- Amazon.co.jp ・電子書籍 (59ページ)
感想・レビュー・書評
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「遺伝子エラーで筋肉の設計図そのものが間違っている先天性疾患「ミオチュブラー・ミオパチー」に苦しむ重度障碍者の、叫びにも似た自虐的・露悪的小説。「妊娠と中絶がしてみたい」高齢処女重度障害者、「お金があって健康がないと、とても清い人生になります」、「天涯孤独の無力なせむしの怪物である私」…。途中から読むのが苦痛になった。
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文藝春秋で。“強烈“の一言。生まれ変わったら高級娼婦になりたいという重度障害者の話。知らなかった世界。空想なのか現実なのかと想像力を掻き立てられるストーリー。芥川賞を受賞したことで、少しでも住みやすくなればいいと思った。
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気持ち悪くなるくらいの衝撃をくらった本。
紙の本を読むことがこんなにも傲慢な作業だとは、自分は気付いていなかった。セックスをするだけでも命がけな人もいるなんて知らなかった。
全てを受け入れて、文章にして公表してしまうなんて、私には怖くてできないことだと思った。人間の闇の部分を視たくなくて、今まで芥川賞作品を読んだことがなかったのですが読んでいこうと思いました。 -
彼女が伝えたかったことが、この本の出版により、より多くの人たちに届くことになり、芥川候補作ということで、更に多くの人に読まれることを嬉しく思う。文学の力をまた強く感じさせられた。彼女にしか書けない、唯一無二の作品だ。健常者という枠で生きている日常においてのパラレルと目を逸らしている社会と自分自身。その何食わぬ部分を鋭くエグる。ワードのチョイスもセンスが光り、ユーモアも抜群である。もう溜め息しか出ません。
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2023 年 59ページ
第169回芥川賞受賞作。
井沢釈華はミオチュブラー・ミオパチーという難病を患っている重度障害者。自らをハンチバック(せむし)の怪物と称す。両親が遺したグループホームの一室に住んでおり、両親の莫大な遺産を受け継いでいる。有名私大の通信課程に在籍している。コタツ記事ライターのアルバイトをし、小説投稿サイトでR18小説を連載している。それで稼いだお金は福祉関係に全額寄付している。Twitterの裏アカで、〈生まれ変わったら高級娼婦になりたい〉〈妊娠と中絶がしてみたい〉と呟いている。ある時、介護に訪れたグループホーム男性スタッフの田中が、Twitterの裏アカが釈華のものであることを知っており、そしてTwitterの記事の内容について言及される。それをきっかけに釈華は1億5500万円で田中の精子を提供してもらうことになるが……
小説の内容についてあらかじめ先入観を持たずに読み始めたため、冒頭からハプニングバーのエロ記事が展開したのにはギョッとしました。そして、ミオチュブラー・ミオパチーという難病と日常生活のリアリティある描写。最後まで読み終わった後に作者について調べ、小説の30%くらいは作者自身の実体験であることがわかりました。
賛否両論あるこの小説、作者の怒りは強い文章から伝わってきました。
『厚みが 3、 4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がった首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。』
多くの読者に刺さったこの文章。私も似たようなことを考えたことがあります。施設の片麻痺のあるご利用者と本の貸し借りをすることがあるのですが、その方が片手で本を読む時はテーブルにしっかりと本を開いて押さえながら読みますが、タブレットのワンフリックなら簡単だろうな、と。そして私はタブレットは持っていませんが、施設のあらゆる本を読み尽くしてしまったその方には、もし私がタブレットを買ったら貸してあげたいな、と考えています。
〈妊娠と中絶がしてみたい〉という主人公。作者の怒りとともに、やるせないあきらめや悲しみが感じられます。この作品には、障害者差別や優生保護法などの歴史も語られています。作者は多くを学び、そして多くの複雑な感情を抱えずにはいられなかったのではないでしょうか。追いつきたくとも決して追いつくことができない悲しみ。
『私の背骨が曲がりはじめたのは小3の頃だ。私は教室の机に向かっていつも真っ直ぐ背筋を伸ばして座っていた。クラスの 3分の 1ほどの児童はノートに目をひっ付け、背中を丸めた異様な姿勢で板書を写すのだった。それなのに大学病院のリハビリテーション科でおじさんたちに囲まれながら裸に剝かれた身体に石膏包帯を巻き付けられたのは私だった。姿勢の悪い健常児の背骨はぴくりとも曲がりはしなかった。あの子たちは正しい設計図を内蔵していたからだ。』
『博物館や図書館や、保存された歴史的建造物が、私は嫌いだ。完成された姿でそこにずっとある古いものが嫌いだ。壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いなのだ。生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。そこが健常者のかかる重い死病とは決定的に違うし、多少の時間差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。 本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。』
自分が経験できないことは、想像しようとしても共感しようとしても本物にはなり得ません。しかし、このように表現してくれることで想像や共感の一助となります。
表現が強く、中高生が読むにはエロ話が過激。主人公のどこか捻くれた歪んだ感情も好き嫌いの別れるところだと思いますが、この作品は多くの読者に投げかけるものがある作品だと思いました。
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そっか、田中の妹・・・。そういう読み方できますね。私は紗花=釈華しか連想できずそこまで考えてなかったです。そう思うともう一度読み返してみたく...そっか、田中の妹・・・。そういう読み方できますね。私は紗花=釈華しか連想できずそこまで考えてなかったです。そう思うともう一度読み返してみたくなりました。2024/02/24
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コメントありがとうございます♪
よくわからないのです。年が離れすぎている気もするし。しばらくしたら読み返してみようと思います(^^)コメントありがとうございます♪
よくわからないのです。年が離れすぎている気もするし。しばらくしたら読み返してみようと思います(^^)2024/02/24 -
また、気づきがあれば、コメントしてくださいねー。こうやって感想聞かせていただけるのが楽しいです!また、気づきがあれば、コメントしてくださいねー。こうやって感想聞かせていただけるのが楽しいです!2024/02/26
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自分が今まで思い及ばない視点が、数多くなげかけられた。読書バリアフリー、本当の息苦しさ、妊娠と中絶をしてみたいなど。ここで綴られていたことは、重度の障害を抱える女性への想定とは大きくかけ離れており、新鮮だった。
そして、田中の存在が印象的だった。介護職員でありながら、釈華への見下したような態度に腹立たしい思いがした。自分は好きになれないが、釈華への言動に気遣いがないところは、偽りの気持ちが感じられない分、気にせず付き合える気がした。 -
芥川賞受賞作を初めて読んだ訳だが、難しかった。
生と性が剥き出しなような慎ましく在るような矛盾した印象を持った。
なんと言えばいいか感想の言語化が難しい。
色々と知らなかったことを、少しだけ知った気分になった。 -
とてつもないエネルギーを感じた作品。
本を読むことは健常者の5つの特権だそう。目が見えて本が持てて姿勢を保ててページがめくれる、それから、好きな本を買いに行ける。ちょっと想像すればわかるはすだがどこか遠い世界と思いこんでいた。
医療行為などは作者の実体験らしいが、どこからフィクションなのか?? -
ハンチバックの意味を知らないままで読んで、途中でルビに「せむし」と書いてあるのを見て始めて理解した。
本人の日常を書いているかのようなリアルさを感じ、読み終わった今でもフィクションなのかノンフィクションなのか分からない。
ハプバの文章も見たことないけど見てるかのような感覚になった。