がある。親が子育てにおいて、やらなければいけないことが多い。一方、イスラエルでは、母親は妊娠中、安全に産むことを最優先に考え、出産後は親だけでなく、親族や社会全体で子供を育てるという意識が浸透している。ワクチン接種のためのカードも、出産後には渡される。世俗派のユダヤ人女性の場合、一定程度の休暇を取った後は職場に復帰するのが普通で、0歳から保育園が充実しているほか、 ベビーシッターや両親に育児を頼むことも多い。母親固有の役割は、母乳を絞り、保育園などに提供することだと言う。保育園でも、イスラエルは保育士任せにすることが多く、親の負担は非常に比較的軽い。

    p.186 なぜ生殖や家族をテーマにしているのか
    自分が女性で、高校生の頃から家族や出産について考えてきたからです。私は地方の保守的で血縁主義的な考えを持つ家庭に育ちました。家族は良い人たちですし、大好きですが、もう少しいろんな幸せのあり方があっても良いのではないかと考えて思ってきました。可能性を広げたり、人の幸せに繋がったりする技術があったとしても、社会にそれを受け入れる準備がなければその技術は潰されたり、使用が先延ばしされたりします。「社会通念」と言われるものは議論の果てに変わっていくので、あらゆるケースの議論を早く始めることで、技術が必要な人に必要な時に提供されない状況を少しずつ変えたいと思っています。(長谷川愛)

    p.210 男女が結婚し、子供を産みそだてると言う伝統的な家族のあり方や価値観の重要性を強調してきたオルバン政権は、LG BTなど性的少数派に対する圧力を強めている。2020年5月には、心と体の声が一致しないトランスジェンダーの人々について、誕生時に公的書類を明記した性別からの変更を許さない法を成立させた。同年12月には、同性カップルが量子を持つことを事実上禁じる法を通した。さらに2021年6月には、未成年向けの教材や広告、映画なので同性愛の描写等を禁じる法案が議会で可決。この法に関してこの法に対して欧州連合(EU) 加盟国からは批判が相次いだ。欧州メディアによると、EUのフォンで家礼猿欧州委員会委員長は新法を「恥ずべきもの」と呼び「新法は明らかに性的嗜好をもとに人々を差別しており、EUの根本的な価値観に反している」という話をした。ハンガリー政府はこういった批判に対し「法は子供の権利にのっとり、親の権利を保障するもので、18歳以上の性的指向の権利には適用しない。いかなる差別的要素も含んでいない」と反論した。だが「性的嗜好で差別するために子供の保護を口実に用いている」 との批判的な見方は西欧で根強い。オルバン政権は22年には国民投票を行い、公教育の場で親の同意なしに未成年が性的嗜好について学ぶ機会を持つことなどの是非を国民に問おうとしている。少子化対策と反LGBTは「伝統的家族の価値」を挟んで表裏の関係と言えるのではないだろうか。前述のブルガリアの政治学者、イワン・クラステフ氏は著書「アフターヨーロッパ」で 実際、「同性婚はさらなる人口減を示すもので、低い出生率と移民悩まされている東欧諸国にとって、ゲイ文化を承認する事は自分たちの「消滅」を認めることになる」と人口減と反LGBT意識のつながりを指摘する。

    p.212 貧困層だけではなく、子供が欲しい、あらゆる人にインセンティブを与えようとするハンガリー政府の方針は、その大胆な予算傾注と注目を集める政策展開によって一定程度の成果を上げている。また子供を持つ市民の多くが、こうした政策を高く評価していることもわかった。筆者は取材を通じ、出生率の向上にここまで真剣に取り組むハンガリー政府の本気度と、彼らが抱く期間を肌で感じた。

    一方で、家族の形態が時代とともに大きく変化する中、「子供を持てない人」「子供を持たない人」が社会で阻害されることへの危惧を拭いきれなかった。これは性的少数者も含むがそれだけではない。多様なライフスタイルが広がっている現代社会で、様々な価値観に基づいて暮らす人々を、伝統的価値観のみで縛る事は、簡単に是認できるものではない。また、子供を持つことをためらう人がいる背景には、時に教育や保育などの社会資本整備の遅れや劣化も関係しているのではないかと感じる。

    p.214 男性に性転換と出産を義務付ける世界があったら?小説『徴産制』で現実社会の問題が浮かび上がらせる(田中兆子)

