実験の民主主義 トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ (中公新書) [Kindle]

  • 中央公論新社
3.86
  • (1)
  • (4)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 65
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (305ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 行政府の民主化(行使の民主主義)とファンダムの重なるところにこれからの民主主義の可能性はある。但し、ファンダムに見られる排他性、独善性をできる限り薄めて、メンバーの無償の贈与や自発的協力の側面を強化したい。要約するとこういうところかと思う。

    元気な中高年の出番ではないだろうか。

  • 諸課題を解決するうえでも、市民の声を聴くのが大事だという思いがある。民主主義というか、市民の活動が個人的に重要だと思っているが、それが”いい”のかは立ち止まって考えるべきだと思っていた。つまり、自分たちにとっていいことが全体としていいのかは分からない。その意味で、宇野の本を手に取った。理論的にそれでいいのかを政治学者の目線でも語っていないかと。
    一言でいえば、それについては、複雑化された現在においては、実験的にやるしかないというスタンスといえそうに思う

    そもそも全体として"いい"のか、なんらかの答え/正解があるとする思想は「合理的なシステムがあれば、社会がよくなる」といった19世紀ごろのベンサムらの考え方に端を発するらしい。当時アメリカ独立戦争やフランス革命において躍進しており、注目の的はもっぱら議会(=立法府)だったと。ただ、J・S・ミルは代議制統治論を書いたが、そこで、議会は合理的な決定をできるかは疑問だとしていたよう。
    またその一方で、行政府の権威性がその裏で拡大していたと。
    法律はすべての事象を書ききれない時点で、読み方や解釈が発生し、実質的にその実行者である行政府の権威性が高まる。その時々での判断や現場での決断がおそらく求められ、結果的に彼らのパワーが大きくなっているということのように思う。
    つまり、注目度でいうと立法府が先行するものの、裏で行政府の権威が高まっていた。ここあたりで、現実と思想の間でギャップが生じ始めたと。この時点で、「全体として"いい"のか」議論はすでに形骸化していると読むのがよさそうだと思った。

    GaaS(Goverment as a Service)は政府が上にある構造ではなく、市民が自由に動くためのプラットフォームであるという立ち位置であると記述されていた点は、今更すぎるが、割と認識を変えてくれた。
    今の仕事もどちらかというと会社で意思決定をする上での諸々の支援をするような部署に所属しており、偉い人がいて、承認されたものを実行するような、言われたことを進めるような意識で働いていたが、現場がやりやすいようにする目的なのだと思うようになった。
    この構造で見ると、かなり現場は自由といえる。むしろ上はなんとかする側の人にも思える。
    事務の権威性というのを信じているようになった。
    資料やデータは現場で作る、その上で意思決定がなされる。解釈や加工次第で、伝えるメッセージも変わるとすると、現場のパワーも大きいと言えるのではないか。今まではそれが妙に不安に思っていたが、むしろそこが力だとみなすようになった。

    政治においても実はもっと自由なんじゃないか。事務、実際の現場の声による操作ができるといえる。し、そこが割と希望に思える。GaaSという概念もなるほど、声をもっと拾える仕組みであると。これまで、紙のアンケート等で行ってきた市民の声の拾い上げ、目安箱は結局そこからがブラックボックスになっていて、自分たちの声がどうなったのか見えなかったのだとすると、プロセスの可視化によって、現場をエンパワーすることであり、紙だと不正もできただろうが、それを無くす意味では力の正当性をテクノロジーによって担保する。ただ、このとき大事なのは、その自由を行使しようとする、つまり政治的な営み自体を盛り上げるというか、積極的なかかわりをもたらすものとなる。ファンダム、特に自分たちで勉強会や推し活のコミュニティにおける裏技の教えあいなどにその可能性を見ると。

    やりたいことをまずやってみることが何よりも先に来る。それがこの本でいう実験の民主主義であるといえる。なんとなく昨今の政治現場が現象としてまずいみたいな話ではなく、やりたいのに、これができない、これがやりづらいといった今この瞬間の課題をちゃんと気づく、認識する。やってみることが何よりも政治的関与になるような気がしてきたし、自分は頭でっかちになりすぎていると感じてきた。
    一方で、とはいえ、総体として外交や人口減少などマクロの話は対処していく必要があるし、この話でいえば、かなり当事者のみの声が可視化され、もてはやされるような話にもなりそうで、それはそれでどうかとも思う。
    結局考え続けることが必要には思うが、少し自由になれた気がするだけで、この本を読んでよかったとは言えそうだ。

  • podcastをはじめとして、若林さんの切り口は幅広く、いつも面白い。

  • ぱっと見はインタビューのような趣だが、実際には対談に近い。トクヴィルから始まり、欧米における民主主義の歴史から現在の日本にまで、話の幅は広い。
    平等の概念や、日本における行政の軽視、SNSからAI、話題は多岐に渡る。

    おもしろいことが多く書いてあるのだが、いまいち乗り切れなかったのが副題にも書かれているファンダムをめぐる話である。
    トクヴィルにおける結社、アソシエーションのひとつの可能性としてファンダム(たとえばBTSのファンコミュニティなど)が挙げられるのだが、そこに本当に可能性があるのかどうか疑問。
    完全に印象だが、ファンダムというものは規模の如何にかかわらず、どうしても閉鎖的なイメージがある。
    トクヴィルにおける結社も閉鎖的といえば閉鎖的だろう、と言われるかもしれないが、その閉鎖性はどこかで公共性への強い意識があるように思える。あまり良い例ではないかもしれないが、KKKなどは特殊な思想を持ちながらも社会的影響は絶えず行使していたのではないか。

    BTSのファンダムにおいて勉強会なども開かれているらしいが、それはけっこうなことだが、本当にファンダムだからこそできたことなのかどうかもピンとこない。別のもので代替できるのでは。

    ちなみにファンダムについて語るのは、主に聞き手である若林である。インタビュイーの宇野は心地よく相槌を打つのだが、なかなかしつこいし、あまり納得できる部分は少ない。
    終盤で宇野が「(ファンダムの話について)ようやく腑に落ちた」と答えているのだが「やっぱ宇野もピンときてなかったんだ」と思った。

    ファンダム以外の話については、示唆に富んでおり、たいへん勉強になった。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

東京大学社会科学研究所教授

「2023年 『法と哲学 第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宇野重規の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×