賑やかで、華やかで、穏やかで、和やかで、少し苦くて、でもとても優しい、そんな物語でした。
私はこの漫画が大好きで、何度も最初から読み返しては、ほっとしながらその時点での最新刊の後扉を閉じたものです。
そんな大好きなお話が、とうとうこの巻で終わりました。
最後まで優しい物語で良かったけれど、でもやっぱり寂しいです。
ひとりの魔法使いにつき、人蔵人間となれる素養のある人間はほんの数人。
その素養の条件は、その魔法使いの心の奥底の叫びを聞き取れる耳を持っていること、そしてそれらを理解できること。
ハザクラは「褒めて欲しい」。
アサシモは「自身の暴力的な欲望を正しく恐れて欲しい」。
コンペイトーは「何もない自分への絶望そのもの」。
フユガレは…「他者に理解されない孤独」でしょうか。
そしてこの10巻で、人蔵人間たる篠崎と縁を結んだ本来の主がユーヤケであったことが判明し、彼女の抱える奥底の叫びもついに明らかになります。
「いなくならないで」
このたった8文字。
これがユーヤケの奥底の叫びです。
機械が壊れ「いなくならないように」と、メンテに執着するユーヤケの叫び。
幼い頃の篠崎はこの嘆きを聞き、まだ祖母が存命であったころのユーヤケの中にすでにあった喪失への嘆きを聞き届け、共感したのでしょう。
そういえば篠崎もまた、お店が潰れてなくなってしまうことがとにかく苦手でしたよね。
ユーヤケは真面目で優しい人です。
自分のせいで祖母が死んだという自責に加え、自分のせいで人蔵人間にならざるを得なくなってしまった篠崎への後ろめたさをも抱えながら、祖母が作った機械に触れていられるという喜びの感情もまた真正面から受け止めてしまい、なんて不謹慎なのだろうと考えて、更なる重荷として背負ってきました。
けれども篠崎はそれを「日々が苦しいだけものじゃなくて良かった」と、泣いて喜んでくれたのです。
ユーヤケと同じく、傷つくこと、壊れること、失われること、いなくなることが苦手でたまらない篠崎は、大切なユーヤケが過去の日々の中でただただ傷つき、壊れていき、失われ、いなくなってしまうような悲しいだけの日々を過ごしたのではないと知って、心から「良かった」と安堵するのです。
自分へのメンテが苦しいだけのものじゃなくて良かった。
そこに楽しさや喜びがあって良かった。
貴女が傷つくだけの日々でなくて本当に良かった…と。
ユーヤケの人蔵人間たりえるのは、世界中でただひとり、きっと篠崎だけなのだと思います。
こんなに優しくて、楽観的で、お人好しな似た者同士が、他にいるとは思えませんもんね。
篠崎の中に収められた数多の機械の動力が、燃え盛るグレの体だと解る最後。
マヒルにとって、本に残すほど大事な友人だったグレの分け身の身体が、マヒルの孫であるユーヤケが心を結んだ人間を、今も生かしているのだと解る最後。
祖母のグレへの友愛が、ユーヤケへの親愛が、今やユーヤケの大切な友人である篠崎をも繋ぎ止め、三人を優しく抱きしめているのだと解る最後。
愛情の円環がこんなにも穏やかに、押し付けがましくなく綺麗にくるりと結ばれるなんて…と、何だか嬉しくて泣けてしまいました。