    38歳から満30歳までのすべての日本人男児に、性転換手術で最長2年間、女性になることを義務づけ、出産を奨励する。この作品は新型インフルエンザの流行で10代から20代の女性の85%が消えた2092年の日本を舞台に、人口政策で「産役男」になった男性5人の葛藤を描きます。国の利益と国民の幸せは一致するのか、国の政策に女性の視点は本当に反映されているかなど、重いテーマに鋭く切り込む内容ですが、この作品を描いた背景を教えてください。

    男性が女性に変身すると言う話はライトノベルや漫画ではよく使われるテーマですが、男性作者による作品の、登場人物が美少女に変身すると言う展開に疑問を感じていました。返信して素敵になりたいのはわかりますが、それは実際に女性になりたいわけではなく、女性を消費するための変身願望でしかない。男性である自分に都合が良く、冊子がいいなと思っていました。それに冷水をぶっかけたかった。現実において、女性になると言う事はどういうことかを男性に伝えたかったんです。

    少子化と聞いて思うのはどのようなことか。
    まず、少子化と言うのは日本の事しか考えていないし、視点です。人口が増えると言う事は、地球規模で見ると必ずしも良いことではありません。SDGs(持続可能な開発目標)や気候変動等の観点では人口増加は悪影響を生みます。それに目をつぶり、人を増やせと言うのは大きな矛盾です。また、一生問題にしている時点で時代遅れです。たとえたくさん子供が生まれても、その子たちが生きづらかったり、苦しんで命を断ったりしたら、どうなるのでしょう。少子化が問題だと言われ始めて、もう20年以上経っています。「もういい加減やめない? もっと違う言い方がないの?」と思います。

    p.226 フィンランドの合計特殊出生率は2010年から低下を続け、19年には1.35にまで下落。…少子化が進むのは、子供を欲しがらない人が増えているからだ。フィンランドのNGO「人口連合」は1997年以降、理想的な子供の数を訪ねる調査を行ってきた。理想的な子供の数を0と答える人、つまり、子供を必要としない人の割合は長く1.5〜4%だったが、2015年の調査では14.8%と急上昇した。18年の再調査でも12.3%と同様の結果で、特に20代の若者では24%に上った。

    p.232 欧米では、個人の自由や権利を尊重する個人主義が進んでいる。とりわけ、フィンランドなどの北欧諸国ではそれが顕著だ。一説では聖職者の特権を否定し、神の前で平等を強調したキリスト教・プロテスタントの影響力が強い地域であるためではないかと言われる。福祉制度が充実したことでより個人の自立が促されたことが一因にあると指摘する見方もある。いずれにしても、自分の人生は自分の意思で主体的に選びとっていくべきという考え方が考えが、社会全体として強い。フィンランドのような国で、子供を持たないことを「個人の選択の自由」として捉える人が多いのは、当然の成り行きかもしれない。

    p.241 国は「運命共同体」から「自己実現を目指す個人の集まり」になる!?

    フィンランドは、個人の尊厳を大切にする成熟した社会だと感じる。「私が仕事をしたい理由の1つはちゃんと自分の年金を払いたいから。だって離婚したときに「(自分自身で受け取れる)年金額が少なければ困るでしょう?」少しショッキングな発言にも聞こえたが、別に夫との関係が悪いわけではない。彼女にとっては、 いつでも個人として自立して生きていけることが重要なのだ。「私は子供が2人いますが、(子供が持たない人生に比べて)もっと幸せになったとは思いません。(子供を持つ人生と持たない人生の)それぞれの幸せが違うだけです。私の子供たちは自分にとって世界で1番大切な存在ですが、子供がいなければ、また別の人生を送っていただけでしょう。今の世の中は様々な選択ができる。子供が欲しくなかったら、作らなくてもいいのです」

    この国では、それぞれが主体的に自分の振り方を選びとっていくことが認められている。その結果、子供を持たない人が増えたとしても、誰かに責められる必要は無い。出産や子育てはめぐる選択は、他人が決めるものではないし、ましてや国家に強制されるべきものではない。

    だが、家族のあり方はかつてとは変わる。運命を共にする共同体と言うよりも、それぞれが仕事なので自己実現を目指す個人の集まりとしての側面が強まる。自分の意思が尊重される一方で、親は子供に「孫の顔が見たい」などと軽々しく言えない。そうしたいの中に、寄る辺なさを感じる人もいるかもしれない。また、少子高齢化が進めば、国の経済は停滞し、これまで通りの公共サービスが受けられなくなる恐れがある。個人の選択の自由と、社会全体の利益との間に生まれた「歪み」と言える。フィンランドがリベラルな国であるがゆえに抱える苦悩がそこにある気がする。

    p.244 日本の少子化の背景には何があるか。(赤川学)

    まず言える事は、女性の社会進出が進み、1人で生きていける時代になったと言うことです。女性にとって、結婚と出産は「オプション」(選択肢のうちの1つ)になりました。非常に良いことで、社会に必要な価値観だと考えるならば、出生率が下がったとしても構わないと主張していくべきです。

    家族像の変化もあります。昔は、子供を持つ事は親にとって喜びは幸せである上に、子供は働いてお金を稼いでくれたり、高齢になった時に面倒を見てくれたりする存在でした。しかし、今は教育費が増えるなど親の負担が増しています。大学卒業まで子供の面倒を見ないといけない時代になり、親が子供の将来のために生活を犠牲にしています。 子供中心の考え方は、日本だけでなく、中国や韓国を含む東アジア諸国でも根強いものです。このような社会では、出生率は低くなります。一方、欧州は基本的にカップル中心の社会です。結婚後も子供をベビーシッターに預けて夫婦でコンサートに出かけるような世界で、言い方悪いかもしれませんが、子育てをそこまで重視したいところがあります。しかし、むしろ、こういう環境の方が子供を産み育てやすいのです。

    日中間で他に共通の考え方はありますか。
    女性が収入や学歴などで自分よりも優位な地位の男性と結婚する「ハイパガミ―(上昇婚)」や同等の相手と結婚する「ホモガミー(同類婚)」が根強く、収入水準なのか自分より低い男性と結婚する「ハイポガミ―(下降婚)」が少ない傾向が指摘されています。

    p.254 気候変動対策の視点に立つと、世界は異なって見える。「英国で1人の子供を産む事は、二ジャールで約16人の子供を産む事と同じです。小さな家族を選ぶと言う事は(気候変動への対応として)とても効果があることなのです」。PMのディレクター、ロビン・メイナード氏はそう解説する。人口増加の激しい途上国に比べ、先進国の方が個人の二酸化炭素を排出量は多い。そこで先進国こそ子供の少ない小さな家族を施行するべきだと言う主張だ。

    p.261 GDPの限界と新たな指標一方、少子化がもたらす経済成長率の低下を克服しようと、経済成長をひたすら追い求めることが人々の幸せにつながるだろうか。そんな問いかけもある。背景には、一刻の経済状況を示す指標として一般的に使われている国内総生産(GDP)そのものが抱える問題がある。GDPは前述した通り、1つの国で一定期間内に生み出された製品・サービスの付加価値(儲け)の総額だ。しかし、環境、文化、治安、家族や地域コミュニティーなど、お金のやり取りが発生しないかちゃ抜け落ちている。例えば、 家事労働やボランティア活動はGDPで集計される事は無い。貧富の差や労働状況、大気汚染などの環境面も数字としては現れず、無料で利用できるインターネット検索やSNSの普及で人々の生活が便利になったことも反映されない。GDPの考案者の1人である米国の経済学者サイモン・クズネッツ氏はかつて、「GDPはあくまで複雑な経済活動を測定するための指標であり、経済的社会的な幸福度を示すものではない」と強調した。しかし一刻の経済状況を数値化できるGDPは使い勝手が良く、経済状況を把握したり、政府の経済政策を進めたりするのに不可欠な統計 なっている。GDPが抱える問題を認識せず、GDPを大きくすることを追い求めるのは、「お金を稼ぐ稼ぐほど生活は豊かになる」と言う前提で経済や社会を評価し、政策を行うことを意味する。お金にお金をたくさん稼ぐ事は人生を豊かにする要素ではあるが、家事や子育ては全て家政婦に任せた方が生活は豊かになり、各が核爆弾を製造すればするほど幸せになり、森林保全するより伐採して材木にした方が価値が高いと言うことになる。GDPから抜けをしている価値を反映し、持続可能で、生活の豊かさを表す指標とは何か。国際的に新たな指標を開発する取り組みが進んでいる。
    その一つが、OECDが2千11年に開発した幸福度指数「より良い暮らし指標(Better Life Index)」だ。物質的な生活条件(住宅、所得、雇用)と、生活の質(社会的つながり、教育、環境、市民参画、健康、主観的幸福、安全、ワーフライフバランス)の11分野を指数化し、各分野についてOECD加盟国と比べて幸福度が高いかどうかをグラフで表している。経済状況を明快な数値で表すGDPに比べ、「より良い暮らし日指標」は複雑で、毎年の変化や他国との比較をするのが難しい。ただ、各分野の幸福度を上げていくことができればGDPでは表すことができない、より一人一人が幸せと感じる経済社会に近づくのは間違いないだろう。

    「少子化生み出す社会」を変える

    では、人口が減少しても必ずしも経済が悪化するとは限らず、また、GDPのような経済指標だけが、幸福の尺度ではないとする。さらに、人口減少が気候変動対策にもなると言う議論もある。ならば、少子化は本当に問題なんだろうか。各国の事情を観察してきた筆者の答えは、少子化そのものを「悪」として捉えて無理に人口増やすのではなく、少子化を生み出している社会の悪い部分を改善し、個人が人生の選択肢を増やせるよう、努力しなければならないと言うことだ。

    p.271 経済成長の指標であるGDPと国内総生産(GDP)と社会に暮らす人間の幸福との関係はどう考えますか。ブータンが「GDPより国民総幸福量(GNH)が大事」と唱え話題になったことがありました。GDPとは1年間に国内で売り出されたすべての経済価値を足し合わせたものですが、必ずしも幸福だと一対1対応ではありません。例えば、電車で電車やバスの利用は「運賃」と言う経済価値を生み出し、GDPを押し上げます。一昔前は、駅員がホームですし詰めの満員電車に 通勤客を押し込む光景が見られましたが、あれもGDPを押し上げに貢献していたわけです。しかし、そんな日常が幸せと言えるでしょうか。インフルエンザが流行すれば、その分だけ医療費の増加でGDPは数拡大しますが、これも幸福とか幸福とは正反対の事象です。ただし、GDPを人口で割った「一人当たりのGDP」、これは最初の方で述べた「労働生産性」に相当するものですが、この数値が大きい国ほど国民の平均寿命が長いことがわかっています。つまり寿命が伸びると言う「幸福」とは比例関係にあるのです。GDPは下がって様々な問題を抱えつつも、国の経済規模を正しく図る上で極めて便利な指標です。ただ、日本に過ぎないGDPの拡大を自己目的化してしまうのは本末転倒です。 企業や個人が社会課題の解決に向けてイノベーションを起こし、労働生産性を高め、結果としてGDPを拡大していく。それが国の目指すべき姿だと思います。

    p.274 家には子育てしようとする本能があるのですか。迷子の子供が泣いていれば、どんな人でも少しは気になるでしょう。この気持ちは哺乳類が誕生した時から備わっている本能と考えられます。子育て行動は脳内、具体的には視床下部の前方にある内側視索前野に組み込まれています。ここには子育てしようとする本能のほか、性欲、睡眠欲を駆り立てる機能もあります。ただ、この子育てをしたくなる本能だけで現実の子育てはできません。練習を積み重ねることで上手くなります。また、子供も愛着行動を通じて、親子の絆に貢献しています。哺乳類の親子にとってのとってお互いに寄り添い、愛し愛される事は、進化の過程でより生き残りやすくするため、選択されてきた能力といえます。

  • ふむ

  • 2022.06―読了

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著者プロフィール

2018年夏、毎日新聞東京本社編集編成局社会部の遊軍担当だった奥山はるな、堀智行、デスクを担当した篠原成行の3人を中心に構成。メンバーは、いずれも外国人や子ども、教育を取り巻く問題に関心があり、それぞれ取材を続けてきた。本書のベースとなり、毎日新聞の紙面で掲載しているキャンペーン報道「にほんでいきる」は、取材班が執筆した。

「2020年 『にほんでいきる 外国からきた子どもたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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